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チンゲン菜のココット風。本鮪(まぐろ)のステーキ/重慶マンションに泊まる

2014年11月11日 | 田舎生活の衣食住
 今年はいち日の中で、気温の差が激しいですよね。綿入れを着込んだかと思えば、シャツ一枚になるといった具合で、着たり脱いだりが忙しい。
 夕方蚊が一匹侵入し、何処に行ったか分からないので、部屋中バルサンのように、蚊取り線香を焚きましたが、その煙の中で、炬燵に入るといったおかしな事になりました。

 昨日の献立です。卵が崩れているのは、執拗にカラザを取るためです。なので我が家は目玉焼きは出来ません。たれ目焼きになってしまいます。どうしてもあのカラザは許せない(笑)。




 本鮪のアラをガーリックステーキにしました。食べ堪えありの大きさ。その美味しい脂で、モヤシを炒めました。





 ちょこっと仮眠をしては起きて作業。そしてまた仮眠して作業を繰り返したため、起きる度にコーヒーを飲んでいたので、カフェイン取り過ぎ。最近、押さえ気味にしていたのに、また、今日から押さえるぞ。

 香港を一時離れ深圳に住んでいた頃です。用事があって香港に宿泊する事になったので、高富旅館(ホステル)を予約しておきました。ですが、前にも同じ目にあったのですが、幾ら予約を入れていても、当日部屋が無い。空かないのだそうです。
 折り悪く、その時は香港の連休で、どこのホテルも満室状態。最悪の場合は深圳に戻って通えば良いだけですけどね。片道45分くらいは東京なら当たり前ですしね。
 そして、最後の綱として出向いた重慶マンション。そうチョンキン・マンションです。目指したフロアまでエレベータで向かうも、迷路の様な通路に四苦八苦。
 辿り着くと、有りました。早速ひと部屋をキープ。しかも悪名高き重慶マンションとは思えない程清潔で、開け放した窓からは良い風が入ってきます。
 何なら、香港で住んでいたアパートよりも上等でした(笑)。
 ですが、内鍵が壊れていて掛らない。フロント(とも言えないけれど)に言いに行くと、確かめにきてひと言「誰にも言うなよ」。って、それで良いのか!?
 ドアの前にチェスト(とも言えないちゃっちいやつ)やら椅子やらを積んで眠りましたよ。気休めですけどね。
 翌朝、そのホステルに繋がる階段に血糊がこびり付いていたのが怖かった。結局2泊で切り上げ、静かに深圳に戻りました。
 先日書いた「高富旅館」。銅羅湾の「ソゴウ」の北側にあります。ここは中々良いですが、予約を入れていても泊まれない。最初に訪った時も、当日はほかのホステルに変更を余儀なくされました。
 そこが(名前を忘れたと言うか知らない)、旅行で泊まるにはちょっと悲しくなるような所でした。後に香港に住むようになってからなら難は感じなかったでしょう。
 ビックリしたのが、一般家庭のような玄関口に小さなカウンターがあって、まるで風呂屋の番台のようなのですが、係の人は、どうもその裏で眠っているようでした。訪れたのは深夜だったのですが、カウンターの裏からぬぼーっと起き出してきたのです。
 香港はとにかくホテルの宿泊料金が高いので、「高富旅館」はお勧めです。泊まれないことの方が多いけれど。
 アメリカでお勧めは、「ベストウエスタン」のモーテル。これはチェーン店で全米大陸のどこにでもあります。安価で失敗がないので、アメリカ旅行の際は良く利用しました。
 若い時って、どんな所にでも泊まれますが、年を重ねるとやはりそれなりの設備が整っていたり、清潔でなくてはならなかったりで、宿泊に掛ける費用もかさみます。今更ホステルに泊まろうとは思わないですからね。
 海外ではありませんが、印象深かったのが、神津島の民宿(やはり名前忘れた)です。
 そこには小学生の海彦と未だ赤ちゃんの玉彦という兄弟が居ました。海彦は毎日銛を持って海に潜り海藻を取っていました。夕食で海藻が並ぶと、「海彦のお手柄か」などと話していたものです(笑)。
 もし、未だ民宿を経営しておられるとしたら、海彦がオーナーでしょうか?
 その民宿、食事は部屋に用意されるのですが、初日の晩ご飯はひとりにつき、お茶碗一杯分が人数分お櫃に用意されていました。今思えば足りなければ貰えば良かったのですが、「少ない」と言いながら、米粒ひとつ残さずにこそげとって食べたところ、翌日はお茶碗二杯分に増えていました。
 丁度良い量だったのですが、前日に続き、面白がって米粒ひとつ残さずに食べ切ったことろ、また翌日は三杯分に増えていました。
 またまた面白がって食べ切りました(笑)。しゃもじに付いた米粒まで、手で取って食べていたのでした(笑)。本当に米粒ひとつ残さず、毎日食べ切りました。
 日本国内では、この海彦の民宿が一番印象深かったです。
 




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