内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第五章(十一)

2014-06-06 00:00:00 | 哲学

1. 3 歴史的生命の論理(4)

 クロード・ベルナールの生理学的思想において極めて明白な仕方で現われている、外的決定論と内的目的論との矛盾を、西田は、自己の哲学にとって不都合だから敢えて無視したのだろうか。あるいは迂闊にも見逃しただけなのだろうか。そのいずれでもないと私たちは考える。
 私たちがこれまで見てきた西田のクロード・ベルナールの生理学的思想の提示の仕方から見て、西田はそこに全体として「整合的な」一つの思想を見て取ろうとしていると言うことができる。なぜなら、西田は、クロード・ベルナールの明らかに「矛盾した」思想を、自身に固有な生命の哲学のパースペクティヴから、全体として把握しようとしているからである。それは、自己限定的・自己形成的・自己表現的世界観に立って、一つの思想を、分解可能な部分の集まりとしてではなく、一つの緊張した動態において捉えようとしているということである。この世界観に立つとき、全体的一と個物的多、主体と環境、内部と外部、これらの対立する二項は、相俟って、矛盾的自己同一として把握される。そうすれば、現実の歴史的生命の世界から離反した二元論的思考に陥ることもなく、二項のうちのいずれかを排除することを強いる二者択一的な擬似問題を立てる誤りを犯すこともない。
 すべての生命現象は、「時間的・空間的、空間的・時間的世界が、自己の内に自己表現的要素を含むと云ふことから理解せられる」と西田は言う(全集第十巻二五二頁)。この世界の時間性は統一契機として、その空間性は多様化あるいは差異化の契機として考えられている。この世界に実在する種々の形は、この二つの対立的な構造契機の協働によって多かれ少なかれ整合性を有ったものとして構成される。一個の生命体は、絶対現在における自己形成的形であり、この絶対現在においては、時間性は空間的に限定された形として顕れ、空間性は時間的連続性の中で整合的に維持される。生命体は、それがたとえどんなに小さなものであれ、物質性を有ち、したがって、一方では、物体として空間的に限定され、他方では、その形態的同一性を保持しながら、物理的化学的現象を通じて時間の中で形成される。
 有機体の各部分は物理化学的過程として分析され得るが、それは、各部分を他の諸部分から切り離して分析対象とすることができるからではなく、まったく逆に、まさにそれぞれの部分がその他の諸部分によってそれらのために作られており、したがって、それらすべての部分は有機体全体に共通する目的を表現しており、この共通の目的がその有機体全体の内的な目的性にほかならないからである。
 西田の生命の哲学のパースペクティヴの中では、したがって、生理学的決定論と生命論的目的論とは互いに排他的ではなく、生物の目的性を、生理学的法則に支配された要素間の関係の表現である生命現象の中に読み取ることができることになる。西田は、生理学的決定論と生命論的目的論とを、世界の自己表現という同じ一つの事柄の二つの側面として捉え、そこに全体的一と個物的多との矛盾的自己同一を見ているのである。「生命の本質は、個体と云ふものを無視した機械的世界に求むべきでもなく、又単に抽象的目的的作用としての精神的なものに求むべきでもない。然らばと云つて、両者の結合にあるのでもない」(同巻二五五頁)。
 生命体がどこまでも分割可能な物理化学的過程として現れるのは、それが空間性の方向にのみ抽象的に構成し直されたときだけである。個々の生命体は、自己形成的な世界の矛盾的自己同一の表現であり、この世界においては、すべての生ける個体は作られたものから作るものへと移りゆく。この意味で、生命体は、己において生命を一つの全体として十全に表現している。作るものから作られ、己もまた作るものとなってゆく個物は、その生成過程の各瞬間において、歴史的に限定された或る仕方で、普遍性を表現している。