寒い朝です。最低気温が一気に8度もさがりました。喉が若干いがらっぽいので、気をつけなくちゃ。
毎年冬に成ると、家の内外を問わず、喉にバンダナを巻いています。これ一枚だけで風邪知らずです。お試しください。
昨日から煮込んで寝かせておいたハヤシライス。時にはソース掛けご飯も食べます。基本は白飯だけれど。
ハヤシライスを食べる時に、「カレーも良いけどハヤシもね」という大昔のコマーシャルのフレーズが脳裏を過ります。若い人は知らないでしょうが、当時は、ハヤシって何? くらいに衝撃な食べ物でした。
同時にそのコマーシャルのフレーズも忘れられないくらいのインパクトでした。
本鮪のアラ198円。ずっしりと重くかなりのお得感です。しかも、刺身のサクほどの大きさのアラが3つも入っていました。そのほかにも小さな切り落としがありました。
塩焼きにしようか悩んだのですが、ニンニク醤油で煮付けてみました。
ジャズが好きです。正確には若かりし頃、好きだったのを思い出しました。
アメリカ横断をした二十代時、ジャズの本場ニューオリンズは外せません。そして古い町並みも好きな自分にとっては正に求めていたアメリカです。
期待に胸を膨らませて訪ったニューオリンズ。決して期待を裏切る事はありませんでした。後に、何十回となくアメリカに行く事になるのですが、そのほとんどはニューヨークとニューオリンズのリピーターに終始しました。
そんな最初のニューオリンズ。泊まったホテルが良かった。「バーボン ストリート」のど真ん中にあったコロニアル風のホテルだったので、テラスからも町の喧騒が楽しめたのです。
「バーボン ストリート」には小さな間口の見世が軒を並べ、どこでも演奏がされていました。そんな中の一軒で耳にした、「マイガール」の曲が今でも忘れられません。ハスキーボイスの若い黒人男性が歌っていました。
お目当ての「プリザベーションホール」にもジャズを聴きに行ったのですが、ホールとは名ばかりの小さな小屋(笑)。ぎゅうぎゅう詰めに観客を入れるので、前列は地べたに座ります。
妙に年を取ったトランぺッターの爺さん。ほかの人の演奏の時は、まるで死んでしまったかのように身じろぎひとつせず、己のソロパートの時のみシャキッとしていたのが印象的でした。
そして自分のパートが終わるとまた椅子に腰掛けて死んじゃったかのようになる(笑)。
同じような光景が上海のオールド・ジャズ(「和平飯店」、現「フェアモント・ピース・ホテル」)でもデジャブのようにありました。椅子に座ったままのパーカッションのお爺さんが、立ち上がって自分のパートを演奏すると、割れんばかりの拍手。そして終わるとまた、鎮座して身じろぎをしない。
多分、往年は金管楽器で成らした人ではないのでしょうか? 年老いて金管楽器がしんどくなってパーカッションへ変更した有名人をみた!
時給にしたらもの凄い高給取りです(笑)。
話をニューオリンズに戻します。
航空機の規則が年々厳しくなっていく中、ニューオリンズ便だけは治外法権(?)。当時でも既に見掛けなくなった2チャンネルのスピーカーの付いた大きなラジカセを肩に担ぐ、黒人が何と多い事か。そして彼らが各々機内で大音量の音楽を聴いていました。
また、航空機内や空港での喫煙も大分規制されていたにも関わらず、結構自由でした。
太っちょも多く、エコノミーの座席2席分なければ座れないアメリカ人があちこちに居るので、地上係員が、離陸前に機内のチェックをし、左右が対称の重さになるように微調整していきます(笑)。
何度目かの訪問時に空港から市街へのリムジンにて、客は自分ひとり。陽気なドライバーが、「案内してやる」と、ゲイバー迄乗り付けたのでした。
すると、すげーっ。スタン・ハンセンのようなおっさん二人が抱き合ってキスをしておりました(笑)。
余談ですが、ニューオリンズでは男女の下着は一緒に干してはいけないといった法律があるそうです。観光では楽しめますが、未だ色々な差別もあるのでしょうね。
毎年冬に成ると、家の内外を問わず、喉にバンダナを巻いています。これ一枚だけで風邪知らずです。お試しください。
昨日から煮込んで寝かせておいたハヤシライス。時にはソース掛けご飯も食べます。基本は白飯だけれど。
ハヤシライスを食べる時に、「カレーも良いけどハヤシもね」という大昔のコマーシャルのフレーズが脳裏を過ります。若い人は知らないでしょうが、当時は、ハヤシって何? くらいに衝撃な食べ物でした。
同時にそのコマーシャルのフレーズも忘れられないくらいのインパクトでした。
本鮪のアラ198円。ずっしりと重くかなりのお得感です。しかも、刺身のサクほどの大きさのアラが3つも入っていました。そのほかにも小さな切り落としがありました。
塩焼きにしようか悩んだのですが、ニンニク醤油で煮付けてみました。
ジャズが好きです。正確には若かりし頃、好きだったのを思い出しました。
アメリカ横断をした二十代時、ジャズの本場ニューオリンズは外せません。そして古い町並みも好きな自分にとっては正に求めていたアメリカです。
期待に胸を膨らませて訪ったニューオリンズ。決して期待を裏切る事はありませんでした。後に、何十回となくアメリカに行く事になるのですが、そのほとんどはニューヨークとニューオリンズのリピーターに終始しました。
そんな最初のニューオリンズ。泊まったホテルが良かった。「バーボン ストリート」のど真ん中にあったコロニアル風のホテルだったので、テラスからも町の喧騒が楽しめたのです。
「バーボン ストリート」には小さな間口の見世が軒を並べ、どこでも演奏がされていました。そんな中の一軒で耳にした、「マイガール」の曲が今でも忘れられません。ハスキーボイスの若い黒人男性が歌っていました。
お目当ての「プリザベーションホール」にもジャズを聴きに行ったのですが、ホールとは名ばかりの小さな小屋(笑)。ぎゅうぎゅう詰めに観客を入れるので、前列は地べたに座ります。
妙に年を取ったトランぺッターの爺さん。ほかの人の演奏の時は、まるで死んでしまったかのように身じろぎひとつせず、己のソロパートの時のみシャキッとしていたのが印象的でした。
そして自分のパートが終わるとまた椅子に腰掛けて死んじゃったかのようになる(笑)。
同じような光景が上海のオールド・ジャズ(「和平飯店」、現「フェアモント・ピース・ホテル」)でもデジャブのようにありました。椅子に座ったままのパーカッションのお爺さんが、立ち上がって自分のパートを演奏すると、割れんばかりの拍手。そして終わるとまた、鎮座して身じろぎをしない。
多分、往年は金管楽器で成らした人ではないのでしょうか? 年老いて金管楽器がしんどくなってパーカッションへ変更した有名人をみた!
時給にしたらもの凄い高給取りです(笑)。
話をニューオリンズに戻します。
航空機の規則が年々厳しくなっていく中、ニューオリンズ便だけは治外法権(?)。当時でも既に見掛けなくなった2チャンネルのスピーカーの付いた大きなラジカセを肩に担ぐ、黒人が何と多い事か。そして彼らが各々機内で大音量の音楽を聴いていました。
また、航空機内や空港での喫煙も大分規制されていたにも関わらず、結構自由でした。
太っちょも多く、エコノミーの座席2席分なければ座れないアメリカ人があちこちに居るので、地上係員が、離陸前に機内のチェックをし、左右が対称の重さになるように微調整していきます(笑)。
何度目かの訪問時に空港から市街へのリムジンにて、客は自分ひとり。陽気なドライバーが、「案内してやる」と、ゲイバー迄乗り付けたのでした。
すると、すげーっ。スタン・ハンセンのようなおっさん二人が抱き合ってキスをしておりました(笑)。
余談ですが、ニューオリンズでは男女の下着は一緒に干してはいけないといった法律があるそうです。観光では楽しめますが、未だ色々な差別もあるのでしょうね。