内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(七)

2014-06-02 00:00:00 | 哲学

1. 2 出来事としての生命(4)

 形が形自身を限定する世界を根本的に理解するための要諦を、西田は次のように規定する。

右の如き世界を根本的に理解するには、自己自身を限定する絶対の事の概念よりせなければならない。事は一度的と考へられる、同一の事は再び起らない。そこに事の唯一性があり、実在性があるのである。一つの事は一つの世界を限定するのである。而して、我々が真の実在的世界と考へるものは、何処までも事実の世界でなければならない。事実は疑はうとしても、疑ふことはできぬ。我々が疑ふことその事が、一つの事であるのである(全集第十巻七頁)。

事は事に対することによつて事であるのである。単に一つの事と云ふものはない。而も事の背後には、所謂論理的一般者を考へることはできない。一度的なる唯一の事が成立すると云ふことは、事が自己否定を媒介として成立することであり、絕對否定を媒介として事が事に対する、事と事とが結合すると云ふことでなければならない(同巻八頁)。

 西田の生命論において、〈事〉という概念は、〈形〉という概念と密接に結びついている。生命は、種々の他の物の形と対立しかつそれらに繋縛された形を絶えず己に与えることそのことによって、まさに〈事〉なのである。「矛盾的自己同一の世界は、永遠に生滅的であるのである、各瞬間に新たなる世界が生れるのである」(同巻九頁)。それぞれの事が一度限り生じ、その基礎になるような実体はないとすれば、、事の世界とは、ずべてが生成消滅の過程にあり、絶えず新たに創造する世界である。このような世界は、物の時間的持続に基礎づけられてはおらず、事の永遠の創造性の表現にほかならない。各瞬間が永遠に触れている。「矛盾的自己同一的世界は、自己矛盾的に瞬間も留まることはできない。而も矛盾的自己同一的に永遠不変であるのである」(同巻一九〇頁)。これが絶対現在の自己限定であり、歴史的生命の世界をそれとして成り立たせているのである。

絶対矛盾的自己同一の世界は、その根底に於て、無限なる唯一的事の世界として、創造的世界、即ち生滅の世界でなければならない。これが我々に歴史的世界と考へられるものである(同巻八頁)。

 人間存在は、歴史的世界をそれとして生きている存在であることによって、まさに歴史的生命である。自己限定する形の論理は、事の存在論に支えられ、物質から生物的生命を介して人間の個別的生に到るまで、この世界に現れるものすべてを動かしており、まさにそれこそが、歴史的生命の論理なのである。