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ハヤシソース/日本人は自分を白人と思っている

2014年11月03日 | 田舎生活の衣食住
 ひと晩寝かす為に、ハヤシソースを煮込みました。ビーフ抜きの玉ねぎとニンジン、それにゆで卵。昔はこういった種類の市販の素は限られていましたが、現在は実に多くの種類が出回り、かつ凝っているので、スパイスなどを加えなくても十分美味しいのが嬉しいですよね。
 今日はこのソースがメインです。



 冷蔵庫の中がほとんど空になり、野菜しかなくなったので、本日は買い出しです。


 日本人=金持ちといった偏見は未だあるようですが(自分のように貧乏な者もいる)、金持ちが故優遇されてきているせいか、どうも自分たちを白人(同様)だと思い込んでいる節があるようです。かく言う、自分もそんな思いを抱いていました。
 それが頭から打ち砕かれたのが、アメリカはナッシュビルでした。
 アメリカ大陸を横断した折りに立ち寄りました。どうして行ったかと言うと、堀内孝雄の歌に「夢にまでみたナッシュビル憧れのテネシー」といった歌詞があり、妙に心引かれたのでした。
 そもそも人種差別の激しい歴史を持つ地域です。滞在中有色人種に出会ったのはたったひとり。空港内で清掃の仕事に従事していたチャイニーズだけでした。
 バスを待つ間に、婦警に職務質問もされましたが、その婦警、わざとらしい笑顔を貼付けていたのを始めとし、何処でも違和感を感じた次第。食事や買い物でも針の様な視線を感じながらでした。
 一刻も早く脱出したい。そんな思いでした。
 日本人=白人といった穿った思いが打ち砕かれた瞬間です。
 「もう二度と来ない」。滞在中ずっとそう思っていました(笑)。それでも「オープリーランド」やカントリー・ミュージックの博物館などはきっちり観光は済ませました。
 湾岸戦争時のボストンでは、通りすがりの見知らぬ白人から「ジャップ」と蔑まれ(最も「ワスプス」と返した)もしました。ボストンは紳士的で、それまで何度か訪った折りは、大きな荷物を持っていると、通りすがりの人が持ってくれたり、建物に入ろうとすれば同じく通りすがりの人がドアを開けてくれたりしてくれていたので、これは意外な発言でした。
 後にアメリカ国内で、日本が湾岸戦争において米軍に資金を提供した事から「湾岸戦争に賛同している」と捉えられていたと知りました。
 その為に、戦争反対のアメリカ人の反感を買っていたようです(アメリカからの要求で資金を出したのですがね)。
 初めてのニューヨークの印象も良いものではありませんでした。「英語も出来ないのに来たのか」と、買い物をしようとして店員にさえ言われた次第。
 気持ちがすっかり萎えてしまい、大枚叩いてで掛けたにも関わらず、引き蘢りそうになったのを救ってくれたのがフランス人でした。
 買い物中、「ガス入りの水はないか」と何故か話し掛けられ、様子を伺っていると、フランス人も同様に冷たくあしらわれていたのです。「なあんだ。黄色人種だからだけじゃないんだ」と、気力を取り戻しました。
 その後、何度もニューヨークを訪っていますが、初回の様な嫌な印象はありませんでした。すっかりニューヨークにはまり、抜け出すのに10年の歳月を費やしたのでした。
 まあ、最初の印象が最悪であれば、後は+しかないですからね。
 こう毎回海外ネタを書いていると、如何にも語学が出来るようでしょうが、実は自分は語学センスが皆無。なにせ、「ユーウエルカム(どういたしまして)」と言われ、「フロムジャパン(日本から来ました」なんてトンチンカンな事を言っていたくらいです(笑)。
 そもそも学校の英語も成績は悪く、高校入試に際しては中学の担任から、「英語は捨ててほかで(点数を)稼げ」と言われ、無事合格した高校でも、英語教師から「(この成績で)良く、うちの高校に入れた」とまで言われた始末。
 なので、自分の英語はかなりスラングであり、アメリカ人になりたいくらいにアメリカに恋いこがれたが故に、実地で覚えたといったところ。
 なので、書く事はまま成りません。
 広東語も生活する為に必死で覚えたので、覚えようとしなかった中国語は、買い物がやっとといった程度です。
 海外に住めば自然に語学が身に付くものだと、簡単に考えていたのですが、勉強しなければ身に付かないものだと悟りました(笑)。
 
 



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