二〇〇一年四月に京都で、『近親性交とその禁忌』をテーマに、集団生物学・霊長類学・文化人類学の最新の研究成果と問題意識を持ち寄ったシンポジウムが、日本人類学会進化人類学分科会の主催で行われた。このような学際的な視野でこの問題が論じられるのは、世界でもおそらくこのシンポジウムが初めてであり、その時の討議の貴重な成果を一冊にまとめて世に問おうという意図で本書は編まれている。同年末に藤原書店から刊行されている。
同書に挟み込まれていた藤原書店の月刊誌「機」二〇〇一年十二月号に、編者であるK先生による同書の紹介記事が掲載されている。その一部を以下に引用する。
近親性交とそのタブーをめぐる問題群の特徴は、[中略]性行為としての現実と、幻想、穢れ、神聖視などの心意の側面とが不可分であること、肉親とか異類というときの身内とよそ者の境のつけかたが、さまざまに変わりうること、の二点にあると言っていい。そうした夢と現(うつつ)の錯綜や自他の変転ぶりが、この問題群の一筋縄でゆかない難しさと同時に、面白味というより妖しい魅力ともなっているのだ。エディプス神話の、父を殺し母を娶ったために天災を招く永遠のドラマには、理知の及ばない闇の魅力が凝縮されているといえるだろう。
折しも、母子相姦の結果テーバイの都に襲いかかった災厄さながら、国際テロと狂牛病の恐怖が、私たちの世界を脅かしている。近親婚忌避研究の大先達でもあるレヴィ・ストロース教授は、肉食は拡大されたカニバリスム(ヒトの共食い)にほかならならず、狂牛病は人間が牛に共食いを強いた報いだと喝破している(「狂牛病の教訓」『中央公論』二〇〇一年四月号)。国際テロをめぐる攻防でも、敵味方の境が錯綜し、かつてのような領域国家を単位とする戦争の時代が終わったことを示している。
論理的にも生物学的にも、まったく同一なものと交わることも、まったく異なるものと交わることも不可能である。この〈同〉と〈異〉との両極の間に、交わることの可能なものの範囲が慣習上のタブーや法的な禁止によって限定されるが、その限定は時代と地域によって可変的であり、それらの禁忌が犯されることは常に可能である。生物としても人類としても、比較的〈近しいもの(親しいもの)〉同士で交わろうとする傾向がある。しかし、より交わりやすい「ちかしさ」の中にその他の「ちかしさ」とは異なる特異性を認めるかどうかで、世界認識が変わってくる。
近親性交という人類史上至るところに観察される現象についての生物学、霊長類学、文化人類学の最新の研究成果を持ち寄ることによって同書において問われているのは、端的に、「人間とはどのような生きものか」という問いである。