内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(二十七)

2014-06-22 00:00:00 | 哲学

2. 2 習慣と歴史的生命の世界(7)

 ラヴェッソンの哲学的方法が、昨日の記事で見たような意味で、「下降的」であると言うことができるとすれば、西田の哲学的方法は、「上昇的」であると言うことができると私たちは考えるが、それは、次のような意味においてである。行為的直観を人間存在の根本的実存形式とすることで、西田は、歴史的生命の世界における意識の起源を出発点として、行為的直観の発展を世界の自己形成過程として捉えているが、この自己形成過程は、私たちの身体的自己において経験される世界の自覚という高次元の自覚にまで高められていく。意識の起源に行為的直観を措定することによって、西田は、歴史的生命の世界という自己形成的な世界において進化する意識の可能性の条件を探究しているのである。世界において、どこで、どのような仕方で、意識は、それとして己を把握し、より包括的かつ明晰となり、世界を己において表現しつつ、その世界に対して制作的に働きかけうるようになるのか。私たちは、このように西田の哲学的な問いの一つを言い表すことができるだろう。

習慣として、我々の意識は、単なる空間の世界、物質の世界に残るのではなく、歴史的形成的世界の記憶の内に素質として残るのである(全集第十巻二九三頁)。

 習慣は、自己意識として己自らにそれとして現れることによって、次のことを私たちに教えてくれる。私たちの内には、ただ一つの形成能力があり、この能力は、物質的世界のメカニズムにも、身体性を欠いた精神の純粋な活動にも還元され得ない。この能力は、個人的な創造性、つまり、己が置かれた環境の形成原理として機能し得る己に固有な形を己自身に与えることによって、世界に新しい形を与える創造性にまで発展しうる「素質」(disposition)にほかならない。そこに見られるのは、自覚の高次化の過程であり、この過程は、私たちにとって初源の世界開示である行為的直観から始まって、世界の自覚にまで高められていく。この世界の自覚は、自己表現的世界の自己表現点あるいは創造的世界の創造的要素としての私たちの身体的自己において、それとして経験される。

 以上見てきたラヴェッソンの「下降的」方法と西田の「上昇的」方法とは、しかし、互いに他を排除し合うものではなく、まったく逆に、互いに相補的な関係にある。西田の歴史的生命の論理は、習慣の現象学とも見なすことができる習慣一般理論に、存在論的基礎を提供する。それに対して、ラヴェッソンによって「唯一の実在的方法」(« la seule méthode réelle », Ravaisson, op. cit., p. 139. 邦訳五〇頁)として自覚へともたらされた習慣は、環境世界から働きかけられ、環境世界へと働きかける自己形成的な私たちの身体によって担われた直接的統覚によって、歴史的生命の論理の発展過程を内的に認識することを私たちに可能にしている。