内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(六)

2014-06-01 00:00:00 | 哲学

1. 2 出来事としての生命(3)

物理現象を形態構成の変化となす考に徹底するならば、世界が形から形へと云ふの外にない。一つの形が決定せられたと云ふことは、絶対現在の世界が自己矛盾的に自己自身を決定したことである。それは自己矛盾的に次への推移を含んでいなければならない。云はば、空間時間的に形成せられた世界は、又空間時間的に動いて行かなければならない。それを矛盾的自己同一的に形が形自身を限定すると云ふ。かゝる意味に於て自己自身を限定する形の背後に、何等の基体的なるものを考へてはならない。(全集第十巻三七頁)。

 西田は、ここで極めて明確に、基体と属性との対立あるいは実体と現象との対立を前提とする二元論的思考を排除している。「形」という語によって物のすべての存在様式を指示しながら、西田は、「形から形へ」という表現を、基体を前提するとことなしにあらゆる物理的変化に適用する。ある形から別の形への変化の基礎となるような自己同一的基体がない世界では、変化というものは、ある形の消滅として、と同時に、ある別の形の生成として、理解されなければならない。「一つの物が動くと云ふことは、ひとつの体系が壊されること、世界の一つの形が破れること」である(同巻一四頁)。形の世界は、それゆえ、生成消滅の世界である。生成消滅からなる過程は、メタモルフォーゼである。「絶対現在の自己限定として、矛盾的自己同一的な世界の発展は、メタモルフォーゼ的でなければならない」(全集第九巻三九七頁)。一つの形が壊れると同時に別の一つの形が形成されるということが恒常的に続くメタモルフォーゼ的世界は、創造の世界であり、それが歴史的現実の世界にほかならない。それは、自らの内に対立を内包した自己制作的世界である。
 世界の「形から形へ」の変化は、多かれ少なかれ秩序だっている。ある程度の持続性を有った繰り返しがある。同じ関係あるいは同じ形が事物間で繰り返されるという意味で「自己自身を映す形」が無限に繰り返されるとき、この繰り返される形が因果性をもたらす(全集第十巻一五頁)。物理的法則は、形が自己自身を限定する世界における機能的関係を表現していると西田は考えているわけである。
 では、世界を構成する根本的要素として基体あるいは物質を前提することが理論的に不可能であるとき、この世界をそれとして構成しているものは何か。西田は、このような問いに対して、端的に、それは「事」だ、と答える。さらに、「形が形自身を限定する」世界というテーゼは、「物の本質は事である」(同巻同頁)という、これもまた極めて端的なテーゼへと西田を導く。このテーゼが意味するところは、形が形自身を限定する世界では、存在論的優位性が、物ではなく、事に置かれるということである。矛盾的自己同一性としての自己形成的生命という生命論から出発して、西田は、物的世界観を超克して、事的世界観のパースペクティヴを開いているのである。