山では様々な人に会うことがあります。
人ではないけど山で見つけたのはこれ。
危うく踏むところでした。
僕が登って行くときに下山してくる二人に会いました。
僕より随分若い男性が僕の母親よりも幾分若い女性の手を引いて降りてきました。
女性は目が見えないようでした。空いていた方の手にはストックをついてバランスを取っています。
以前に聞いた話なのですが、「目が見えない」と言っても視界が真っ暗なのではなく白く膜がかかったような状態の人が多いそうで、
ぼんやりと人がいるのがわかると言った感じなのだそうです。
木の根が張った山道を目が見えないのに歩いてくるのは容易でない事と思います。
そんな熱意を持った人に会うと、山の持つ本当の魅力を僕はわかっていないのではないかと思うのです。
学生の時なのでもう30年も前になります。
前穂の紀美子平を膝下がない片脚の登山者が降りてくるのに会ったことがあります。
あの岩山を一人で登るのは無理で何人かのサポートの方と一緒でした。
何人かの人はその登山者を見たようで穂高岳山荘に泊まった時にその人の話になりました。
僕は知りませんでしたが、著名な登山家で脚を失った後も登山をしているのだそうです。
あの様子を見た時から僕は「人というのは大抵のことができるものなのだな」と思うようになりました。
時々、昨今のヘタレ登山が情けなくなったりもします。
人ではないけど山で見つけたのはこれ。
危うく踏むところでした。
僕が登って行くときに下山してくる二人に会いました。
僕より随分若い男性が僕の母親よりも幾分若い女性の手を引いて降りてきました。
女性は目が見えないようでした。空いていた方の手にはストックをついてバランスを取っています。
以前に聞いた話なのですが、「目が見えない」と言っても視界が真っ暗なのではなく白く膜がかかったような状態の人が多いそうで、
ぼんやりと人がいるのがわかると言った感じなのだそうです。
木の根が張った山道を目が見えないのに歩いてくるのは容易でない事と思います。
そんな熱意を持った人に会うと、山の持つ本当の魅力を僕はわかっていないのではないかと思うのです。
学生の時なのでもう30年も前になります。
前穂の紀美子平を膝下がない片脚の登山者が降りてくるのに会ったことがあります。
あの岩山を一人で登るのは無理で何人かのサポートの方と一緒でした。
何人かの人はその登山者を見たようで穂高岳山荘に泊まった時にその人の話になりました。
僕は知りませんでしたが、著名な登山家で脚を失った後も登山をしているのだそうです。
あの様子を見た時から僕は「人というのは大抵のことができるものなのだな」と思うようになりました。
時々、昨今のヘタレ登山が情けなくなったりもします。