内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『ヨーロッパの基層文化』

2015-01-18 05:54:40 | 読游摘録

 人類学者K先生の編著『ヨーロッパの基層文化』(岩波書店、四〇八頁)は、一九九五年に出版された。文化人類学、歴史学、美術史、文学、言語学等の分野でのヨーロッパ研究者十七名が、平成三年(一九九一年)度から四年間、『ヨーロッパの基層文化の研究』というテーマで行った共同研究の成果をまとめたものである。
 この共同研究の初発の問題意識は、K先生が執筆された「あとがき」に明瞭に表明されている。

 ヨーロッパのように、その達成した「近代文明」が広く世界に影響を与えた地域を対象とするとき、非ヨーロッパの研究者が自己の文化との関係および両者の距離についての自覚に立って研究することは、単に異文化の視点からする文化研究という以上の意味を帯びてくるだろう。日本は、ヨーロッパ近代を受け入れる前にそれなりに成熟した社会組織や技術や芸術をもち、近代ヨーロッパから主体的、選択的に学びとった結果、ヨーロッパ渡来のさまざまな文化の側面においてもヨーロッパを凌ぐ成果をあげるようになった。この意味で非ヨーロッパ世界で類例のない日本の視点からヨーロッパを対象化することは、世界史の中でのヨーロッパ近代を位置づけ直すためにも大きな意味がある。それはまた、日本の近代自体を、ヨーロッパを参照点として醒めた目で再検討することにも通じる。
 [中略]だがこのようにして日本が吸収してきた「うわずみ文化」が当のヨーロッパで成立した基盤を問い、同時に、世界に強い衝撃を与えた「近代文明」が、なぜ他の地域ではなくヨーロッパで形成されたのかを問うことが、「近代」の超克を字義通りラディカル(根源的)に考えるために必要ではないかを思われる。この共同研究がヨーロッパの「基層」文化をあえて問題にしたのも、そのような観点からである。従ってこの共同研究で検討しようとする「基層」文化とは、民族文化や民衆文化だけではなく、それらも含みながら、芸術や技術における傑出した個人の仕事や、王侯貴族の文化のうちにも、それを支えるものとして見出されるはずの文化だ。そのような「基層」の発見のためにも、巨視的な比較の視野 ―― この共同研究の場合とくに日本との比較 ―― が不可欠であると思われた(401-402頁)。

 やはりK先生による、四十頁を超える序「ヨーロッパ、近代、基層文化」の後、十五の論考が四部に分けて配列されており、それぞれ「ヨーロッパを位置づける」「ヨーロッパ基層文化の原理を探る」「異文化・周辺文化からヨーロッパを見る」「社会的結合の諸相」と題され、締めくくりの第五部として、K先生と二人の共同研究者による討議記録が「近代と基層への問いかけ」という題の下に収録されている。
 その「序」は、一九八〇年代にK先生が逗留したフランスの旧オルレアン地方の宏壮な邸地での想い出から始まる。その邸地の所有者はスウェーデンの名家で、その一族の中の婚姻関係によって、同家は、戦後フランスの現象学者として著名だったモーリス・メルロ=ポンティの一族とも姻戚関係にある。前者からは外交官や宗教家、後者からは学者や芸術家が輩出しており、逗留中、両家の若い作曲家、哲学者、数学者と、「知的刺激に満ちた会話を楽しんだ」と記されている。
 この想い出から、〈ヨーロッパ的なもの〉についての次のような考察が引き出される。

ヨーロッパに来ると、一人の人間の生物体としての存在自体が、異質な集団のあいだの、幾世代にもわたるはげしい交渉の結果としてあるということを感じさせられる。無論ヨーロッパでも、農村では人間の交流範囲は狭く、閉鎖的だ。世界のどの地域の社会でも、一般に社会階層が上になれば、人の交流と通婚の範囲も広くなる。とくに王族や、研究のため(そしてときに宗教上、政治上の迫害を逃れるために)遠くまで旅をした知識人は、交流と通婚の範囲が広かったといえるだろう。その際ヨーロッパに特徴的なことは、異質なものの間の比較的狭い地理的範囲内での交換と融合が、知識においても遺伝子においても、二者間ではなく多者間で、古くから広汎に行われたということだ。このことは、ヨーロッパ各地の人間が数世代にわたって融合した結果として、さまざまな分野の学者や芸術家が現にある、このモンタルジの別荘のような場に身をおいて、そこにいる人たちと言葉を交わしてみると、「ヨーロッパ的」なこととして、改めて感じられる。異質だが断絶ではない複数のものの間の対等な交わり、その中で醸成された普遍志向 ―― それは「近代」を形成し、世界進出を果たしたヨーロッパの、豊かさと力の根底にあったといえるだろう(5頁)。

 上の引用の終りの方に出てくる「異質だが断絶ではない複数のものの間の対等な交わり、その中で醸成された普遍志向」が〈ヨーロッパ的なるもの〉の本質であるとすれば、今日のヨーロッパがなおその本質に忠実であろうとするかぎり、複数の異質なものへと己を開き続けることが必然的に要請されるはずである。ところが、私たちが目の当たりにしている今のヨーロッパ社会は、まさにその逆の方向に進もうとしているように見える。それは近代社会の「普遍的」モデルを構築した一つの文明の自殺行為だとさえ言えるのではないだろうか。
 もし日本が国際社会で、単に欧米諸国に対してだけでなく、アジアにおいて、そして第三世界にも開かれた己の立場を確立することができるとすれば、それは、いかなる意味でもナショナリズムによってではなく、非ヨーロッパにおける〈ヨーロッパ的なもの〉のモデル、いわば「脱欧入〈欧〉」のモデルを構築することによってではないだろうか。