内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十)

2014-06-05 00:00:00 | 哲学

1. 3 歴史的生命の論理(3)

 クロード・ベルナールの現象の決定論を、自らの哲学固有の概念である矛盾的自己同一に引きつけながら要約した後で、西田はさらに『実験医学序説』からかなり長い引用をしている。これらの言及個所から、西田がクロード・ベルナールの実験医学思想のどこに強い関心を示していたかがわかる。西田の哲学的関心は、一方で、近接原因の連鎖を辿ることで生命現象の階層的な決定論を物理化学的に探究する生理学的実証的方法論に向かっているが、他方では、それら生命現象をある一つの目的に向かって秩序づけられた有機的全体として捉える生命観がその生理学的探究の根本にあることを特に重視している。つまり、クロード・ベルナールの生理学思想の至る所に見出されるこの矛盾、つまり、生命現象の物理化学的分析と生命体の全体論的な見方との間に見られる矛盾を、西田は、批判されるべき理論的破綻、あるいは克服されるべき理論的困難とは見なしておらず、むしろこの矛盾のうちにこそ、物理学や化学の目的とは区別されるべき生理学固有の目的を見出しているのである。
 クロード・ベルナールの現象の決定論は、有機体が見せる諸現象を無機的な諸現象と同様に物理化学的諸要素に還元しようとするが、それは予定調和的な目的性をもった還元不可能な全体的一として有機体を捉えようとする全体論的な見方とは容易に調和し難い。しかし、クロード・ベルナールが生理学の分野に初めて導入した「内的環境」という概念は、この理論的困難を克服するための鍵概念となり得る。というのも、有機体内の生理的諸成分とそれらの間の相互作用を指すこの内的環境という概念は、一方で、有機体を物理化学的分析の対象として取り扱うことをそれとして認めつつ、しかし、他方で、生命現象の観察に内的目的性を導入することによって、その有機体をその全体において捉えることを可能にもするからである。内的環境は、細胞によって細胞のために形成されているが、それと同時に、細胞はこの内的環境に依存している。この内的環境という概念の導入は、一方で、有機体を構成し、その内的環境に包まれている細胞を物理化学的現象として分析しながら、他方では、その有機体をある目的性を有った全体として把握することを可能にする。
 生物の固有性は、それが生きている限り、己に対して距離がないということである。その生物の諸「部分」は、互いに他に対して距離がないのだから、そもそも「部分」と呼ぶこと自体が誤りを含んでいる。内的環境を媒介として、その生物の全体は常にその諸部分に現前している。この意味において、目的性とは、生けるものの自己形成的な形はその生きた形の細部にまで常に表現されている(Voir Georges Canguilhem, Etudes d’histoire et de philosophie des sciences, Paris, Vrin, 1994, p. 363)ということにほかならない。
 ところが、クロード・ベルナールは、この目的性を、形而上学的なもので観察者の精神の中にしか存在しないとして、生理学的研究の分野から排除してしまう。内的環境という画期的な概念を生理学に導入しながら、自然と精神を截然と分断することで、クロード・ベルナールは、外的決定論と内的目的論との矛盾を解消することができず、結果として、認識論的にも存在論的にも不決定な態度に留まらざるをえなかったのである。