1— 「能動的習慣」―メーヌ・ド・ビランへの関心の第一の焦点(3)
しかしながら、ビランにおいては、この分離可能性は、能動的自己がその感受する対立項からまったく独立にただ純粋な作用として自己自身に現れるということを意味してはいない。自己は、原因である限り、意志的な努力においてのみ直接経験されるのであり、この努力は、本質的に、「超器官的な力force hyperorganique 」と「器官的な抵抗résistance organique 」との間の因果的関係からなる。「内感の原初的事実は意志された努力の事実にほかならず、この努力は器官的抵抗から、あるいは、自己が原因である筋肉的感覚から切り離すことはできない」(Essai sur les fondements de la psychologie, p. 479)。内感の原初的事実においては、それゆえ、自己はつねに身体との関係において、つまり、「運動的力が展開される直接の項」との関係において把握される。自己は、この身体から区別されるが、それから分離されれば、自己の本性は必然的に損なわれる。この身体は、なんらかの表象として外化することのできない内的延長である「自己身体の内的空間」として把握される。それゆえ、この自己身体の表象不可能な内的延長は、「偶発的な感覚可能な諸部分が互いに限定しあっている」表象可能な外的延長から明確に区別されなければならない(De l’aperception immédiate, p. 124-125)。
能動的自己は、意志的努力の原因であるかぎり、器官的な抵抗がそこにおいて感じられる表象不可能な内的延長である自己身体から分離されることはけっしてない。能動的自己は、自己身体に対して超越的なものではないのである。自己は、「努力の中で把握された原因」(Henri GOUHIER, Les conversions de Maine de Biran, Paris, Vrin, 1948, p. 197)であり、「特殊な具体的所与」(ibid.)、あるいは、「厳密に個別的な経験」なのである(Maurice MERLEAU-PONTY, L’union de l’âme et du corps chez Malebranche, Biran et Bergson, Paris, Vrin, 1978, p. 48)。自己は、「因果性と恒常的な個別性との感情」を同時に持つ(De l’aperception immédiate, p. 124)。
ところが、西田は、「意志の努力 l’effort volontaire というものは意識界に於ける能働我の射影でなければならぬ」と書くとき、能動的自己がそこにおいてそれとして自らに現れる意識に対して超越的な実在であると見なしているように思われる。もし能動的自己がそのようなものであるならば、その固有の内容を意識の中に対象化しながらその意識の領野から独立した自己同一的なものにとどまらなくてはならない。そうでなければ、能動的自己は、対象化と同時にその本性が損なわれ、認識対象界に吸収されてしまい、因果性の起源としての独立した地位を失ってしまうからである。しかしながら、まさにこのような超越的自己と認識対象界との二元論に陥らないために、西田は能動的習慣をことのほか重視する。西田は能動的習慣に媒介者としての役割を見、それによって能動的自己の内容が認識対象界へと転換されうると考えるのである。「すべて習慣によって現れ来るものは、一つの客観的世界である。」つまり、西田は、習慣を媒介として能動的自己の内容が対象化されたものと客観的世界を見なすことによって、客観的世界の直接的認識へと導く途を探ろうとしていると言うことができる。言い換えれば、習慣という媒介項を挿入することによって、世界から切り離された独立の自己と世界の中に完全に没入して消失してしまう自己との二者択一という問題を解消しようとしているのである。
しかし、これはもはやビランによって提起されている問題ではない。ビランの立場からはこのような二者択一はそもそも問題にならない。西田が明らかにビランのテキストに依拠しながらこのような問題を提起するのは、意志的努力の中の原因-自己に固有な地位を完全に見落としているからである。ビランにおいては、意志的努力における内的な直接的覚知によって把握される自己が問題になるとき、この努力は、「器官的な抵抗を分離不可能な仕方で含んでおり、この抵抗は自己身体の内的空間と不可分」である(Essai sur les fondements de la psychologie, p. 506)。能動的自己によって内的空間として経験されている自己身体というメーヌ・ド・ビランの哲学において決定的に重要なこの次元が、西田においては完全に無視、あるいは見落とされているのである。それゆえ、特殊な個々の自己の還元しがたい立場も自己による自己の特殊的個別的な直接認識の根源的価値も、少なくともこの当時の西田のパースペクティヴの中には、見出しがたいのである。そして、個別的自己の還元不可能な立場についてのこのような見落としこそが、自然界を「超個人的なる」能動的自己の習慣の投射されたものとして構想することへと西田を導いているのである。つまり、当時の西田の主たる問題は、客観的作用と主観的作用との統一の明証性、現実の世界をその内側から捉えることによって得られる直接的な認識の明証性が経験される次元の探究であったのであり、その論脈では客観的身体から区別された自己身体に固有な在り方という問題も、還元不可能な個別的な自己の立場という問題も提起されようがないのである。
しかし、ここでは、見方によっては粗忽とも言わざるをえない西田のこのようなビラン解釈を批判することが目的ではないのは言うまでもない。それはあまりにも容易なことであるし、それだけにとどまるならば、このような考察には、西田哲学研究としてもビラン哲学研究としてもほとんど生産的な意味がない。ここまで、私たちは、自己認識と世界認識との関係についての、場所の論理以前における西田による問題設定の仕方とその限界を、ビラン哲学との関係において明確化することを試みてきた。それによって明らかになった上記の二つの提起されえなかった問題が、場所の論理の展開とともにいかに提起され、西田がそれらにどのように答えていくかをこれから見てゆく。それを通じて場所の論理の問題性にも、一条の新しい光が当てられるであろう。