内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(八)

2014-06-03 00:52:00 | 哲学

1. 3 歴史的生命の論理(1)

 西田は、論文「生命」の始めの方で、物理化学的過程として説明され得る現象に還元できない生命現象として、再生、遺伝、種の三つを挙げている。

生理学者は知らず識らず之を機械装置に帰して居るが、その機械装置とは如何なるものなるかを知らない。要するに有機体の生命に於て現れる、構造と作用と環境との間の、存続的な種的な整合 persistent and specific co-ordination を一般に認めるの外なかつた。物理学的立場からは、これは奇跡である。有機体とその環境との相互関係は単なる作用反作用ではない。全体として見れば、それに於て有機体の構造と云ふものが、能動的に維持せられる様に整合せられて居るのである。構造と作用とは離すことはできない。それは一つの存続的全体の能動的顕現であるのである。有機体が環境に適合し、内外の環境が有機体に適合する。環境が有機体の各部分の構造に表現せられ、逆に後者が前者において表現せられて居る(全集第十巻二三二頁)。

 西田が特に注目するのは、有機体とその環境とが、互いに不可分な相関関係を保ちながら、生命を能動的に維持しているという事実である。この事実は、物理的空間では説明することができず、したがって、機械論的説明をそれに適用することはできない。他方、生気論は、環境から独立した永続的な生命力を想定するかぎり、有機体と環境との間の相互作用的な関係を説明することができない。なぜなら、有機体と環境との間に現象として成立している関係そのものが生命現象を構成しているからである。「有機体と環境との相互整合的に、形が形自身を維持する所に、我々の生命があるのである」(同巻二三三頁)。
 形とは、有機体の外見のことではない。形とは、それぞれの種に固有な、有機体と環境との間の関係の束のことである。この関係の束が有機体と環境との間の動的平衡を形成している。これまで見てきたように、形は、いかなる実体もその基礎として前提することなしに現れる機能的状態のことであり、したがって、形の本質は、一つの形から別の一つの形への変容運動にある。自己限定的形の存在論は、物理的世界、生物的世界、人間的世界のすべてに通底する根本的存在論なのである。