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柿トースト/本屋

2014年11月14日 | 田舎生活の衣食住
 あっという間に、今年も残すところふた月を切りました。気の早い店では、鏡餅を売っています。今年は史上最速の早さで月日が流れた感が否めません。
 こうして毎年毎年、早さを更新していくのでしょう。

 到来物の柿が沢山あり、そのまま食べても良いのですが、何か食事のお菜に活用出来ないかと考え、天ぷらに続き第二弾は、トーストにしました。
 マーガリンを塗った食パンに柿を乗せて焼いただけですが、柿にも火が通って甘さが増したデザート感の強い、フルーツ・トーストに。これもはまりそう。




 十余年による海外生活を切り上げた理由のひとつに、本が読めないといった訳もありました。日系の本屋があっても、日本のそれとは規模が違います。第一高価なのです。
 そこで利用したのが古本屋。香港、シンガポールには古本屋があり、休日にはそこに走りました。品揃えは薄いものの、それで凌ぐしかありません。
 中国には、本屋はおろか古本屋もありませんでした。ですが、漫画喫茶はOK。そこには日本の漫画が山ほどあります。
 きくところに寄れば、本屋など、不特定多数の人が立ち寄れる、または公衆の目に触れる所は違法。漫画喫茶はそれに非ずだからなのだそうですが、どうにも腑に落ちません。
 そしてこの漫画喫茶、インターネット・カフェと連動している所もあるのは日本と同じですが、自分が行った店にはフロアでくつろげる部屋もあり、身体を伸ばして昼寝が出来ました。
 バンコクには、日本の本を扱う大きな本屋も漫画喫茶もありましたが、漫画喫茶はレストランが併設しているパターンが多く、ランチのついでに漫画や雑誌を読むといった具合でした。
 本屋は日本とは違い、立ち読みOkです。立ち読みどころか、所々にベンチが設えてあり、座って読めるのです。
 小さい店舗ですが古本屋もありました。
 本屋の品揃えが一番なのはやはり香港でした。我が郷里の本屋よりも、ずっと規模が大きく充実していたものです。ですがやはり高価なので、ここでは立ち読みが主流。購入していたのは古本屋です。
 通称・デブの本屋(勝手にこう読んでいましたが「写楽堂」が正しい)、皆直ぐに分かります。
 多分、現在ではどこの国にも漫画喫茶や、インターネット・カフェが増えている事だと思います。
 そして海外発送も可能な通販もありますので、当時よりは不自由は少ないと思います。
 因に、自分は少々潔癖性なところがあり、古本や貸本の類いはタブーでしたが、海外生活でそれらに目を瞑ることを覚えました。それでも読みたい本より奇麗な本が優先ですが。
 そして同じ本を何度も繰り返して読むため、ストーリ物ではなく、どのページを開いても、どこからでも読める、軽いタッチのエッセイを常備しておきました。就寝前に活字を追いたい時は、これに限ります。



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豚カツ・サンドイッチ/都市伝説

2014年11月14日 | 田舎生活の衣食住
 昨日は外出の用事があったので、ランチのサンドイッチを拵えて外出。チーズカツ・サンドと、チーズ卵サンドでした。キャベツの甘酢漬けがあって良かった。パンはトーストにしてあります。



 豚カツ・サンドイッチで思い出すのは、「万世」のカツサンドです。今は色々なサンドイッチがありますが、昔は画期的に美味しかったし、高価だったため、憧れでもありました。
 そんな「万世」のカツサンド、通称・万カツサンドを二倍楽しめる方法を編み出したと豪語している同僚が居ました。
 まず一日目は、ソースの染み込んだパンのみを食べ、翌日に食パンにカツを挟んで食べるのだそうです。
 「貧乏っ臭っ」と思ったものですが、それくらいに万カツサンドは高嶺の花だったのでした(笑)。

 真実か否かは分かりませんが、在住時に聞いた話です。
 まずはバンコク。駐在員の奥様たちは、タクシーを利用せず、ツクツク(小型トラックで、荷台に乗る)を良く利用していました。
 どうしてタクシーを利用しないのか? ここからが都市伝説です。以前、駐在員の奥様たちが数名でタクシーに乗車したところ、飲み物を勧められ、それに睡眠薬が入っていたとか。ところがひとりだけ薬が効かず、「お前はブスだから何もしない」と言われたとか。
 結局、ひとりだけ起きていたので事なきを得たらしいのですが、これが真実なら、何もされなかったのが幸いだったのか? 
 因に、何もされないような奥様たちもツクツクを利用されておりました。
 日系大手航空会社のフライトアテンダントが、タクシー・ドライバーによる強盗に遭い、意識不明の重傷で入院中。
 香港郊外に行くと、ちょっと大きめのプラスチックの郵便受けのようなボックスが設置されています。
 「これは何だろう」と思っていたところ、「ペット投函箱」だそうです。香港は土地が狭く、埋める場所も無いので、死亡した場合の投函用だと理解したのですが、そうではなく、生体を捨てる箱だと聞いてビックリ仰天。真実は分かりませんが、ペットの小鳥は、死ぬとそのまま路上にポイ捨てはしているようです。
 これは真実ですが、夜住んでいたアパートの階段を歩いていると、踊り場のゴミ置き場(大抵ゴミ捨て場は踊り場にあり、24時間いつでも捨てられる)に、猫の死骸がそのまんま捨ててあり、腰を抜かしそうになりました。
 クリーンなイメージの強いシンガポールですが、どうして緑が多いのかと言うと、土地が汚れていて建物を建てられないからだそうです。日本で言うなら銀座の一等地のような所が、緑地になっていたりもしました。随分ともったいない使い方です。
 マンションでも、外壁に赤いラインなどが入っている所は、華僑は絶対に住まないそうです。中国では赤は魔除けに使われ、赤いラインが入っていると言う事は、魔除けを必要としているからなのだそうです。
 言われてみると、そんなマンションも結構ありました。
 深圳のアミューズメント・パークのひとつである「リトル・チャイナ(民族文化村を)」。風光明媚な中国各地が再現されています。そこには少数民族の住居を再現した一画もあり、艶やかな民族衣装を纏った実際の少数民族の方がおります。
 「リトル・チャイナ(民族文化村を)」が出来た当初、各少数民族は選りすぐりの美男美女を送り込んだそうですが、何せ美女揃い。1年も経つと皆、香港の金満家たちに囲われてしまったそうです。
 タイでは毎日テレビで「今日の死体」という番組が放送されているらしい。タイ在住時はテレビが無かったので(有っても言葉分かりませんからね)見た事はありません。
 ですが、ネットに死体ばかりがアップされるサイトがあり、実際に職場のスタッフはそのサイトを見ながら昼飯を食べていました。

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カツ丼、卯の花。クリスマス・ツリー/クリスマス

2014年11月13日 | 田舎生活の衣食住
 朝の寒さが身に染みます。こうなると炬燵に入りっ放しになってしまうのですが、未だ11月。今後どれだけ寒くなるのかと想像をすると憂鬱です。

 豚カツを揚げたら、翌日はやはりカツ丼。カツ丼ってどうしてこうも美味しいのだろう。手前味噌ですが、自分で拵えたカツ丼が一番。勤め人だった頃は、弁当がカツ丼だと、心が躍ったものでした(笑)。





 カツ丼で思い出したのですが、何度か長野県の高原野菜の有名な所に行った事があります。そこで大好きなカツ丼を注文し、出てきたのが予想と大きく違ったソースカツ丼でした。ご飯、キャベツの千切り、ソースに浸された(かかった?)カツ。食べてみても、甘辛の卵とろりのカツ丼とのギャップに、大層がっかりしたものでした。
 なのに、学習しないと言うか忘れっぽいと言うか、再度訪った時も同じ失敗を繰り返したものでした。そして、丼の蓋を開けて、ソースカツ丼が現れて初めて、「そうだった」と前の失敗を思い出すの繰り返し。かの地では、メニューにソースカツ丼とうたっていないことから、カツ丼と言えば、ソースカツ丼だったのでしょうね。

 付け合わせは、卯の花とキャベツの甘酢漬け。この甘酢漬け、大量に拵えたのですが、もっと美味しい食べ方を思い付きました。これは後日。




 早くもツリーを飾りました。毎年、メインは、北欧風にリンゴだけのツリーにしていますが、昨年迄はツリーが小さくて、アンバランスだったのですが、今年は買っちゃった! 100円ショップでだけれど。



 こちらのミニツリーは、マンハッタン(時計)の横に。やっぱりツリーはマンハッタンが似合います。




 思い起こせば約10年間、クリスマスはニューヨークで迎えました。何をしていたか…「キャッツ」を観ていた気がしますが、昼間一度だけ、五番街で背負っていたリュックのポケットからどうでも良いポーチを盗まれた苦い思い出。ちゃんとファスナーは締めていました。丁度財布くらいの大きさだったからでしょうが、まあ盗んだ方も、くたびれ損だった事でしょう。
 リュックを下ろした時に、ファスナーが開いていたので気が付いたのですが、アメリカ人の掏摸って、仕事が荒いなあと感じました(笑)。
 中国人は基本クリスマスは祝いません。ツリーも売っているのは「IKEA」くらいなものでしょう。それもほんのちょっぴりです。それでも南京街などの商店街は、ライトアップされていますが、個人の家庭でパーティなどはしないようです。
 そうそう、上海名物の「オールドジャズ」を聴いて、何故か「味千拉麺」を食べたクリスマスもありました(笑)。
 香港は、そりゃあ賑やかです。確か花火が挙ったような気がします。記憶が定かではないので間違っていたらご免なさい。
 そして香港人は、歩きます。ただひたすら夜の町を歩くのです。目的としてはライトアップを観る為なのでしょうが、余りの人の多さで、観るどころではありません。そして、一度歩き出したら、列を抜け出す事も不可能なくらいに人が多いのです。
 余りの人ごみに、本当に頭が痛くなり、這々の体のクリスマスもありました(笑)。ただ、店は24時間開いているので便利ですよ。因に、大晦日も香港人は歩きます。ある年の大晦日に、仕事で貫徹だったのですが、明け方5時くらいにも関わらず、店は普通に営業しており、折角の新年という事で、取り立てて欲しくもなかったのですが、ついついコートを衝動買いしてしまいました(笑)。そのコート、日本に帰ってきてから重宝しています。
 タイは余りの職務の多忙さに、クリスマスの記憶がありません。どうせ、徹夜してたのだと思います。



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豚カツ、フレンチトースト/招かざるオプション住居

2014年11月12日 | 田舎生活の衣食住
 豚カツを揚げました。千切りキャベツと合わせて頂きました。残った豚カツは、アレンジして頂く予定です。といってもあれしかない! 大好きな…。




 残ったキャベツは甘酢漬けにしました。
 カリッと焼けたフレンチトースト。ふわふわも好きですが、カリッと香ばしいのも良いですよね。フレンチトースト、パンケーキの朝食って、心躍ります。




 香港では何度か引っ越しをしたのですが、予算の関係で、かなりの難有り住居ばかりでした。
 まず最初は、銅羅湾と湾仔の丁度間。3階だったので目の前に高速が走っており、窓から車内の人を判別出来る距離。高速の下は道路です。しかもバスの停留所が目の前。
 これには閉口しました。それでなくとも騒がしい香港なのに、24時間騒音です。窓を開ける事も出来ずに、音に慣れるまでひたすら耐えるしかありませんでした。
 更にはいつの間にか隣にフィリピン人が住み着き、「あんな狭い部屋にいったい何人居るのか」と思うくらいに、わらわらと沸き出してきます。そしてまた、煩い煩い。
 2年住んだけどね。
 4軒目も道路に面した銅羅湾。ここは教会が近かったので、日曜日ともなると鐘がゴンゴン鳴って朝っぱらから否応無しに起こされるトいった物件でした。
 しかし、1軒目から思えば何でもありません。トイレの真上に付いたシャワーも香港なのだから仕方ない。トイレのドアがアコーディオンカーテンなのも良くある話。トイレの前がミニキッチンなのも、居間に全く陽が射さないのも納得済み。
 でしたが、ある日突然、全身を襲う痒み。見るとウエスト辺りに真っ赤な発疹。「やられた」。かなり古い物件だったので、ダニです。
 ドアに張り紙をしてバルサンを焚きました。ここは1年で退散。
 深圳のマンションでもダニにやられました。この時は、中国だったので防虫剤がなく、休日まで樟脳で凌ぎ、日曜日に香港迄バルサンを買いに走ったものです。
 5軒目は、前にも書いたベッドから一歩でトイレの極狭マンション。キッチン無しでした。
 ある日、就寝していると腕に猛烈な痒みが走りました。飛び起きると、わらわらと小さな蟻が自分に集っています。「ギャーッ」ですよ。
 しかし、朝になると嘘のように蟻の姿形もありません。その後も一切蟻は出没しません。あれは何だったのか…未だに訳が分からない。
 因に上記は全てエレベータ無しの唐楼と呼ばれる建物です。
 シンガポールは、同性の実業家のお宅への間借りでした。こちはら香港と違い閑静な住宅街にある高級マンション。サンルームまでありました。
 その一室です。オーナーも良い人で、いつの間にか食事付きにもなっていました。
 ただ神経質な方だったらしく、事前に喫煙の旨伝えてから契約したのですが、ある日帰ると、部屋のドアの前に敷物が巻かれて下の隙き間を塞がれていました。煙草の臭いが洩れるんだって。
 また暫くすると、シャワールームにモップが。シャワーの後、床が濡れるんだと。って、当たり前じゃん。しかも直ぐに乾くのですよ。
 しかし、不思議と嫌でもなく気にするでもなく、淡々と過ごしておりました。休日に部屋で寝ていると、突然「○○(私の名前、しかも呼び捨て)」と孫娘がしょっちゅう入って来ましたが(笑)。
 バンコクではサービスなしのサービスアパート。何故ならサービスは別料金なので契約しなかったから。含まれるのはシーツとテレビで、週1回の清掃とシーツ交換です。どうせタイ語なんか分からないのでテレビは観ないし、掃除、洗濯は自分で行えば良いだけですからね。
 それで毎日手荒いでした。
 奇麗で広くて、ベランダ付きの部屋でしたが、シャワーヘッドを桶に突っ込んで洗濯中。初めての感触が…。ピリピリと腕に伝わる弱い痺れ…ああ、漏電でした。もし、もっと強い電流で、シャワー中だったらと思うと背筋がゾッとします。




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チンゲン菜のココット風。本鮪(まぐろ)のステーキ/重慶マンションに泊まる

2014年11月11日 | 田舎生活の衣食住
 今年はいち日の中で、気温の差が激しいですよね。綿入れを着込んだかと思えば、シャツ一枚になるといった具合で、着たり脱いだりが忙しい。
 夕方蚊が一匹侵入し、何処に行ったか分からないので、部屋中バルサンのように、蚊取り線香を焚きましたが、その煙の中で、炬燵に入るといったおかしな事になりました。

 昨日の献立です。卵が崩れているのは、執拗にカラザを取るためです。なので我が家は目玉焼きは出来ません。たれ目焼きになってしまいます。どうしてもあのカラザは許せない(笑)。




 本鮪のアラをガーリックステーキにしました。食べ堪えありの大きさ。その美味しい脂で、モヤシを炒めました。





 ちょこっと仮眠をしては起きて作業。そしてまた仮眠して作業を繰り返したため、起きる度にコーヒーを飲んでいたので、カフェイン取り過ぎ。最近、押さえ気味にしていたのに、また、今日から押さえるぞ。

 香港を一時離れ深圳に住んでいた頃です。用事があって香港に宿泊する事になったので、高富旅館(ホステル)を予約しておきました。ですが、前にも同じ目にあったのですが、幾ら予約を入れていても、当日部屋が無い。空かないのだそうです。
 折り悪く、その時は香港の連休で、どこのホテルも満室状態。最悪の場合は深圳に戻って通えば良いだけですけどね。片道45分くらいは東京なら当たり前ですしね。
 そして、最後の綱として出向いた重慶マンション。そうチョンキン・マンションです。目指したフロアまでエレベータで向かうも、迷路の様な通路に四苦八苦。
 辿り着くと、有りました。早速ひと部屋をキープ。しかも悪名高き重慶マンションとは思えない程清潔で、開け放した窓からは良い風が入ってきます。
 何なら、香港で住んでいたアパートよりも上等でした(笑)。
 ですが、内鍵が壊れていて掛らない。フロント(とも言えないけれど)に言いに行くと、確かめにきてひと言「誰にも言うなよ」。って、それで良いのか!?
 ドアの前にチェスト(とも言えないちゃっちいやつ)やら椅子やらを積んで眠りましたよ。気休めですけどね。
 翌朝、そのホステルに繋がる階段に血糊がこびり付いていたのが怖かった。結局2泊で切り上げ、静かに深圳に戻りました。
 先日書いた「高富旅館」。銅羅湾の「ソゴウ」の北側にあります。ここは中々良いですが、予約を入れていても泊まれない。最初に訪った時も、当日はほかのホステルに変更を余儀なくされました。
 そこが(名前を忘れたと言うか知らない)、旅行で泊まるにはちょっと悲しくなるような所でした。後に香港に住むようになってからなら難は感じなかったでしょう。
 ビックリしたのが、一般家庭のような玄関口に小さなカウンターがあって、まるで風呂屋の番台のようなのですが、係の人は、どうもその裏で眠っているようでした。訪れたのは深夜だったのですが、カウンターの裏からぬぼーっと起き出してきたのです。
 香港はとにかくホテルの宿泊料金が高いので、「高富旅館」はお勧めです。泊まれないことの方が多いけれど。
 アメリカでお勧めは、「ベストウエスタン」のモーテル。これはチェーン店で全米大陸のどこにでもあります。安価で失敗がないので、アメリカ旅行の際は良く利用しました。
 若い時って、どんな所にでも泊まれますが、年を重ねるとやはりそれなりの設備が整っていたり、清潔でなくてはならなかったりで、宿泊に掛ける費用もかさみます。今更ホステルに泊まろうとは思わないですからね。
 海外ではありませんが、印象深かったのが、神津島の民宿(やはり名前忘れた)です。
 そこには小学生の海彦と未だ赤ちゃんの玉彦という兄弟が居ました。海彦は毎日銛を持って海に潜り海藻を取っていました。夕食で海藻が並ぶと、「海彦のお手柄か」などと話していたものです(笑)。
 もし、未だ民宿を経営しておられるとしたら、海彦がオーナーでしょうか?
 その民宿、食事は部屋に用意されるのですが、初日の晩ご飯はひとりにつき、お茶碗一杯分が人数分お櫃に用意されていました。今思えば足りなければ貰えば良かったのですが、「少ない」と言いながら、米粒ひとつ残さずにこそげとって食べたところ、翌日はお茶碗二杯分に増えていました。
 丁度良い量だったのですが、前日に続き、面白がって米粒ひとつ残さずに食べ切ったことろ、また翌日は三杯分に増えていました。
 またまた面白がって食べ切りました(笑)。しゃもじに付いた米粒まで、手で取って食べていたのでした(笑)。本当に米粒ひとつ残さず、毎日食べ切りました。
 日本国内では、この海彦の民宿が一番印象深かったです。
 




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大根と油揚げの煮付けをリメイク/ステージに立つ

2014年11月10日 | 田舎生活の衣食住
 粗相が多くて難義しています。これって加齢による反射神経の衰退や、注意力・運動能力の鈍りが原因なのか、そもそも粗忽者なのか? 昨日は、買って間もないオーブントースターの足を引っ掛けて折ってしまいました。接着剤でも付かず、テープを巻いても駄目で、現在不安定になっています。
 物を壊したり、己自身をぶつけたりなど多いです。良く、老人の(車の)運転は危ないと言いますが、似た様な原理なのかも知れず、ショック。

 大根と油揚げの煮付けも残り少なくなり、大分飽きてきたので、すき焼き風にリメイクしました。もともとは、出汁を利かせた薄味だったので、砂糖と醤油を足してチンゲン菜と卵を加えました。これでメイン料理に昇格です(笑)。
 直火にかけて温めているのは、ホーローのタッパーです。これ煮炊きも出来るし、蓋をして保存も出来るし、気に入っています。ほかにステンレスもありますが、ホーローの方が、直火で焦げないです。




 わたくしの記憶が正しければ、確か、わたくしの趣味は旅行だった筈。なのに、ここ数年何処にも行っていない。今年の初めに館林城址を訪った切りです。正確には行けなかったのですが、またむくむくと旅心が首をもたげ始めました。
 しかし、もたげた首が直ぐに引っ込みます。インターネットで風景を見ていると、それで満足してしまうのです。違うじゃん。もっと空気や触れ合いや醍醐味や…。そうなのですが、思い腰がえいっと持ち上がりまそうにありません(笑)。
 変化の無い日常の幸せってやつですかねぇ、違う違う。ものぐさなだけ。
 何処に行きたいかと思いを馳せると、冬になると妙に五箇山、白川郷にそそられます。しかし、そこまで足を伸ばすなら郡上八幡、近江八幡へも行きたい。と、なって調べているうちにお腹いっぱいになってしまうのです(笑)。
 旅行って行きつけないと出掛ける迄が億劫ですよね。
 そんな訳で、毎日のブログも面白くもない、しみったれた我が家の食卓です(笑)。

 ショービジネスが好きで、そもそもニューヨークにもミュージカルを観る為に通っていたところもあります。中でも「キャッツ」。相当にはまりました。「キャッツ」の中で、猫さんが観客のひとりと踊るシーンがあります。どうも中央近くの通路側の確率が高いと知った時から、座席を選ぶ時はその辺りをマークしていたのですが、一向にお声が掛からない。
 日本人が皆が皆尻込みする訳じゃないのだぞ。と心の中で呟いてみても猫に分かる筈もなく、結局踊る事は出来ませんでした。
 代わりに踊ったのがグアムのリゾートホテル。こちらもダンサーが観客をランダムに選び、ステージに連れ出して一緒に踊るのですが、踊っちゃった(笑)。
 実はこのグアムは仕事で訪れたのですが、ひと足先に会社に戻った同僚が、その時の写真を我がデスクに表向きに置いておいた為、社員が皆知るところとなった次第(笑)。赤っ恥です、はい。
 上海では、小さな小さなイベントですが、「日中歌合戦」に出演しました。日本人は中国語で、中国人は日本語で歌い競うイベントです。
 黎明(レオン・ライ)の歌を歌ったのですが、そもそも歌詞を暗唱する気がないものだから、手持ちで歌詞を見ながらでした。今思えばカンペにすれば良かったのにね(笑)。
 そんなですから優勝は逃しましたよ。しかし、興味を引いたらしくステージから下りるとローカルのケーブルテレビの取材を受けましたです。はい。
 とんだ赤っ恥はその後。ビデオに撮影してくれていた知人がおり、それを観て「ああ、恥ずかしい」と真っ赤になりました。
 思えば、己の動く姿をビデオに撮影されたのは初めて。「こんなに恥ずかしいものなのか」と改めて実感した次第です。やはり裏方の方が性に合っているようです。




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終日大根と油揚げの煮付け/親切を踏みにじられる

2014年11月09日 | 田舎生活の衣食住
 陽が射さないと寒い。でも、寒さって、これくらいで十分ですよね。なんて甘い考えでおりますが、今年はついに、寒さが身に染みるので、炬燵のほかに石油ストーブを出そうと思っております。あるのですよ。一応。
 最後に使ったのは東日本震災の折りでした。当日は、ガスと電気がストップしてしまった為(知らなかった)、慌てて石油ストーブを引っ張り出して、物置から灯油を出して(ストックがあって助かりました)お湯だけを沸かせました。水道は当日はきていましたが、翌日は節水で、飲料水が精一杯。二晩入浴も適いませんでした。
 その後の計画停電は周知の事。そんな緊急事態なのに、震災翌日に、チョロチョとしか出ない貴重な水を、玄関に撒いて掃き出し、挙げ句は庭にも撒いていた近隣の方に、唖然としたものです。
 計画停電中も外灯をこうこうと照らす皆様。どうなっているのだと、憤慨しました。
 我が家なぞは、陽が完全に落ちる迄、外の灯りで過ごし、早めに就寝。江戸時代のように過ごしていました(笑)。それでも計画停電中、どうしてもパソコン作業が必要な場合もありましたが(バッテリーで使用)、真っ暗な中でパソコンだけの灯りで、ブラインドタッチが出来て良かったと思ったものです。
 あの頃は、洗濯機の最後のすすぎの水もキープしていました(二層式だったのです)。いざという時、トイレの洗浄くらいにはなりますからね。
 そして、びっくらこいたのが、数日経って、補充しようとしたトイレットペーパーが、何処にも売っていない。忽然と姿を消していたのです。
 「どうして?」。懐中電灯なら分かりますが(こちらも品切れ)、何故にトイレットペーパーに繋がるのか未だに不思議です。
 あっ、大きく話が逸れてしまいました。昨日は、大根と油揚げの煮付けを蕎麦の具にして、それからご飯の副菜にして終日食べ続けていました。箸休め、箸休め(笑)。ちょっとの量でも小鉢があると贅沢な気分に浸れます。小せえ幸せだけど(笑)。







 秋刀魚は、昨日は南蛮漬けにして頂きました。旬物なので、焼いて大根おろしと醤油がベストですが、南蛮漬けも新鮮だとひと味違う美味しさでした。また拵えようっと。
 そうそう、その煮付けには椎茸の茎も入れたのですが、傘の部分はストックにしようと干していたのですが、生憎の曇天。今日は雨の予報なので、カビては台無しです。バター焼きにでもしましょう。
 
 ペナン島での航空機キャンセル事件は以前書きました。振替輸送を望む乗客たちでごった返す搭乗カウンター前で、指一本でコンピュータをノロノロ叩く地上係員に切れた話です。
 実は、この時、日本人のバンコク駐在員(たまたま空港からの送迎が一緒になっただけ)が居たのです。その人、駐在員のくせに英語が出来ないばかりか、何も出来ずにおろおろしているだけ。出来ないというより何もしようとしないのです。
 見知らぬ人なのだから捨て置けば良かったのですが、そこは情のある日本人。一緒に振替便の席を取ってあげて、ボーディングゲート迄連れて行ってあげて、乗り継ぎ便も伴って、てんやわんやでバンコクに着いた途端。
 「僕はタクシーですから」と、礼も言わずに行っちゃった。……。だったら乗せて行けよ! と思いませんか? それより先にお礼は? あんたひとりだったら未だクアラルンプールだったんだぞ! もう顔かたちも忘れましたが、何だったのだろうか…ああいう奴って増えていますよね。
 日本人って(自分も土着の日本人ですが)、海外で日本人に会うのを嫌いますよね。香港で何かを探している親子連れの3人組が居ました。地理からいって「ペダービル」だと思われました。若い娘さんもいたので。
 自分と同行していたローカルの友人が、「日本人が困っているから助けたら」ととんでもない事を言い出したのです。何故かと言うと、結果が分かっていたからです。
 仕方なしに、「何処かお探しですか」と声を掛けましたとも。そして、完全に無視されました。3人が一斉にこちらを向いたので聞こえていなかった訳ではありません。
 ちょっとばかり嫌ーな気持ちになりました。それとも自分が怪しい人の見えたのだろうか? ほうら、いらぬ心配をしてしまったじゃないか。なんだかなあと考えさせられました。
 こちらは下手に関わらなかった話です。サンフランシスコの路面電車に乗車していた折り、日本人のハネムーンと思しきカップルが居ました。どうも何処で降車して良いのか分からないらしく、女性が仕切りに男性に向かって「聞けば良いじゃない」。「聞きなよ」ともはやヒステリックに声を荒げていました。男性は言われっ放し口答えひとつせずに黙ってモジモジするのみ。
 「男って大変だなあ」と最初は思っていましたが、女性に向かって、「だったらあんたが聞けば良いじゃないか」と言いたくなりました。もちろん、言いませんよ。それ程おせっかいではありませんから。こうなる事を想定していなかったのだろうか…。
 しかし、バックパッカー同士となると話は違ってきます。出会った日本人とは概ね知合いになれます。お互いに頼る相手が居ないからでしょうか。情報交換なども多くなされますよ。そんなバックパッカーが嫌いなのがツアー客。まあ、向こうは大名旅行みたいなものだから、わざわざ小汚いバックパッカーと知合う必要もないのですが、話し掛けても冷たくされるのが落ちですね。





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初秋刀魚(さんま)/啜(すす)る文化

2014年11月08日 | 田舎生活の衣食住
 今年初の旬の秋刀魚です。脂が凄く乗っていてジュウジュウ焼ける良い匂い。やはり旬の物は食べ時ってことですよね。当たり前ですが。



 付け合わせには、大根と油揚げ、椎茸の茎の煮付けです。




 どうも埃が気になります。炬燵を出したせしたり敷物の為もあるのでしょうが、それにしても毎日掃除機をかけ、拭き掃除をしても全室フローリングのせいか、気になって仕方ないのです。
 そして気が付いた。ボロを着ているからではないのかと(笑)。家では、近年、前代未聞のボロボロになるまで継ぎ当てをして衣類を着用しています。Gパンなんか約15年物で、ブランド物ですが、今や見る影もなく継ぎ当てだらけ。それでもあちこち布が擦り切れています。
 ブランド物で思い出しましたが、香港に行くなら旧正月前をお勧めします。店が一斉にセールをし、70%、80%割引にもなるのです。
 因に、「コーチ」の鞄も約3000円くらいで購入。ブランドのスーツも同じくらいの価格で手に入れました。
 何より、大晦日、クリスマスなどは営業時間が異常に長く、24時間営業の店も多いのです。
 ただし、旧正月に入ると一斉に休みになります。
 話がそれたので埃に戻すと、ボロ着のほかに冬になると自分が粉粉になる為だと判明。粉ふき芋よろしく、脚などは粉をふいていますからね(笑)。

 世界中で日本人が麺を啜る音が、嫌悪されているって良く耳にしますよね。実際に、「どうして(啜るのか)? 美味しいという表現か?」と真顔で聞かれたことがあります。
 そもそも欧米には啜る文化がなく、スープもスプーンを口の中に入れて傾けて飲んでいます。日本人は口の先で啜るから音がするのです。
 だが、言いたい。麺を啜る音が気味悪いと言うのなら、中国人よ、あんたらの口を開けて咀嚼する行為もかなりのもんだ。それは良いのか? 美味しいというクチャクチャなのか? それと、口の中の物を食べている皿にペッペと吐き出すのも良いのか?
 あんたらに比べたら、麺を啜る音なんか比じゃないと思うのはわたくしが土着の日本人だからでしょうか?
 西洋人よ、第一あんな金属(カトラリー)を口の中に入れて繊細も何もあったもんじゃない。
 アメリカ人よ、あの馬鹿でかいハンバーガーに、耳迄割けそうに大きな口を開けてかぶりつき、コーラーをゴクゴク喉を鳴らして流し込む。これは良いのか? 良いと思います(笑)。
 ただ、初めて本場の「バーガーキング」でチーズバーガーを食べた時、本当に口角が切れ血が滲みました。あんな厚さをものともしないアメリカ人って「どんだけ口がでかいのだ」と思ったものです。そしてドリンクの大きさにもびっくり。どんだけ膀胱がでかいのだ(笑)。
 そりゃあ太るよね。
 そんなことよりも、「私、麺が啜れないの」と、わざと啜らないで食べる馬鹿女。啜れない訳ねーじゃないか。第一、お前ぇ、煙草は吸ってるぞ。こういう馬鹿女は、必ず、片手で髪を押さえながら食べるのが常。前屈みで髪を押さえてふーふーして、麺を丸めて食べている。そんなことしてたら折角の醍醐味が台無しだ。
 だが、まだここまでは許そう。
 こういった馬鹿女は必ず、パスタやスパゲティは奇麗に巻けずにスプーンを取り皿のように扱って、啜っているのが常。
 なあにが「麺が啜れないの」だ。こういう馬鹿女に出会った時は、次回は必ずパスタ屋に道々するようにしています。そして心の中でほくそ笑むわたくしって性格悪いでしょうか?





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ポテトフライ/間違えちゃった旅先

2014年11月07日 | 田舎生活の衣食住
 ジャガイモ料理は余りしないのですが、このところの炭水化物大好き化の影響か、ジャガイモも食べたくてたまりません。どんな風にして食べようか…肉じゃがは鉄板だし、マッシュポテトも美味しいし、ハッシュドポテトも捨て難いし、ジャガバターも良いなあ。色々考えた結果、塩胡椒で味付けをしたシンプルなポテトフライにしちゃいました。
 ほくほくして美味しい。一気に食べてしまいました。




 んんん、思うに、ご飯を二膳にしようか検討中です。本当にお菜なしでも十分なくらいに麦飯だけれど、美味しいのです。
 そんな訳で昨日のお昼も、納豆の味噌汁と切り干し大根、モヤシの酢の物のお菜だけでご飯をしっかりと食べました。
 天高く馬肥ゆる…わたしも肥えそうな秋となりました。

 大分遅ればせながら「リーガルハイ」を観ています。いや、観ていると言うより聞いています。ほかのドラマや映画も、コンピュータで作業をしながらバックグラウンドでDVDを流しているのが常なので、三度観ても新鮮です(笑)。
 なので会話を楽しむ映像は駄目ですね。作業しながらなので、全く頭に入ってきません。じっくりと集中して観たら面白そうですが、それが出来ない。
 コンピュータで作業をしていなくても、何らかんら気になってちょこまか身体を動かしじっとして居られないのです。だからテレビもほとんど観ません。
 お風呂も何もせずに浸かっているのが苦手。だったらどんな時にじっとして居られるかと言うと、本を読んでいる時くらいでしょうか? 本はググっと集中出来るから不思議。最も本を読みながら何も出来ませんがね。
 
 何を血迷ったのかジャマイカにひとり旅。泊まったところは市街地から離れたリゾートホテル。町へ出るには車が必須です。徒歩範囲には小さな雑貨屋が一軒と牛しか居ませんでした(笑)。
 リゾートを一歩出ると、ど田舎の景色が広がります(町の名前を忘れました)。
 行ってみて知ったのですが、ジャマイカはアメリカ人がハネムーンや家族旅行で訪れる所でした。個人旅行者なんか居やしない。観光する場所もなし。
 する事もなく、海でキャーキャー波と戯れようと、何をしようと孤独感が増すばかり。旅行はひとりに限ると断言している自分ではありますが、リゾートだけはひとりは駄目だを実感しました。以後、リゾートへは足を運んではおりません。
 マレーシアも失敗でした。クアラルンプールでしたが、こちらは泊まったホテルが悪かったのです。日本人が嫌いなのか、それとも黄色人種が嫌いなのか、「あなたに何かしましたか?」と言いたくなるくらいに感じが悪い。部屋の鍵さえも投げて渡されるくらいでした。
 旅の善し悪しって、出会った土地の人の印象に寄るところが大きいですよね。
 なので、旅の印象は最悪です。最も訪れた目的は日本のドラマ・映画のDVDを買う事だったのでした。しかし土地勘はありません。第一売っているかの確証もなかったのです。
 自分は重度の方向音痴で、「一度行けたからってまた行けると思うなよ」と公言して止まないのですが、何故か野生の勘は働くのです。
 直ぐに見付けました。バッタもんのDVDを売っている店が入ったビルを。
 マレーシア、シンガポールは食べ物も合わないので、「二度と行かない」確率200%です(笑)。
 ほかにも、ヨーロッパはパリ。幾ら「オーシャンゼリゼ」なんて歌いながら歩いても、ちっとも心躍らないばかりか、「ムーランルージュ」と「ベルサイユ宮殿」しか印象に残っていません。もっと色々観たのだけれどね。これも間違いだと気付きリピートはしていません。
 因に、ローマやギリシャ(アテネとどっかの島)などは、パリ程希薄ではなく印象に残っていますが、どちらかと言えば、行かなくても良いくらい。
 思うにアメリカを好きな人間には、ヨーロッパは合わないのではないでしょうか。その反対もしかり。
 そんなアメリカもナッシュビルが間違いだった話は以前に書きましたが、サンディエゴとLAも車がないと厳しい町でした。サンディエゴは泊まったモーテル(第一ホテルじゃなくてモーテルだもの、車主体だろう)がかなり遠くにあり、どこに行くにも車がなくては動けなかったのです。
 地図を広げてあれやこれや聞いていたところ、ホテルのレストランの従業員が目的地まで車で送迎してくれたのが忘れられません。だからアメリカって好きなのさ。
 LAはたまたま知り合いがいたので、車であちこち連れて行ってもらえましたが、それがなければやはり動きの取れない町です。
 やはり自分の足で歩ける所が良いですね。それと、これは国内外を問わず、チンチン電車(古っ! 路面電車です)が走っている光景が好き。
 だから香港など打ってつけだったのです。上海もね、「トライ」を観たイメージで行っちゃったから、チンチン電車が走っておらず、随分と落胆したものです(笑)。そんなチンチン電車、上海の映画村で乗る事が出来ましたけどね。
 日本国内なら、さしづめ熊本でしょうか。チンチン電車の走っている町に住みたい。 




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紅花マーガリンにはまる/航空機トラブル第二弾と社員旅行

2014年11月06日 | 田舎生活の衣食住
 紅花マーガリンという物を食べてみました。そこはかとなく甘い香りがして、「美味しい」。知らなかった。ここまで食文化が進んでいたとは。
 暫くはトーストにはまりそうです。しかもシュガートースト。カロリーが心配ですが、食べたい物が旬の時ってね。
 そこで、トーストに合わせてカレー・スープも拵えました。
 こうしてブログにしてみると、年々貧相になっていく我が家の食事。手間も掛けていなくなっている。ですが、そう不都合を感じないと言うか、これで、満足なのです。ただしセーブしないと、取り留めもなく炭水化物を摂取してしまうのです。
 お菜は納豆に青菜でもあれば十分。以前は具沢山の味噌汁が欠かせませんでしたが、何なら味噌汁抜きでも良くなっています。
 その代わりと言うか、果物を良く食べるようになりました。以前は、ほとんど口にしなかったのですが、必ず何かしかの果物を置いて、小腹が空いた時に食べています。
 食の好みって変わるものなのですね。
 時として、我慢出来ないくらいに食べたくなるのが、ラーメン。好きですねえ。海外から帰国して先ず最初に食べるもの、寿司でも天ぷらでも、すき焼きでもなく、ラーメン。大荷物を抱えながら狭いカウンターだけのラーメン店に入る事もしばしばでした。
 この時は、かなりのこだわりが自分の中で出来上がっているので、その店のラーメンでなくてはいけないのです。決して我慢できないからと成田空港で食べては駄目なのです(笑)。


 写真はイメージです。



 航空機トラブル第二弾。思い出しました。デンバー初ロサンゼルス行きのアメリカン・イーグルです。豪雪のため、乗る筈の飛行機が欠航となり振替輸送になったのですが、コンピュータで処理しているにも関わらず、一定の人数の乗客を乗せると、地上係員が機内で人数を数え始め、また一定人数を乗せて数えるを繰り返していました。「すげー、アナログ」。
 こちらもアメリカン・イーグルにて(発着地は忘れた)、トラブルと言う程ではありませんが、食事サービスのカートに不具合があったようで、太っちょのおばはんキャビンアテンダント(アメリカの航空機はおばはんのキャビンアテンダントが多い)が、両手の指の間にトレーを挟んで計4人分づつ配っていました。
 その迫力にアメリカの底力を感じたのでした(笑)。
 成田初ニューヨーク便にて、我がシートが外れていた事がありました。座るとスルスルシートが滑るのです。こんなシートに吸われる筈もなく、直ちにフライトアテンダントに席の移動を希望するも、折り悪く満席。すると整備スタッフが乗り込んで来て、修理を始めました。当然ですが、その為に離陸時間が遅れ、自分は何も悪くはないのですが、何故か恐縮したという話。
 また、我がシートのライトが壊れていた事もありました。これも、直ちにフライトアテンダントに報告。すると、小型のボタン電池仕様の簡易ライトを取り付けてくれました。小さいけれど光はしっかり届きます。これは便利。
 話は変わりますが、航空機のカトラリーが未だステンレスだった頃です。現在はハイジャック防止の為、プラスチックの使い捨てが主流。
 そのカトラリーを集めていたのです。フライトアテンダントにかなり切に懇願するとくれますよ。

 航空機トラブルではありませんが、うんざりした話です。それは香港で働いていた会社の社員旅行で、海南島に行った時の事です。
 そもそも社員旅行などは行きたくないのですが、その時は仕方なしに出掛けました。
 そして我が一行の社長(50代半ば独身女性)が、とにかく困り者で、チェックインから離陸まで30分くらいしか時間がないのに、「食事しよう」と言うのです。
 30分前といえば、個人旅行ならボーディング・ゲート前に陣取っているのが常。ですが、ちょっとでも逆らうと御機嫌を損ね、切れる人なので仕方なしに付き合いました。
 レストランではなく、カウンターから直ぐに受け取れる店にした事は言う迄もありません。
 なのに、なのに、件の社長は、ビールを飲み出し始末。ビールだけではなくしっかりと食事も目の前に置き、到底30分では無理。この時点で、「空気読めよ」と思いましたね。
 早食いして食べ終わり、如何にも手持ち無沙汰を装っていると、「先に行っていて良い」と言い出したので、、見捨てました(笑)。
 そして搭乗が始まります。社長改めおばはんの姿はありません。最終搭乗案内が流れてもおばはんは来ない。
 搭乗口前には自分と同僚、そして地上係員だけになると、ようやくおばはんが、携帯電話でどうでも良い電話をしながらのろのろとやって来ました。
 離陸時間は? もちろん遅れましたよ。
 こんなスタート、楽しい筈もなく、その後も観光をしたいスタッフにお構い無しに、「朝は起きられない」から午後から一緒に行動しようと言い出す始末。
 折角の旅行です。捨て置きました。こちらは朝からアクティブに動き回りましたよ。
 帰りの空港でもまたビール。しかもポテトチップスを食べながら、飲み口にそのカスを付けたビールを飽きると「飲め」とスタッフに渡す。「勘弁してくれよ」。もちろん捨て置きました。
 だから人と旅行に行くのは、国内外を問わず好きではないのです。自分のペースで動けず目的の半分くらいしか達せられないから。





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パングラタン。本鮪(まぐろ)の煮付けを食す/洗濯事情

2014年11月05日 | 田舎生活の衣食住
 グラタンと言ってもチーズを乗せただけですが、ハヤシ・ソースでパングラタンにしました。食パンは焼いた方が好みなので一度トースターで焼いています。




 昨日から煮ていたニンニク醤油で甘辛に煮付けた本鮪を食しました。さすが本鮪。脂が乗っていて、もの凄く美味しい。薄味ですが、味がしっかり染みていてニンニクも合いました。





 ミカンの美味しい季節です。毎日食べています。学生時代、一時ミカンにはまり、夕食代わりに毎日ミカンをひと袋食べていた時期がありました。風邪知らずでしたよ。




 ちょっとした自己嫌悪に陥っています。それは、うたた寝のつもりが、炬燵で寝てしまいました(笑)。別にどうと言う事はないようですが、きちんと布団で寝ないと、何故か悪い事をしたかのように思えるから不思議。
 寒くなりましたが、陽射しがあればポカポカの季節になりました。我が家の縁側は本当に暖かく、真冬でも陽が当たれば暖房いらずです。
 外に洗濯物を干せない日でも、縁側に干しておけるので、本当に重宝している一画です。

 海外生活では、ほとんどの部屋がベランダもなく、かつ空気も悪いので室内干しが原則でしたが、どうも生乾きのようで気に入らなかったのです。
 そうそう、上海で良く見掛けたのは、ボロボロの布団と言えない、綿の固まりを干していた光景。中国人って布団が大好きで、列車やバスに大きな布団を抱えて乗り込んでいました。
 また、上海では洗濯物も外に干しているのは良いとして、木の枝にまでぶら下げていたのが結構笑えました。 
 狭い香港では、物干竿を横ではなく縦に突き出しているのは有名ですが、あれはどうやって干しているのか不思議でした。
 香港名物の光景でもありますが、香港には重さで計り乾燥迄してくれるランドリー・システム(以前紹介)が主流でした。とにかく重さが物を言うので、濡れたタオルなどは一度乾かしてから洗濯に出していました。
 そして重たいバスタオルを使う習慣が、ここで無くなり、未だにバスタオルは使っていません。
 風呂上がりはタオルで拭いて、一度使ったら洗濯しています。
 海外では、本当に洗濯には悩まされました。出来れば毎日でも洗いたい。そしてその日のうちに乾いて欲しい質なので、香港でランドリー(ごんさいと言いますが漢字は分かりません)に出すにはある程度たまらなければならず、汚れ物があるのが嫌で嫌で。
 また中国大陸では洗濯機はあっても室内干しなので、何時でも部屋の中に洗濯物が干してある生活。
 タイのみはベランダがあったので外干し出来、かつ半日で乾きましたが、洗濯機が無かったので手洗いでした。シーツなどの大物は休日ににまとめ洗い。その他は、毎日手荒い。
 それを思うと、コインランドリーのある日本やアメリカなどは素晴らしい。
 それにしてもどうして中国にはコインランドリーがないのだろう? 盗まれるからだろうか? それともそんな物にお金を出したくないからだろうか?
 因に、香港で住んだYWCAのマンスリー・マンション、上海のホテルにはありました。
 タイでは一軒だけ、日系のコイン・ランドリー屋がありましたが遠くて利用した事はありませんでした。
 






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ハヤシライス。本鮪(まぐろ)の煮付け/本場ニューオリンズでジャズを聴く

2014年11月04日 | 田舎生活の衣食住
 寒い朝です。最低気温が一気に8度もさがりました。喉が若干いがらっぽいので、気をつけなくちゃ。
 毎年冬に成ると、家の内外を問わず、喉にバンダナを巻いています。これ一枚だけで風邪知らずです。お試しください。

 昨日から煮込んで寝かせておいたハヤシライス。時にはソース掛けご飯も食べます。基本は白飯だけれど。
 ハヤシライスを食べる時に、「カレーも良いけどハヤシもね」という大昔のコマーシャルのフレーズが脳裏を過ります。若い人は知らないでしょうが、当時は、ハヤシって何? くらいに衝撃な食べ物でした。
 同時にそのコマーシャルのフレーズも忘れられないくらいのインパクトでした。



 本鮪のアラ198円。ずっしりと重くかなりのお得感です。しかも、刺身のサクほどの大きさのアラが3つも入っていました。そのほかにも小さな切り落としがありました。
 塩焼きにしようか悩んだのですが、ニンニク醤油で煮付けてみました。


 


 ジャズが好きです。正確には若かりし頃、好きだったのを思い出しました。
 アメリカ横断をした二十代時、ジャズの本場ニューオリンズは外せません。そして古い町並みも好きな自分にとっては正に求めていたアメリカです。
 期待に胸を膨らませて訪ったニューオリンズ。決して期待を裏切る事はありませんでした。後に、何十回となくアメリカに行く事になるのですが、そのほとんどはニューヨークとニューオリンズのリピーターに終始しました。
 そんな最初のニューオリンズ。泊まったホテルが良かった。「バーボン ストリート」のど真ん中にあったコロニアル風のホテルだったので、テラスからも町の喧騒が楽しめたのです。
 「バーボン ストリート」には小さな間口の見世が軒を並べ、どこでも演奏がされていました。そんな中の一軒で耳にした、「マイガール」の曲が今でも忘れられません。ハスキーボイスの若い黒人男性が歌っていました。
 お目当ての「プリザベーションホール」にもジャズを聴きに行ったのですが、ホールとは名ばかりの小さな小屋(笑)。ぎゅうぎゅう詰めに観客を入れるので、前列は地べたに座ります。
 妙に年を取ったトランぺッターの爺さん。ほかの人の演奏の時は、まるで死んでしまったかのように身じろぎひとつせず、己のソロパートの時のみシャキッとしていたのが印象的でした。
 そして自分のパートが終わるとまた椅子に腰掛けて死んじゃったかのようになる(笑)。
 同じような光景が上海のオールド・ジャズ(「和平飯店」、現「フェアモント・ピース・ホテル」)でもデジャブのようにありました。椅子に座ったままのパーカッションのお爺さんが、立ち上がって自分のパートを演奏すると、割れんばかりの拍手。そして終わるとまた、鎮座して身じろぎをしない。
 多分、往年は金管楽器で成らした人ではないのでしょうか? 年老いて金管楽器がしんどくなってパーカッションへ変更した有名人をみた!
 時給にしたらもの凄い高給取りです(笑)。 
 話をニューオリンズに戻します。
 航空機の規則が年々厳しくなっていく中、ニューオリンズ便だけは治外法権(?)。当時でも既に見掛けなくなった2チャンネルのスピーカーの付いた大きなラジカセを肩に担ぐ、黒人が何と多い事か。そして彼らが各々機内で大音量の音楽を聴いていました。
 また、航空機内や空港での喫煙も大分規制されていたにも関わらず、結構自由でした。
 太っちょも多く、エコノミーの座席2席分なければ座れないアメリカ人があちこちに居るので、地上係員が、離陸前に機内のチェックをし、左右が対称の重さになるように微調整していきます(笑)。
 何度目かの訪問時に空港から市街へのリムジンにて、客は自分ひとり。陽気なドライバーが、「案内してやる」と、ゲイバー迄乗り付けたのでした。
 すると、すげーっ。スタン・ハンセンのようなおっさん二人が抱き合ってキスをしておりました(笑)。
 余談ですが、ニューオリンズでは男女の下着は一緒に干してはいけないといった法律があるそうです。観光では楽しめますが、未だ色々な差別もあるのでしょうね。




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ハヤシソース/日本人は自分を白人と思っている

2014年11月03日 | 田舎生活の衣食住
 ひと晩寝かす為に、ハヤシソースを煮込みました。ビーフ抜きの玉ねぎとニンジン、それにゆで卵。昔はこういった種類の市販の素は限られていましたが、現在は実に多くの種類が出回り、かつ凝っているので、スパイスなどを加えなくても十分美味しいのが嬉しいですよね。
 今日はこのソースがメインです。



 冷蔵庫の中がほとんど空になり、野菜しかなくなったので、本日は買い出しです。


 日本人=金持ちといった偏見は未だあるようですが(自分のように貧乏な者もいる)、金持ちが故優遇されてきているせいか、どうも自分たちを白人(同様)だと思い込んでいる節があるようです。かく言う、自分もそんな思いを抱いていました。
 それが頭から打ち砕かれたのが、アメリカはナッシュビルでした。
 アメリカ大陸を横断した折りに立ち寄りました。どうして行ったかと言うと、堀内孝雄の歌に「夢にまでみたナッシュビル憧れのテネシー」といった歌詞があり、妙に心引かれたのでした。
 そもそも人種差別の激しい歴史を持つ地域です。滞在中有色人種に出会ったのはたったひとり。空港内で清掃の仕事に従事していたチャイニーズだけでした。
 バスを待つ間に、婦警に職務質問もされましたが、その婦警、わざとらしい笑顔を貼付けていたのを始めとし、何処でも違和感を感じた次第。食事や買い物でも針の様な視線を感じながらでした。
 一刻も早く脱出したい。そんな思いでした。
 日本人=白人といった穿った思いが打ち砕かれた瞬間です。
 「もう二度と来ない」。滞在中ずっとそう思っていました(笑)。それでも「オープリーランド」やカントリー・ミュージックの博物館などはきっちり観光は済ませました。
 湾岸戦争時のボストンでは、通りすがりの見知らぬ白人から「ジャップ」と蔑まれ(最も「ワスプス」と返した)もしました。ボストンは紳士的で、それまで何度か訪った折りは、大きな荷物を持っていると、通りすがりの人が持ってくれたり、建物に入ろうとすれば同じく通りすがりの人がドアを開けてくれたりしてくれていたので、これは意外な発言でした。
 後にアメリカ国内で、日本が湾岸戦争において米軍に資金を提供した事から「湾岸戦争に賛同している」と捉えられていたと知りました。
 その為に、戦争反対のアメリカ人の反感を買っていたようです(アメリカからの要求で資金を出したのですがね)。
 初めてのニューヨークの印象も良いものではありませんでした。「英語も出来ないのに来たのか」と、買い物をしようとして店員にさえ言われた次第。
 気持ちがすっかり萎えてしまい、大枚叩いてで掛けたにも関わらず、引き蘢りそうになったのを救ってくれたのがフランス人でした。
 買い物中、「ガス入りの水はないか」と何故か話し掛けられ、様子を伺っていると、フランス人も同様に冷たくあしらわれていたのです。「なあんだ。黄色人種だからだけじゃないんだ」と、気力を取り戻しました。
 その後、何度もニューヨークを訪っていますが、初回の様な嫌な印象はありませんでした。すっかりニューヨークにはまり、抜け出すのに10年の歳月を費やしたのでした。
 まあ、最初の印象が最悪であれば、後は+しかないですからね。
 こう毎回海外ネタを書いていると、如何にも語学が出来るようでしょうが、実は自分は語学センスが皆無。なにせ、「ユーウエルカム(どういたしまして)」と言われ、「フロムジャパン(日本から来ました」なんてトンチンカンな事を言っていたくらいです(笑)。
 そもそも学校の英語も成績は悪く、高校入試に際しては中学の担任から、「英語は捨ててほかで(点数を)稼げ」と言われ、無事合格した高校でも、英語教師から「(この成績で)良く、うちの高校に入れた」とまで言われた始末。
 なので、自分の英語はかなりスラングであり、アメリカ人になりたいくらいにアメリカに恋いこがれたが故に、実地で覚えたといったところ。
 なので、書く事はまま成りません。
 広東語も生活する為に必死で覚えたので、覚えようとしなかった中国語は、買い物がやっとといった程度です。
 海外に住めば自然に語学が身に付くものだと、簡単に考えていたのですが、勉強しなければ身に付かないものだと悟りました(笑)。
 
 



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揚げ餃子、柿の天ぷら/どうしても訪いたかったセーラム

2014年11月02日 | 田舎生活の衣食住
 またまた柿を頂きました。「嬉しい」。先日柿を天ぷらにして食べてから、どうしてもまた食べたかったのです。店で買おうか否か迷いましたが1個100円もするのは、我が家では高級品。柿に100円出すなら魚を買ってしまいます。
 早速、柿の天ぷらを拵えました。本当に美味しいですよ。騙されたと思ってお試しあれ。




 揚げ餃子と、柿の天ぷら、青菜のおひたし。





 牛筋と切り干し大根の煮付けを具にした焼きうどん。卵を絡めて出来上がり。かなり美味しくて癖になりそうです。




 どうしても訪いたかった所のひとつに、アメリカ・マサチューセッツのセーラムがありました。ボストン郊外です。何故かと言うと、子どもの頃観たアメリカのテレビ番組「奥様は魔女」でセーラムが舞台になった話があり、とても心引かれていたのです。
 アメリカ横断時、行こう! と意気込みボストンの地下鉄ホームに居た時です。話し掛けて来た地元の人から「今からじゃ無理だ」と言われ、一度は断念(後に無理ではなかったと分かる)。
 その時は見送りましたが、やはりどうしても行ってみたい。再度ボストンを訪った折りに、朝から張り切って出掛けました。
 所要時間は掛りますが、列車の本数は少ないですが、日本の感覚からはそれ程の遠出ではありませんでした。 ただし、列車は時刻通りには来ませんが(笑)。しかも無人駅です。
 観光も、「ウイッチ(魔女)ハウス」くらいしかありません。そう、その「ウイッチハウス」こそが「奥様は魔女」でサマンサが訪れた所です。特別に仕掛けがある訳でもないのですが、重厚な建造物に、レトロな家具や雑貨、こういった古い物がたまらなく好きなのです。
 ただ、帰りの列車が不安にあるくらいに遅れた事の方が、今となっては鮮明な思い出なのが悲しい(笑)。
 ボストンって、地下鉄が車両もホームも色分けされていて、とても分かり易いのが印象的です。
 そのボストンは随分前から公共の場や外では一切喫煙禁止でした。「ハーバードやMITに通おうかと思ったら煙草を嗜んではいけないのか。さすが、世界の頭脳」と思ったものでした。
 もし、アメリカに住む事があれば、ボストンが良いなと思います。
 ただ残念だったのが、名物クラムチャウダー。「名物に旨い物なし」でした。





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赤魚の粕漬け/シンガポールで「ダック」に乗った。現地ツアーにて

2014年11月01日 | 田舎生活の衣食住
 赤魚の粕漬け、牛筋と切り干し大根の煮付け、青菜のおひたし。無性に魚が食べたくて仕方ありません。これからの季節は魚と青菜でお菜は十分。




 牛筋と切り干し大根の煮付けを卵焼きにもしてクラブハウス・サンドイッチにもしました。




 シンガポール在住時に、当時始められたばかりの「ダック・ツアー」に参加しました。昨今は日本にも御目見えしているのでご存じかと思います。
 そう、水陸両用車による観光ツアーです。陸路から水中に入る時の醍醐味はアトラクションも兼ねているようで、人気だそうです。
 「ダック」という命名は、よたよたとアヒルが歩くように走るからもしくは、水陸を走るからと言われています。




 この「ダック」、元は何だかご存じですか? 実は米軍がベトナム戦争時の上陸作戦に使われた軍用車でした。
 実は試乗時、トイレ付きか否か同僚と話し合ったものです。同僚は、1時間以上のツアーなのだから有ると断言しましたが、上陸作戦の軍用車に「有る訳ねーだろう」。戦争の最中にトイレに行く奴がいるか(笑)。
 ツアーついでに香港初深圳ツアーの思い出。香港返還後初の正月でした。未だ香港に住む事など思いもしない旅行時です。香港からツアーで深圳まで出掛けた折りですが、同じツアーに参加していた日本人男性。とにかく切れる。直ぐに切れる。
 ツアーの出迎えが「遅い」とガイドに切れて捲し立て、「謝れ」と切れる。ガイドが香港人なので、謝らずに自分は悪くないと言い訳をしたものなので、仕舞には流暢な広東語で大怒り。香港在住者と思え、だったら幾らでも個人で行けるのになあ。
 そして、その男性、幾ら怒っていても散々怒鳴っていても、相手が素直に謝ると引き下がるのです。
 その後もツアーの集合に遅れた夫婦に切れ、「謝れ」と連呼。素直に謝ると怒りは収まります。
 何だったのだろうか? 何処で何を観たかよりも「謝れ」男が気になって仕方なかった初めての深圳でした(笑)。
 まあ、謝れば気が済むのだからそれで良いとしても面倒臭い人でした。
 現地ツアーに参加すると実に色々あります。初めての北京旅行も万里の長城までツアーに参加しました。当日の出迎えは普通の乗用車。なんと参加は自分ひとりで、ドライバーとガイド付きの豪勢な観光となったのでした。
 何せひとりなので集合時間などのロスもなく、時間が余ったのでしょう。3人でお茶をしたり、組み込まれているショップも「一応寄るけど買わなくて良い」などと、打ち解けたものです。「ほかに行きたい所があれば寄る」とツアーのコース以外も提案してくれたので、「○○記念館に寄りたい」と言ったところ、「あんな嫌な奴を観る必要は無い」と意外な発言がありました。
 ○○を書くのは憚られ、ご想像ください。
 パリでは大晦日の「ムーランルージュ」へ。ショー終了後は各自でバスが止まっている駐車場まで歩いて行くのですが、その所要時間は5分くらいのものでした。
 バスのドライバー曰く、「日本人のツアーは、直ぐに集合するから好き」だそうで、これがイタリア人になると、集合するのに1時間は要するとか。一体何処をどうほっついて歩いているんだか。
 大雑把に分けると、時間に正確な日本人ですが、日本人同士からみれば、やはり毎度毎度集合時間に遅れる人って居ますよね。時間前には必ず集まる自分からはとても信じられない人種です。それが度重なると、「謝れ」男が懐かしく感じられます(笑)。




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