スーパーで買い物中。静かな店内に響き渡る聞き慣れた音楽。「チャチャーン、チャチャチャチャーン~」。そう、我が携帯電話。鳴っているのは、「鬼平犯科帳」のオープニング・テーマ。「しまった」。焦れば焦る程携帯電話が見付からず、自分と共に店内を動き回る「鬼平」のテーマ。
好きで選んでいる曲なのに、恥ずかしかったのは何故?
今からこんなで真冬はどうすると、自分を叱咤していますが、朝晩の寒さが身に堪えます。冬になれば夏が恋しく、夏になれば冬を待つ。こんなことを繰り返してあっと言う間に一年が過ぎていきます。
今年も早かった。気が付けば残すところひと月半。ここまでくると、「早く正月になってくれ」と思います。
こんな寒がりでよくもまあ、北京の冬を乗り越えたものだと、今更ながらそう思います。
何せ日中の平均気温が-10度でしたからね。出勤のバスをを待つ間に家に戻りたくなったほどです。
川は一面が凍り付き、橋迄行くのが面倒な人たちは川の上を歩いて渡っていましたが、こもし氷が薄かったら…と思うと、れは見ていて怖かった。
そして全体にセピアのフィターをかけたような北京の景色に、炭売りがリヤカーを引いた自転車を走らせる光景。その炭から立ち上る煙…ステキな光景でした。
日本も昭和30年代くらいまでは似た様な風景が広がっていました。自分はそんな季節に身体を対応させいた時代を懐かしく思います。人は便利と同時に忘れてしまったものも多いのです。
一晩寝かせたおでんですが、良く味が染み込んでいました。そのまま和芥子で食し、蕎麦の具にもしました。温まります。あっと言う間に食べてしまったので、はんぺんを足してまた煮込んでいます。
食品管理のつづきです。
香港や中国の広東省では、レストランで、食器は自分で湯煎する習慣があります。食器とお湯が運ばれて来るので、お椀に湯を満たしそこに小さな碗や湯飲みを箸で摘んで回して洗います。レンゲも直接食べ物に触れる部分は洗います。
この習慣、中国大陸で全てではないらしく(自分が住んだ所ではなかった)、北京郊外の城壁村でその作法に乗っ取り食器と湯を出された時は勘当しました。久し振りに香港仕込みの腕を披露(笑)。
どうしてなのかを考えたのですが、その村には水道がなかったからだと思われます。
汲んで来た井戸水は貴重品。ちゃちゃちゃと指で擦り洗いしてお仕舞い。
要するに、自分で湯煎する習慣は、「ちゃんと洗っていないからね」というところから始まっているのでした。
また、店で灰皿を所望すると、取り皿を指定されたり、床を指差されたりします。最初は躊躇しましたが、分かったのは、灰皿も食器も一緒に洗っているという事実。なので、彼らにとっては取り皿を灰皿にしても何ら不思議は無いのです。にしたって…ですよね。
そういえば香港の人はティシュを持ち歩いて、湯煎のいない食器はからぶきしていました。効果あるのか? と思いましたが、彼らは奇麗になると信じているのでした。
神経質な日本人はウエットタイプでふいたりもしていました。そして、嫌だったのはテーブルや椅子がベタベタする、汚れていると顔を顰める日本人。
そこまで嫌なら、ローカルの店に入らなかれば良いのです。高級店ならそんなことはないのですから。もっと言えば、だったら清潔な日本に居れば良いのですよ。
これは日本人の料理家に聞いた話ですが、一流レストランのシェフでも、布巾と雑巾を使い分ける事を知らないのだそうです。「小ちゃい事は気にしない、ワカチコワカチコ」が中国流。
中国で日本人のほぼ100%が食べてお見舞いされるのが、路上で売っているパイナップル。縦に切ったパイナップルを食べ易いように串にさしてあります。
これ、外の埃をバンバン吸い付けているくらいじゃ、問題ないように思えるのですが(日本だったら大問題だ)、何故だろう? フルーツなんて多少痛んでいても食中毒や下痢なんかしませんよね。ほかに理由があるとしたら水。とにもかくにも、これを食べた日本人は間違いなく下痢をします。
中国のスーパーで売っている野菜は、ほぼ新鮮ではありません。あっ外資系は別です。炒めるのが主流なので然程気にならないのでしょう。なので、帰国してから、スーパーの見切り品になっている野菜でもなあんとも思わないですね。
好きで選んでいる曲なのに、恥ずかしかったのは何故?
今からこんなで真冬はどうすると、自分を叱咤していますが、朝晩の寒さが身に堪えます。冬になれば夏が恋しく、夏になれば冬を待つ。こんなことを繰り返してあっと言う間に一年が過ぎていきます。
今年も早かった。気が付けば残すところひと月半。ここまでくると、「早く正月になってくれ」と思います。
こんな寒がりでよくもまあ、北京の冬を乗り越えたものだと、今更ながらそう思います。
何せ日中の平均気温が-10度でしたからね。出勤のバスをを待つ間に家に戻りたくなったほどです。
川は一面が凍り付き、橋迄行くのが面倒な人たちは川の上を歩いて渡っていましたが、こもし氷が薄かったら…と思うと、れは見ていて怖かった。
そして全体にセピアのフィターをかけたような北京の景色に、炭売りがリヤカーを引いた自転車を走らせる光景。その炭から立ち上る煙…ステキな光景でした。
日本も昭和30年代くらいまでは似た様な風景が広がっていました。自分はそんな季節に身体を対応させいた時代を懐かしく思います。人は便利と同時に忘れてしまったものも多いのです。
一晩寝かせたおでんですが、良く味が染み込んでいました。そのまま和芥子で食し、蕎麦の具にもしました。温まります。あっと言う間に食べてしまったので、はんぺんを足してまた煮込んでいます。
食品管理のつづきです。
香港や中国の広東省では、レストランで、食器は自分で湯煎する習慣があります。食器とお湯が運ばれて来るので、お椀に湯を満たしそこに小さな碗や湯飲みを箸で摘んで回して洗います。レンゲも直接食べ物に触れる部分は洗います。
この習慣、中国大陸で全てではないらしく(自分が住んだ所ではなかった)、北京郊外の城壁村でその作法に乗っ取り食器と湯を出された時は勘当しました。久し振りに香港仕込みの腕を披露(笑)。
どうしてなのかを考えたのですが、その村には水道がなかったからだと思われます。
汲んで来た井戸水は貴重品。ちゃちゃちゃと指で擦り洗いしてお仕舞い。
要するに、自分で湯煎する習慣は、「ちゃんと洗っていないからね」というところから始まっているのでした。
また、店で灰皿を所望すると、取り皿を指定されたり、床を指差されたりします。最初は躊躇しましたが、分かったのは、灰皿も食器も一緒に洗っているという事実。なので、彼らにとっては取り皿を灰皿にしても何ら不思議は無いのです。にしたって…ですよね。
そういえば香港の人はティシュを持ち歩いて、湯煎のいない食器はからぶきしていました。効果あるのか? と思いましたが、彼らは奇麗になると信じているのでした。
神経質な日本人はウエットタイプでふいたりもしていました。そして、嫌だったのはテーブルや椅子がベタベタする、汚れていると顔を顰める日本人。
そこまで嫌なら、ローカルの店に入らなかれば良いのです。高級店ならそんなことはないのですから。もっと言えば、だったら清潔な日本に居れば良いのですよ。
これは日本人の料理家に聞いた話ですが、一流レストランのシェフでも、布巾と雑巾を使い分ける事を知らないのだそうです。「小ちゃい事は気にしない、ワカチコワカチコ」が中国流。
中国で日本人のほぼ100%が食べてお見舞いされるのが、路上で売っているパイナップル。縦に切ったパイナップルを食べ易いように串にさしてあります。
これ、外の埃をバンバン吸い付けているくらいじゃ、問題ないように思えるのですが(日本だったら大問題だ)、何故だろう? フルーツなんて多少痛んでいても食中毒や下痢なんかしませんよね。ほかに理由があるとしたら水。とにもかくにも、これを食べた日本人は間違いなく下痢をします。
中国のスーパーで売っている野菜は、ほぼ新鮮ではありません。あっ外資系は別です。炒めるのが主流なので然程気にならないのでしょう。なので、帰国してから、スーパーの見切り品になっている野菜でもなあんとも思わないですね。