昨年は、九月にストラスブール大への転任、十二月には母親の逝去と、人生の節目となる大きな出来事が重なった。前者は、かねてよりの願いが叶った慶事だが、後者は、母親を失うという誰であれ避けがたい出来事という以上に私には辛い出来事であった。昨年夏には体調がかなり持ち直していた母は、クリスマスはストラスブールで過ごすことを楽しみにしていたのに、それも叶わなかった。母については、言葉に尽くせぬ思いが溢れて来るが、それについては、昨年末、母の逝去の翌日から綴った一連の文章の中にその一端を示したので、ここでは繰り返さない。
今年で足掛け滞仏二十年になる。今更ではあるが、これから残された時間の中で、一つくらいは研究者として恥ずかしくない仕事を残したいと思う。そのために必要な諸条件はすべて満たされている。だから、もはやそのような仕事を願望として語るのではなく、定言命法で自らに課すべき時が来ている。
他方、ここ数年、大変遅まきながら、若手の研究者たちから、研究上の相談を持ちかけられたり、助言を求められたりすることも増えてきた。ヨーロッパにおける日本哲学研究は、まだその緒についたばかりであり、指導的立場に立てる研究者もおらず、若手が自主的に手探りでネットワークを組織し始めている。彼らとのやりとりの中で、それぞれに異なった立場から様々な国・機関で日本の哲学を研究し始めている若手研究者たちを「繋ぐ」役割を果すべき位置に自分が置かれていることに気づかされた。
すでに充分に明確な見通しを持っている教師として自分が果すべき役割と併せて、自分が置かれた場所で為すべき仕事を果たしていこうと思う。