2 — 〈肉〉の現象学的存在論の鏡の中の歴史的身体
私たちがここで試みようとしているのは、西田哲学の思考の運動を、西田固有の用語から解き放って、西洋哲学のある哲学的言語空間の中で展開させることができるかどうかという思考実験である。しかし、それは西田哲学の成果を西洋哲学の問題圏に回収しようという意図からではない。むしろその逆である。西田哲学のいくつかのエレメントを西洋哲学の思考回路の中に導入することで、それらのエレメントがその思考回路の中にどのような反応を引き起こすか見てみようというのが私たちの企図だからである。
なぜ、メルロ=ポンティがこの実験の対象として選ばれたのか。思考形態の類似性や影響関係ということが問題であるのならば、ドイツ観念論の系譜に連なる哲学者たちをまずもって取り上げるべきであろう。しかし、私たちの意図は、類似性や親近性の論証それ自体にあるのではなく、哲学の根本問題を現在において問い直す新しい視角を見出すことにある。
メルロ=ポンティが『見えるものと見えないもの』の中で提示する〈肉〉という概念は、知覚する身体と知覚される世界との間に結ばれた原初的で分かちがたい存在論的な関係を指示している。この概念は、したがって、客観主義的な思考によって知覚世界に押しつけられた理論的な枠組みの問い直し、現れることそのことの場としての知覚の領野から私たちを遠ざけてしまう説明的態度に対する批判を内含している。
このような〈肉〉の存在論と西田哲学との間にどのような問題連関を見出すことができるだろうか。西田の場所の論理に限定して両者を見比べるかぎり、特にその論理が絶対無の自己限定によって特徴づけられる段階にとどまるかぎり、西田の立場は、存在を存在として考究する存在論とは根本的に対立し、したがって、メルロ=ポンティと西田との接点を見出すことは困難であるように見える。
しかし、西田とメルロ=ポンティは、私たちが世界と間に有つ相互に内在的超越的な関係から独立した〈真理〉を拒否する点で一致する。とりわけ、「行為的直観」「歴史的身体」「歴史的生命の世界」等の根本概念を軸に展開される最後期の西田哲学の立場に身を置くとき、少なくともあるいくつかの重要な哲学的論点において、メルロ=ポンティの〈肉〉の現象学的存在論と、人間の経験全体に内在的な論理としての西田の歴史的生命の論理とを比較検討し、両者を重ね合わせて見ることが可能になると私たちは考える。
『見えるものと見えないもの』『眼と精神』などの晩年の著作の中でメルロ=ポンティが試みていることは、西洋哲学の伝統の中では名前を与えられることのなかったものに言葉を与えることであった(« […] l’on sait qu’il n’y a pas de nom en philosophie traditionnelle pour désigner cela », Merleau-Ponty, Le visible et l’invisible, Paris, Gallimard, 1964, p. 183. 以下、同書からの引用箇所を示す場合は、同書を VI と略記する)。これらの著作の中で、メルロ=ポンティは、西洋哲学の伝統の中に自覚的に身を置きながら、その伝統が暗黙の内に前提するか、無関心のままにとどまるか、あるいはそれとして問題化することなかったものの探究へと向かっていったのである。この探究の指向性は、西田哲学のそれと、少なくともいくつかの問題場面で、重なり合うだろう。