内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

この冬の日本滞在の終りに

2015-01-11 08:48:44 | 雑感

 明朝日本を発ち、フランスに戻る。
昨日、昨年十二月に亡くなった母親の「偲ぶ会」があり、多数の方々が母に「お別れ」を言いに来てくださった。その会は、母が生前に望んでいたような楽しい会になった。会後も母がそこで生涯を終えた家に、懐かしい顔ぶれも揃い、思い出話に花が咲く一方、晩年母が親しくさせていただいた方たちとは、これからこの家をどんな形で皆が集まれる場所にしていくかという話にもなり、「さよなら」を言うだけの会ではなく、何かの「はじまり」を予感させる集まりともなったことを本当に幸いなことだと思う。
 他方では、期限と重要度に応じて処理していかなければならない手続きや問題も多々あり、むしろこれからが大変なこともあるだろうが、一つ一つ冷静に対処していきたい。












自己認識の方法としての異文化理解(五)

2015-01-10 10:16:35 | 随想

 昨日までの三日間で取り上げた理解の三条件を簡単にまとめると、以下のようになる。同定可能な対象があること、その対象が一定の規則に従って分節化された世界の中にあること、その対象を他の諸対象と一定の関係において位置づけうる概念システムがあること。
 以上の前提に立って、本稿の最初に提起した、「なぜ自文化理解ということは問題にならないのか」という問いに答えてみよう。
 自分がその中で生きている生活世界の文化を理解するということ、つまり「自文化理解」ということが問題として立てにくいのは、すでに「わかっている」自文化、つまりその中でいかに行動すべきかがすでにわかっている生活世界は、それ自体が自明性の地平を構成しており、したがって、そのかぎり、その地平は対象化されえないからである。自明性に支配された日常世界に生きているかぎり、その一部が問われるべき対象として他の諸対象から区別されて現れないのは当然のことだと言える。つまり、自文化は、すでに「わかっている」いるからこそ、一度も「理解」されたことがないのである。
 翻って、異文化が理解の対象となるのは、それが私たちの慣れ親しんだ世界の自明性の地平の上に未知なるもの・不明瞭なもの・不可解なものとして現われるからである。しかし、その対象を理解するためには、それを他の諸対象との関係において位置づけるための「既得の」概念のシステムがなくてはならない。このシステムが自文化の内部にすでに構成されており、それを自覚的に用いることができれば、異文化理解に到達することも困難ではないであろう。しかし、そのシステムが自覚されているとはかぎらない。しかも、そのシステムがすでに構築されているとはかぎらないのである。
 ここでまず問題とすべきなのは、だから、理解の前提となる自明性の地平を露呈させ、それを用いて理解を試みる概念のシステムを、あるいはその不在を、いかに自覚するかということである。己がその上で物事を見ている自明性の地平を方法的に対象化すること、その水準を自覚的・方法的に引き下げることがここでの問題になる。
 以上から言えることは、異文化理解は、その理解それ自体が目的であったとしても、自らがその上で生きている自明性の地平を相対化する方法を身につけることを必然的に含意しているということである。異文化を「理解」することは、自分が「わかっている」世界を問い直し、そこから理解の枠組みを規定している概念のシステムを抽出し、そのシステムそのものを対象化し、「わかっている」世界を敢えて理解の対象とする認識過程への第一階梯であると言うことができる。










自己認識の方法としての異文化理解(四)

2015-01-09 11:26:10 | 随想

 理解が成立するための三番目の条件を考えるために、次のような問いを立ててみよう。「わかる」と「理解する」とは、同じことか。
 この問題をまずは文法的な問題として考えてみる。今日の実際の運用では、「わかる」を他動詞のように使う例もしばしばみられる。つまり、「~をわかる」という言い方が通用するようになってきていることを認めざるをえないが、「わかる」は、本来は自動詞であり、「~がわかる」とするのが正しい語法である。この自動詞としての「わかる」の意味は、「あるものが他のものから判明に区別されている」「あるものが他のものと関係において、あるいはそれ自体において、明瞭に分節化されている」ということである。
 例えば、「私はフランス語がわかる」と言うとき、それは、「フランス語がそれ自体として明瞭に分節化されたものとして、他のものからはっきりと区別されたものとして、私には現れる」ということで、その含意として、「私はフランス語を正しく運用できる」ということも主張されているが、この文の基本的な意味は、あくまで、「フランス語が私の知覚世界の中で有意的に明瞭な仕方で現われる」ということである。
 このような知覚世界の中で、私は、フランス語の文法規則に従って、あるいは、その一般的に通用する語法に従って、フランス語を運用できる。一般化して言えば、「何かがわかる」というとき、それは、その何かを支配している「規則に従って行動することができる」ということを意味している。
 しかし、その運用能力は、その規則を一定の術語体系を用いて説明できるということを直ちに意味しない。これは、母語の運用のことを考えてみればすぐにわかることであろう。日本語を母語として話しているということは、日本語の文法規則を説明できるということ直ちに意味しないことは、一般の日本人にとって、むしろ普通のことであろう。例えば、「が」と「は」との文法的価値の差異という、難題に解答をうまく出せない日本人が、両者の使い方を誤るということはまずないというのは、特に驚くべきことではないし、一見もっと簡単で日常的な語法でも、どうしてそうなるのか説明しろと言われれば困ることはしばしばあるだろう。つまり、「ある言語をその文法に従って事実話せる・運用できる」ということは、「文法用語を用いてその言語の機能を説明できる」ということとは同じではない。
 この帰結を、一般化すれば、「規則に従って行動できる」ことと「規則の理由を説明できる」こととは違うということになる。この後者が「理解する」ことだとすれば、「わかる」と「理解する」とは、それぞれ異なった認識過程を意味していることになる。
 もちろん、この両動詞の現実の使用例には、このように判然と区別できない場合が多々あり、それらを無視しようというのではない。ここでは、ただ、理解の成立の条件を浮き彫りにするために、「わかる」と「理解する」との間にこのような区別を立ててみようというだけのことである。
 ある事象が「わかる」とは、その事象が明瞭に分節化された世界の中で、その分節化を支配している規則に従って振る舞うことができるということだとすれば、ある事象を「理解する」ためには、それを対象化し、他の諸事象との一定の関係において位置づけうる、その諸事象とは別次元に属する概念のシステムが必要とされる。「わかる」とは、ある規則の体系が支配する空間の内部でその規則にしたがって行動できることであるとすれば、「理解する」とは、その空間内の諸事象とその外部にある一定の概念のシステムとの間の一定の対応関係を了解する、あるいはそれを成立させることだと言えるだろう。









自己認識の方法としての異文化理解(三)

2015-01-08 11:26:49 | 随想

 ある対象を理解するための「何なのか」「なぜなのか」「どのような意味があるのか」「どのような仕方でそうなるのか」等の問いが成立するためには、その対象がそのような問いを引き起こす未知あるいは不可解な対象として分節化される自明性の水位を前提としている。簡単に言えば、「当たり前」の世界の中に、当たり前でない物事が現われるときはじめて、理解という作業が要請される。
 では、そのような理解のための対象化の必然的契機は何であろうか。言い換えれば、ある対象が問いを引き起こす対象として世界の中で分節化されるのはどのようにしてなのか。
 この世界の分節化機能として、少なくとも三つの次元あるいは層を区別しなくてはならないと考えられる。そのそれぞれを「コトバ」「知覚」「言語」と呼ぶことにしよう。
 最も根源的な分節化機能を「コトバ」と呼ぶのは、井筒俊彦に倣ってのことである。コトバとは、世界で使用されている多数の言語の単なる集合でもそこから抽出された共通性でもない。そのような諸言語の生成の前提となる根源的分節化機能のことであり、これがなければ、そもそも世界の中に対象そのものが現れてこないし、その対象を対象として認識する主体もそれとして分節化さず、機能しない。端的に言えば、コトバは、世界に初めの「異なり」をもたらす。
 二つの目の次元ないし層として区別されるべきなのは「知覚」である。これは、コトバをその前提としつつ、感覚的身体とその行動による分節化である。この知覚的に分節化された世界においてのみ、身体は一定の法則と規則にしたがって行動することができる。西田幾多郎の言う「行為的直観」は、この第二次元・層を含みつつ、基本的にはコトバの次元における基礎的経験と考えることができる。
 第三の次元・層である「言語」は、諸言語によるそれぞれに異なった世界の分節化である。文化事象がそれとして理解の対象として現われ、それに対して具体的に問いを立てることができるのは、この次元においてである。しかし、それは、すべての文化事象はある言語の体系に還元され得るということを意味するのではない。言い換えれば、ある同一言語の使用者たちは、まったく「同じ」文化を共有しているとは限らないということである。同じ言語を使用しつつ、行動の原則において異なるということは大いにありうることだからである。
 以上のように、「理解するとは、どういうことなのか」という問題を考えるときには、少なくとも、「コトバ」「知覚」「言語」という三つの次元・層を区別し、それらの間の相互的な動的関係性を把握する必要がある。










自己認識の方法としての異文化理解(二)

2015-01-07 12:48:52 | 随想

 理解するとは、どういうことか。これは、認識論の基本的な問題の一つであり、西洋哲学史においては、古代から現代まで、様々な仕方で営々と論じられて来た主題の一つであるから、二言三言でそれに答えが出せるような問題ではないし、ある哲学者に依拠すればそれで解決というものでもない。
 ここでは、だから、いちいちその名前を挙げることをせずに、暗黙のうちに幾人かの哲学者の考えを念頭に置きつつ、本論の議論の前提として、ごく簡略に、理解が成立するための必要条件を三点にまとめて、今日から一日一点ずつ提示していく。
 まず言えそうなことは、「理解は、その対象を必然的に要求する」ということである。裏返せば、対象なき理解というものはありえない。とすれば、その対象は、他の諸事象からそれとして区別されうるものでなければならない。しかし、その対象がすでに他の諸事象から十全に明晰判明に区別されたものとして、かつ他の諸対象との関係が一義的に決定できる仕方で立ち現れているのならば、その対象について、あらためて何か問うということも起こらないであろう。何らかの問いがその対象について起こるためには、その対象の他の既知の諸事象に対する関係がある点において不分明・不明瞭でなくてはならない。言い換えれば、ある対象がそれとして他のものから区別されつつ、それら他のものらが共有している自明性をその対象は共有しえていないときはじめて、その対象について、「何」「なぜ」「どのようにして」等の問いが成立しうる。
 以上から、理解成立のための第一の条件は、次のようにまとめることができるだろう。
 理解は、常に、既得の自明性の地平を前提とする。より詳しく言えば、ある対象を理解するために問われる「何」「なぜ」「どのようにして」等の問いが成立するのは、それらの問いを立てずに済む諸対象によって構成されている既得の自明性の水位上においてのみである。









自己認識の方法としての異文化理解(一)

2015-01-06 14:09:48 | 随想

 来月五日に予定されている講演の骨子はもう固まっていると一昨日書いたが、肉付けはこれからで、講演まで一月を切ったところで、そろそろ少し焦る気持ちが出てきた。しかし、この気持自体はいつものことなので、慣れており、特に心配することもない(と自分に言い聞かせている)。が、やっぱり気になる。だから、このブログの記事として、少しずつ覚書を書き留めておきたい。
 講演のテーマは、「自己認識の方法としての異文化理解 ― 自己変容としての理解 ―」とした。これだけで凡そ内容の見当はつくであろうし、どんな結論にもって行きたいかも想像できるであろう。しかし、そう言っては身も蓋もない。それに、大切なのは、推論の過程である。その過程を辿っていこう。
 出発点は、「なぜ異文化理解についてはしばしば語られるのに、自文化理解とは余り言われさえしないのだろうか」という疑問である。
 「異文化理解」という言葉は、日本の大学に話を限っても、しばしば話題になるばかりか、至るところで講義科目名としてさえ採用されている。ところが、「自文化理解」という科目名はおそらくどこの大学にもないであろう。「異文化コミュニケーション」などという、いかにも怪しげで中身の薄そうなコースまであり、しかも学生たちに人気まであったりするようであるが、「自文化コミュニケーション」などという科目を開講しても、おそらく履修者は限りなく零に近く、したがって直ちに閉鎖されるであろう。
 ここから第二の問いが出てくる。なぜ「自文化理解」ということは、問題とされないのであろうか。それが既に理解されているからなのだろうか。あるいは、そもそも「自文化」なるものは、理解の対象とはならないから、或は、なりえないからであろうか。
 この第二の問いに答えるためには、「理解するとは、どういうことか」という問いに予め曲がりなりにも一応の答えを出しておかなくてはならない。
 ここから本論に入っていくのであるが、日本滞在中に処理せねばならぬ案件がまだまだあり、ブログの記事執筆に充てることができる時間はきわめて限られているので、今日はここまでとし、明日以降に続きを書く。










一日一つ

2015-01-05 17:05:45 | 雑感

 フランスでは、役所手続き・公共交通機関・公的サービスが何一つ日本のようにスムーズにはいかない。それが普通なのである。とはいえ、最初は、なんで日本のようにいかないのだと腹も立つし、不安にもなる。しかし、そういうことが一日のうちにいくつも重なると、精神衛生上よくない。そこで、一つの原則を立てた。
 その原則とは、「用事は、一日一つ」である。つまり、一日に済ませる用事は一つだけ、それがちゃんと済めばその日の目標は達成、残りの時間は自由に使う。この原則に従って行動すると、一日に一つ用事が済めば、気が済む。場合によっては、満足感、さらには達成感さえ得られるのである。
 たとえその一つの用事がちゃんと済まなくても、たった一つである。ここでフランス生活に不可欠な表現 « C’est pas grave »(「大したことないさ」)を呟いて、明日またその用事に出向く。日常はこの繰り返しである。
 パリに住んでいた時に通勤に使っていた郊外電車RERが時間通りに来ないのは、もう当たり前のことなので、何かの拍子に電車が時刻表通りに来たりすると、 « Qu’est-ce qui se passe ? » (「いったいどうしたんだ?」)、何かあったんじゃないか、運転手が病気なのかもしれない、あるいはもっと大変なことが起こるかもしれないなどと想像され、かえって不安になってしまうほどなのである。
 ストラスブールは、その点、パリよりもはるかに快適であるが、やはりフランスであるから、「やれやれ」と思うことは避けがたい。しかし行動原則は同じであり、 « C’est pas grave » は、常にいたるところで呟かれる。
 日本は今日が今年の仕事始め。朝九時から銀行、保険会社等いくつも電話を掛けたり、打ち合わせのために集まったりしたが、すべてがフランスとは比較にならないスピードで処理されていく。それは快感でさえあるが、ちょっと怖くもある。
 基本は、やはり、「一日一つ」である。そして、何かうまくいかなくても « C’est pas grave » である。

 

 

 

 

 

 


仕事の順序・配分・分担の最適化

2015-01-04 11:46:17 | 雑感

 十二月三十一日を提出期限とした修士の二つの演習のレポートの採点を年明けとともに始め、何とか十二日にフランスに戻る前には終えられそうなところまで捗った。それと同時に、二月初旬の日仏共同研修での講演の準備と、締切りが十四日に迫っている今夏の集中講義のシラバス作成とを進めた。前者は、その骨子を固め、参考資料とともに責任者各位に朝一番で送信し、後者は、先ほどネット上で入力完了。締切りまで何度でも修正可能だが、一応これで安心。レポートの採点が終わったら、先月十七日の帰国前には手をつけることができなかった修士の試験答案の採点にとりかかる。それと並行して、帰仏の翌々日に始まる講義「中古文学史」の準備も少ししておきたい。
 他方、これらの仕事とはまったく別次元の公的手続きや事務的処理も滞在中にできるだけ済ませておく必要がある。それに、生前母がお世話になった方々に直接御礼も申し上げたい。
 これらすべてを、重要度と期限に応じて、最適化された優先順位、労力の配分、具体的作業の順序・分担にしたがって実行中。

 

 

 

 


自分が置かれた場所で

2015-01-03 15:34:01 | 随想

 昨年は、九月にストラスブール大への転任、十二月には母親の逝去と、人生の節目となる大きな出来事が重なった。前者は、かねてよりの願いが叶った慶事だが、後者は、母親を失うという誰であれ避けがたい出来事という以上に私には辛い出来事であった。昨年夏には体調がかなり持ち直していた母は、クリスマスはストラスブールで過ごすことを楽しみにしていたのに、それも叶わなかった。母については、言葉に尽くせぬ思いが溢れて来るが、それについては、昨年末、母の逝去の翌日から綴った一連の文章の中にその一端を示したので、ここでは繰り返さない。
 今年で足掛け滞仏二十年になる。今更ではあるが、これから残された時間の中で、一つくらいは研究者として恥ずかしくない仕事を残したいと思う。そのために必要な諸条件はすべて満たされている。だから、もはやそのような仕事を願望として語るのではなく、定言命法で自らに課すべき時が来ている。
 他方、ここ数年、大変遅まきながら、若手の研究者たちから、研究上の相談を持ちかけられたり、助言を求められたりすることも増えてきた。ヨーロッパにおける日本哲学研究は、まだその緒についたばかりであり、指導的立場に立てる研究者もおらず、若手が自主的に手探りでネットワークを組織し始めている。彼らとのやりとりの中で、それぞれに異なった立場から様々な国・機関で日本の哲学を研究し始めている若手研究者たちを「繋ぐ」役割を果すべき位置に自分が置かれていることに気づかされた。
 すでに充分に明確な見通しを持っている教師として自分が果すべき役割と併せて、自分が置かれた場所で為すべき仕事を果たしていこうと思う。

 

 

 

 

 

 


積み重ねを形にする

2015-01-02 14:52:33 | 随想

 元日、昨年秋のアルザスでのシンポジウムでご一緒する機会に恵まれた文化人類学者のK先生から、年賀のメールを頂戴した。そこには、昨秋以来の近況と併せて、シンポジウムの際に私に送ると約束してくださったご著書を大晦日に私の勤務大学の研究グループ宛に発送したと記されてあった。帰国直後の体調不良や留守中に山積していた仕事の処理にもかかわらず、しかも諸学会での重責を果たされながら、シンポジウムで初めて会っただけの私へのご著書の発送、それも小包二つに分けたとあったから相当量の発送を忘れずにいてくださったことだけでも、本当に有難いことである。
 ところが、そのメールには、ご自身の病気のことも触れられており、そのために正月早々から入院・手術されるとあり、驚くとともに、そのような健康状態にもかかわらず、入院前に約束を果すことを自分に課されるご自身に対する厳しさには胸を打たれた。この五月には、パリでの学会に発表者として参加されるという。八十歳を超えられているが、「まだまだやるべき仕事が山積している」とその学問的探究心は衰えを知らない。
 そのメールは、「お元気で、良いお仕事をお続け下さい」と結ばれている。
 御礼のメールには、「ご著書を読み、民族・地域・国家を巡る諸問題についてしっかりと勉強し直し、その成果を、感謝の徴として、一日も早くお手元に届けるべく、精進いたします」と書いたが、この新しい年の初めに、これまでの自分の考えをまとめるための研究課題を先生からいただいたような気持ちである。
 ささやかではあっても、自分のこれまでの仕事の積み重ねを形にしていくことで、学恩に報いたい。