異文化の理解の仕方は、様々でありうる。しかし、それらを自明性の相対化を介した自己認識の方法として自覚的に実行するためには、それらを類型化しておくことも無駄ではないであろう。ここでは三つの類型を提示する。
第一類型と第二類型とについては、このブログでも度々取り上げている Rémi Brague の Au moyen du Moyen Âge を参照しつつ述べる。
西欧中世における理解の二つのスタイルは、〈言い換え(paraphrase)〉と〈注釈(commentaire)〉である。理解の対象となっている文化事象を読解すべきテキストと捉えるならば、前者は、原テキストの表現形式を自文化の表現形式に変換することであり、後者は、原テキストはそのまま尊重し、それを理解するために必要な注意・解説・情報を加えることである。前者は、異文化を自文化の中に〈消化・同化・統合〉する過程に対応し、後者は、異文化と自文化とを交わらせず、異文化をそれとして〈封入・保存・隔離〉する過程に対応する。
両者の間に見出しうる第三の異文化理解の方法が〈受容(réception)〉である。外なるもの・異なるもの・未知なるものを、受け入れ、用い、それらに対して己の身を位置づけ、それらとの関係において働く。この理解の方法としての〈受容〉の三つの構成要素は、他なるものの尊重・自己の固有性と限界の自覚・受け入れ方の柔軟性と可塑性である。
異文化理解の方法のこれら三つの類型については、すでに二〇一三年八月七日・八日の記事で取り上げて、かなり詳しく論じているのでそちらを参照されたい。