2. 2 習慣と歴史的生命の世界(1)
西田は、しかし、複数の異なった社会からなる歴史的現実の世界に対する個人の関係に関して、自身の生命論が抱えている理論的欠陥にまったく気づいていなかったわけではない。この問題に解決を与えようとする、つまり、生命の論理と社会の論理との間の媒介項の導入を可能にする論理を確立しようとする西田の最後の努力を、未完に終わった論文「生命」の最後の十数頁の中に見出すことができる。そこで、西田は、ラヴェッソンの『習慣論』の忠実かつかなり詳細な解説を行なっているが、それは、自身の生命論の中で種をめぐる問題について不可避的に発生する理論的困難を克服する一つの方途を、フランス近代哲学史の中で異彩を放つ、一八三八年に出版されたこの小著の中に見出そうとしてのことだと私たちは解釈する。
同書の邦訳は、一九三八年に野田又夫訳が岩波文庫の一冊として出版されており、論文「生命」執筆時に西田がこの邦訳に主に依拠してラヴェッソンを引用していることは明らかである。しかし、西田が原典も参照していることは、邦訳出版以前にすでにラヴェッソンの『習慣論』の内容に数回言及していること、論文「生命」の中に仏語のまま引用されているいくつかの用語が散見されること、弟子の西谷啓治から『習慣論』の原書を借りていること(西谷啓治宛昭和二十年一月六日付書簡参照)などから証拠立てることができる。
前節で見たように、西田は、自身の歴史的生命の論理の構想の中に種の概念を論理的に組み込むことには十分には成功していなかった。西田の哲学的発想においては、どうしても一と多との矛盾的自己同一という対立する二項の同一性が支配的になってしまうからである。しかし、生命の世界の成立には、種という中間項が不可欠であることを西田は認める。その上で、西田は、一方では、種を常に自己同一的な実体と考えることをはっきりと拒否し、他方では、歴史的生命の世界における種の現実性と、個体の集合と全体的な〈生命〉とへの種の二重の還元不可能性とを、自身の生命論の中に整合的に取り入れようと努力を重ねる。西田は、自己形成的な世界の創造性を可能にする契機として、種を個別性と普遍性との二つの次元の間に位置づけようとする。そうすることで、各個体に自己形成的な固有の形を与える差異化と統一化という対立する二つのベクトルの間に位置づけられる多次元的な何ものかを見出そうとしているのである。
西田は、ラヴェッソンによって、自然の中で中間的・媒介的な役割を果たしている「素質」(disposition)として捉えられた「習慣」の中に、そのような多次元的な何ものかを見出すことができると考える。ラヴェッソンの『習慣論』の議論の展開を忠実に辿りながら、その中に、種の概念を歴史的生命の論理の中に取り入れることを可能にする具体的契機を捉えようとする。その取り入れの試みは、生物的範疇からの類推に依拠した推論によってではなく、自然の可塑的な秩序という包括的な自然観に従ってなされている。そこで、種の概念は、その実体化が注意深く回避されており、生命の自己形成を現実的に可能にしている可変的で媒介的な概念として捉えられている。