内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(三十一)

2014-06-26 00:00:00 | 哲学

3. 1 生命の現象学 ― 純粋な現象性の探究(2)

 現象学の固有性は、現象学自身が己に課した対象から己自身を理解することである。その他の諸科学がそれぞれ特定の現象、例えば、物理的、化学的、生物学的、歴史的、法的、社会的、経済的などの現象を研究対象とするのに対して、現象学は、ある現象が現象であることを可能にするところのものを、つまり、純粋な現象性そのものをその対象とする。このような対象についての現象学とその他の諸科学との本質的な違いがそれとして理解されるとき、次のような区別が必然的に現象学に課される。それは、その特定の内容において見られた現象とその現象の現象性そのものとの区別である。言い換えれば、〈現れるもの〉と〈現れること〉そのこととの区別、様々であり得る現われの内容と純粋な〈現れる〉という作用そのものとの区別である。
 この区別は、ハイデガーの『存在と時間』においては、覆いを取り除かれて顕にされたものという意味での真理と、真理の最も根源的な現象であるところのその覆いが取り除かれることそのこととの区別として表れている(Sein und Zeit, §44, c)Die Seinsart der Wahrheit und die Wahrheitsvoraussertzung)。同様な主題は、西田においても見出だせる。それは、西田が、自己形成的な歴史的現実の世界の只中で直接的に感受される疑い得ない事実において、己自身へと己自らを現われさせた真の現実を問題とするときである(この点については、本稿の第一章2. 2. 1 「デカルト再考」と第二章「1-真実在の定義から導かれる哲学の方法」とを参照されたい)。