内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十四)

2014-06-09 00:00:00 | 哲学

2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(2)

 最後期西田哲学における生物的種についての考察を、この問題に関する三つの主要論文「論理と生命」(一九三六年)「種の生成発展の問題」(一九三七年)「生命」(一九四四-一九四五年)に基づいてまとめてみよう。
 生物的生命の世界においては、種は、その種に固有な生きた形を具体的に顕現させる個体によって現実化される生命活動を通じて、自己を表現的に限定する。この形は、環境を限定するものであると同時に、その環境によって限定される。しかし、共通の特徴を有った一定数の個体の集合が種を帰納的に限定するのではない。各生物個体は、それが属する種のある条件下における物質的表象に過ぎない。しかしまた、普遍的な生命がまずあって、それが無数の種として自己を多様化させるのでもない。生物的種の多様性は、生物的普遍性の内容を現実的に構成している。種こそが、個体の個別性と普遍的生命との具体的現実化を可能にしている。
 このような意味において、個物それ自体が己に形を与える生命の真の主体なのではなく、種こそが自己形成的なのであり、環境世界に対して自立性・独立性・創造性を一定程度、ある限定された仕方で発揮する。とはいえ、個体レベルでの突然変異は、現実に存在している種の形に対して偶発的な逸脱として、種の進化の歴史から排除されているわけではない。同一種の個体間に観察される多様性は、歴史の中の単なる偶然によってもたらされたものではない。それらの多様性もまた、種の自己形成過程にいわば書き込まれているのであり、この過程こそが生命の創造的進化を現実的に構成しているのである。
 普遍的生命は、現実に存在する進化過程にある無数の種から独立し、それに先立って存在するものとしては考えられない。無数の種こそが普遍的生命の形象を絶えず現実的に定義し続けている。自己形成的な種が生物的進化の現実の過程を規定している。「形が形自身を形成する、種が種自身を維持する」(全集第十巻二五六頁)。種は、したがって、生きた形であると言うことができる。それは、種が現実世界の生きた規範として機能しているという意味であり、この規範にしたがって、その種に属する個体が発生し、環境世界と調和した行動を取る。それはまた、種が進化を通じて具体的に普遍性を定義し続けているということでもある。
 では、或る種に固有な形は、一方では、生物的世界を構成している形一般に対して、そして、他方では、他の諸々の個別的な形とは区別され、差異化される一つの個体の個別的な形に対して、どのような位置を占めているのだろうか。一般的意味での形は、進化する無数の種を通じて自己形成する世界を構成するすべての共可能的な形を論理的に包摂している。個別的な個体のそれぞれに異なる形は、自己形成的な或る種に属するものでありかぎりにおいて、それぞれ生きた存在として限定されている。このように一般と特殊との対立を形成する形一般と個別的形との間にあって、種の形は、生物的生命の世界の進化過程の可変的構造契機として働いている。生物的生命の世界は、無数の種の自己限定の進化的な過程の諸々の形として現実化されている。生物の論理は、諸々の種の進化を通じて形成され、種の形として表現されている。