昨日までの一週間の記事では、人類学者K先生の編著十二冊を紹介しつつ、その紹介に若干の私的感想を加えた。
今日の記事から五回に渡って、K先生が二〇〇四年から二〇一〇年に出版された単著五冊を、出版年月日の古い順に一日一冊ずつ紹介していく。
『人類の地平から ―― 生きること死ぬこと』は、二〇〇四年七月にウェッジ社から出版されている。この本は、K先生の本来の仕事である学問の研究成果を発表するためのものではなく、折にふれて書かれた、「一地球市民として現代の日本に生きる」先生の、「時代と社会に向かっての発言をまとめたものである」(同書「あとがき」、二五〇頁)。どちらかというと地味な月刊誌や地方紙の依頼を受けて書き続けたコラム・エッセイが主な部分を占めている。初出で最も古いものが一九九七年のコラムで、最も新しいのが二〇〇二年十月の広島市立大学国際学部退職に際しての公開講義原稿である。
この公開講義は、それが行われた文脈からして当然のことだとも言えるが、これから学問に志そうとしている人たちに送るメッセージという性格を持っているが、他方で、K先生ご自身のこれからの学問の志向性の宣言にもなっている。先生六十八才の時のことである。
本やインターネットから得られる知識は、すでに先人によって集められ、一定の立場から整理され解釈された情報です。そうした情報を得る行為 «、« in-f » rm »すること、つまり既に作られた「かたち」に自分をあてはめることでもあります。そのこと自体は、既知の情報を整理する上で必要なことなのですけれども、それだけに終わらず、自分の身体を積極的に使う行動によって、自分で新しく発見してゆくことの大切さを、人類学の現地調査の「体験知」に限らず、現代における知のあり方一般にも通じる問題として、私は考えてみたいのです。「パーフォーミング・アーツ」が、身体表現の芸術を指して用いられるよ« に、« per-f » r « »を« in-f » rm »とは逆の志向をもった、身体的「はたらきかけ」としてとらえてみたいのです(244頁)。
すでに「かたち」のある、安全無事な道に「入る」のではなく、誰も行ったことのないところだからこそ、理想と探求の意気に燃えて自分で出かけて行き、道をつける、そんな「パーフォーム」の精神を、私はこれからも失わずに学問をつづけたいと願っています(246頁)。
こう言われるとき、先生は、この願いを単なる願いとして語っているのではなかった。事実、以後、このような道なきところに道をつけようと、「パーフォマー」として今日まで戦い続けている。
「自分の身体を積極的に使う行動によって、自分で新しく発見してゆく」という姿勢は、人類学固有のものではないであろう。それは学問するものすべてにとって、本来的な使命であり、喜ばしき義務であるはずである。