内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『文化人類学とわたし』

2015-01-26 08:05:17 | 読游摘録

 今日の記事のタイトルが書名であるK先生の本は、青土社から二〇〇七年に刊行されている。文化人類学のあり方をめぐって書かれた論考・エッセイを主として、新聞のコラム欄に掲載された時事的な感想が巻末に収められている。最も日付が古い論考は、一九九五年の「サバンナへの夢、三〇年ののちに」、次いで一九九八年に『柳田国男全集』第12巻月報に掲載された「柳田民俗学から世界民俗学へ」、その他はすべて二〇〇二年から二〇〇七年に書かれたものである。
 全体は五部に分かれていて、それぞれ「「ヒトの学」をめざして」「自然の中のヒト」「なぜアフリカ研究を志したか」「「明治日本」を問い直す」「時代への発言」と題されている。これらの区分は編集者のアイデアによるものだと「あとがき」を読むとわかる。第五部「時代への発言」には、『信濃毎日新聞』の「潮流」欄に二〇〇二年八月から二〇〇七年八月までに掲載された、折に触れての十二の随想が収録されている。
 第一部は、現代社会における人類学という学問のあり方を根本的に問いなおす論考が集められている。それらの論考に通底する最も重要な論点は、自然史の中でのヒト中心主義の超克ということになるだろう。ヒトをヒト以外の生物とも共通する特性において見直すことで、近代的な人類史の枠組みそのものを相対化することがそこでの問題である。この問題について、K先生は、特に二〇〇〇年以降、他の著書でもしばしば論じている。
 第二部は、第一部の視座を前提として、倫理を人と人との間の問題としてではなく、ヒトとヒト以外の類との間の問題として提起する。二〇〇四年に発表されたこの部の最初の論考「種間倫理を求めて」は、まさに今現在世界のいたるところで深刻化しつつある問題を鋭く突く。

 国家の形骸化は、少数の大国と国際企業主導の経済のグローバル化にともなう、地域間の貧富の格差、大部分の貧しい地域の一国内の貧富の格差の拡大によっても、一層推し進められたといえる。敵と味方、同類と同類でないものの区別のつけ方が判りにくくなってきたことは、ヒトとヒトのあいだだけではなく、ヒトとヒト以外の生物についてもいえる(148-149頁)。

 誰(何)は殺し(食べ)てもいいが、誰(何)はいけないという区別のつけ方の問題は、いまやヒトの安全で快適な生活のための便宜といった次元を超えた、ヒトとヒト、ヒトとヒト以外の生物とのあいだにあるべき掟、いわば倫理の問題として考えられなければならないところに来ているのではないだろうか(149頁)。

 第四部には、「江戸=東京の下町という「地域」から、明治日本の国家史を覚めた目で見る視点を築けないかという関心、それに外側から呼応させて、十九世紀のアジア・アフリカの中に、明治日本が行った選択を位置づけてみたいという関心」(288頁)から、その予備的考察としていくつかの論点が提示されている。
 第三部は、上でそのタイトルにすでに言及した論考「サバンナへの夢、そして三〇年ののち」だけからなる。そこには、K先生が人類学者としてなぜアフリカを研究対象として選んだか、その動機とそこに至る出会い、そして現場での経験が生き生きと語られている。同論考の冒頭と末尾から引用する。

 遠くへ行きたい ―― 誰もが一度はもつ願望だ。それは「ふるさと」志向とは正反対のベクトルをもつ感情であるようにみえる。
 「遠くへ」というのは、地理上のへだたりだけではない。自分が馴れ親しんだ一切のもの、人、風土、衣食住の仕来り、価値の尺度などのすべてが無になり、拒絶されるところだ。そういう界域に自分をさらしたいという願望は、人間にとってかなり本質的なものなのではないだろうか。
 ただ、多くはそれが一時の漠然とした想いとして、間もなく消えてしまうか、ある期間の放浪などで一部満たされ、やがて自分が生きている社会の日常性の、手ごわい現実に呑みこまれてしまうかする。そうではなく、日常性をとりこみながら、それとは緊張ある距離を保って、「遠くへ行くこと」を一生かけて自分の仕事にしてしまう場合もある。多くの文化人類学者にとっての、研究対象である異文化とのかかわりがそうだし、アフリカと私のつきあいも、そんな一つに数えられるかもしれない(177-178頁)。

 三〇年歩きつづけたサバンナで、地平線に立つ積乱雲を見て、ほんとうに遠くまで来たのだろうかと自問している自分に気づくことがある。同時に、遠くへ行くこと、自分とは異なるはずのものを求めつづけた自分の、文化人類学者としてのアイデンティティへの問い、そうやってアフリカのことをわざわざ知ろうとしているお前は誰だという問いの前に立たされている自分にも、私は気づくようになった(192-193頁)。

 「遠くへ行く」ことが、基礎的研究方法として身につくだけでなく、生き方そのもの基本的な姿勢となるとき、そのことによって見いだされるのは、遠く未知なる異文化ばかりではなく、いやむしろ、その過程を通じて変えられていく自分、その意味でいつまでも開かれている未踏の「内なる大陸」としての未知なる「自己」ではないであろうか。