日本時間でちょうど午前零時にブログ記事を投稿することを習慣としているが、ときどきその時間帯にインターネットへのアクセスがなく、それができないことがある。昨日がそうだった。日本時間の午前零時は、中央ヨーロッパ時間では、夏時間の期間、前日の午後五時。昨日、その時間、変わりやすい空模様の下、いささか重たい暑さの中、ストラスブールの街をアパート探しのために歩き回っていた。三月三日から連載が続いている「生成する生命の哲学」の記事とは別に、いわば番外編として、なぜストラスブールで家探しをしていたかについて、この記事を書く。
五月六日に事実上はすでに決まっていたことなのだが、昨日六月三日、ストラスブール大学への転任が同大評議委員会によって正式に承認された。三年間望み続けたことだった。ようやくそれが叶った。学科のスタッフとはすでに何度か一緒に仕事をしており、先方も望んでいた人事であった。これからは自分の本当に教えたいことを大学院レベルの講義で教えることができる。
ストラスブールについては、すでに何度かこのブログの記事でも触れたことがあるが(こちらとこちら)、十八年前に博士課程留学生として初めての海外生活を始めたのがストラスブールだった。それまでは海外旅行の経験すらなかった。しかも家内と二歳半の娘と一緒だったので、最初は本当に何をするにも大変で、毎日右往左往、少しも先が見えない日々だった。ちょっとしたことでひどく落ち込みもし、精神的に不安定になったことさえあった。それからいろいろなことがあった。だがそれについては今日の記事では書かない。
自分がそこで学び、類稀な師に出会い、教師としてのスタートを切ることを可能にしてくれたストラスブール大学に、こうして専任教員として「帰る」ことができることを心から有難いこと幸いなことと今しみじみ感じている。あえて日本人的感覚で言えば、ストラスブール大学への恩返しのために、これから定年まで、甚だ微力ながら、全力を尽くす所存である。それが自分の「召命」なのだと思う。
こちらの現地校での小学校教育修了と同時に母親と一緒に帰国した娘が、今年二十歳になり、この夏から一年間、パリ政治学院の留学生としてパリに暮らす。子供の頃に九年間住んだフランスへの留学は、本人もかねてから望んでいたことであった。これが生まれて初めての一人暮らし。いい経験になるだろう。パリ-ストラスブール間はTGV で二時間十五分程、何か問題が発生すれば、助けに来ることも難しくない距離。ノエルの季節にはストラスブールに遊びに来るつもりだと娘は言っている。
娘と入れ違いに、私はパリを去る。もうパリに住むことはないだろう。パリにもう大した未練も残っていないのだが、ただ、イナルコの「同時代思想」の講義が担当できなくなることだけは残念に思っていた。イナルコの日本学部長は、ストラスブール大のポストの外部審査員の一人だったので、私の任命は既にご存知だったわけだが、改めて直接メールをさし上げて、「同時代思想」の講義を来年度担当することはもうできないとお知らせした。私が後任として推薦した研究者仲間の一人からは、再来年度からだったら引き受けられるが、来年度は無理との返事だった。その仲間とこの講義の件について話したとき、集中講義形式にすれば、私が来年度も続けることも不可能ではないという話はしたのだが、イナルコの方で授業の編成上無理なのではないかと推測し、敢えて先の学部長宛のメールではその可能性には触れなかった。ところが、数日前イナルコのポストの最終面接試問に外部審査員として参加した際に、その審査委員会の委員長である同学部長から、講義をいくらか集中させて私がパリに来る回数を減らすようにして、来年度も続けてもらえないかとの要請を受け、そうしてもよろしいのならばと喜んでお引き受けすることにした。
昨年6月2日に立ち上げたこのブログも二年目に入った。この一年間、一日も休むことなく記事を投稿できたのは幸いであった。このブログを始めたきっかけについては、最初の記事にも書き、その後再度話題にしたこともあったが、とにかく精神的バランスを崩しかけていた自分を自分の手で何とか立て直したいという藁にも縋る気持ちで始めた。一年経った今では、毎日必ず一定の時間ブログを書くことに充てることが習慣として確立している。そのブログが二年目に入るというこの節目に、そこにかつて住み、またそこで働きたいとかねてから願っていた歴史ある美しい街に帰ることを許され、自分の人生の新たなステージを与えられたことを心の底から感謝している。
1. 3 歴史的生命の論理(2)
西田が自らの生命論を展開するにあたって、ホールデーンと並んでしばしば参照しているのが、生理学の分野での古典的権威であるクロード・ベルナールである。西田は、クロード・ベルナールが『実験医学研究序説』(Introduction à l’étude de la médecine expérimentale, 1865. 邦訳『実験医学序説』岩波文庫、1938年、改訳版1970年)で主張する決定論の固有性を的確に捉え、それを明確に機械論から区別している。
我々の生命は、主体が環境を、環境が主体を、主体と環境との相互限定にあるのである。故に生理学者は、有機体が内と外とに環境を有ち、内と外との整合的に、種的形が自己自身を維持する所に、生命の事実を見るのである。決定論と云つて居るクロード・ベルナールに於て、既にかゝる考に到達して居る(実験医学序説)。曰く生命現象も物理化学的現象の如く決定論的である。併し生命現象に於ての決定論とは、単に他に比して極めて複雑な決定論と云ふのではなく、同時に調和的に階級づけられた決定論を云ふのである。生命をば、自己の尾を噛んでいる蛇に喩えた古画は真に能く生命の真相を穿ったものであると云つて居る(全集第十巻二五〇-二五一頁)。
『実験医学序説』に依拠しながら、西田は、クロード・ベルナールの生命現象の決定論を次のようにかなり忠実にまとめている(同巻二五一頁)。
私たちの身体は、生殖細胞から細胞分裂によって形成された多数の細胞からなっている。私たちの身体は、全体的一の自己形成であるが、それと同時に、その全体的一を形成している細胞はそれぞれにその独立性を有し、それぞれに生きている。したがって、それぞれの細胞は、生きた単位として機能し得る。全体的一が生きているのは細胞が生きている限りだが、その逆も真である。全体的一は、外的な物質的環境を、細胞によって細胞のために同化するが、それは細胞という多数性へと自己限定することによってである。環境の同化とは、物質を有機体内に取り込むことによって、生きた全体的一を形成することにほかならない。物理化学的レベルでは、細胞は環境と相関的である。しかし、細胞は、何らかの物理化学的現象に還元されてしまうことはなく、生きた全体的一との関係なしには存在し得ない。生命は、全体的一と個体的多との、主体と環境との、内と外との矛盾的自己同一にほかならない。クロード・ベルナールの決定論は、機械論ではなく、「現象の決定論」である。それは、生命の諸現象の近接原因を、つまり、生命現象の出現の決定原因を探究するための方法論的な決定論なのである。