内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第四章(十五)

2014-04-29 00:00:00 | 哲学

2. 1 〈肉〉の根本的性格

 最初に、『見えるものと見えないもの』の中で繰り返し試みられる〈肉 chair〉の定義から、その根本的な性格を取り出してみよう。
 すぐにわかることは、〈肉〉は、同書におけるメルロ=ポンティの現象学的存在論にとって、その「すべてはそこからそこへ」を指し示す言葉だということである(VI, p. 184, 185, 193-194参照。現在同書の二つの優れた邦訳であるみすず書房版も法政大学出版局版も手元にないので、原書の頁数のみを示す。原文の引用が必要と判断した箇所については、原文とその私訳を示す)。メルロ=ポンティは、この言葉によって、他のいかなる哲学的概念にも同一化されえないもの、本性からしてそれそのものとして理解されるべきもの、これまでのどのような哲学においても自らの名を有つことがなかったところのものを指し示そうとしている(VI, p. 193)。〈肉〉は、私たちの現象世界の中で、他の何かの諸要素の組み合わせから理解されるような派生的なものではなく、それ自体によって考えられうる最も根本的なものを指す。それは、古代ギリシアの哲学者たちが〈存在〉の根本的な構成要素として「地・水・火・風」を語ったときに使われたような意味での、「〈存在〉のエレメント」(VI, p. 184)である。それは、さらに、知覚世界がそれによって自らの組成を発見するところの「生地」でもある。知覚世界におけるあらゆる現象を可能にするものとして、〈肉〉は、現象が現象として現れること、つまり「現象の現象性」( « la phénoménalité du phénomène », Marc Richir, Phénomènes, Temps et êtres. Ontologie et phénoménologie, Grenoble, Jérôme Millon, 1987, p. 78)の根本条件である。
 明日以降、〈肉〉というこの謎めいたとも形容されることがある言葉によってメルロ=ポンティが名指そうとしたもののいくつかの恒常的な基本的性質を、『見えるものと見えないもの』というメルロ=ポンティ最後の未刊の著作の記述から抽出していく。私たちは、それらを次の五つの性質 ―〈可視性 visibilité〉〈事実性 facticité〉〈可逆性 réversibilité〉〈自己回帰性 retour sur soi〉〈相互帰属性 inter-appartenance〉として提示する。これ以外にも付け加えるべき性質があるとも考えられるであろう。特に、〈交叉性 chiasme〉を他の諸性質よりも先に挙げるべきという考え方もある。しかし、むしろ〈交叉性〉がそれだけの重要性を持っているからこそ、他の諸性質と同列に扱うのではなく、本稿では、上に挙げた五つの性質のうちの後三者を問題にするそれぞれの場面において、その都度そこに含意されている性質としての〈交叉性〉を分析するという仕方でそれについての考察を深めていく。