内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(5)― 苦しみに慰めを結び合わせる

2016-02-09 00:19:19 | 読游摘録

 『祈り』に見られるパスカルの救済のヴィジョンとそれを大枠で特徴づけている思考のシェーマについて、メナール教授の次の解説を読むことで、少なくとも知的には、しかしまだあくまで「他人事」として、一定の外的理解は、これを得ることができるように思う。

Si le goût de Pascal pour les rapports binaires s’est imposé d’abord à nous dans la figuration du spirituel par le matériel, les rapports ternaires joueront ici le premier rôle. Certes, le binaire ne disparaît pas totalement : le « païen » et ses « idoles » terrestres cèdent la place au chrétien aspirant du Dieu qui ne passe pas. Mais au regard de la maladie, tout un ordre des choses s’établit où trois termes sont nécessaires pour parvenir jusqu’à l’absolu. Il existe ainsi une progression ternaire entre la maladie, qui, éloignant du monde, peut déjà passer pour « une espèce de mort », la mort elle-même et, au moment où se rejoignent tous les destins individuels, la fin du monde (992).

パスカルの二項から成る関係に対する嗜好が、精神的なものの物質的なものによる表示においてまずはっきりと認められたが、この小品においては、三項からなる関係が主役を演じている。もちろん、二項関係が完全に姿を消しているわけではない。たとえば、「異教徒」やその地上の「偶像」は、過ぎ去らない神を切望するキリスト教徒に席を譲っている。しかし、病の見地からすると、絶対的なものに辿り着くのに三つの言葉が必要であるようなひとつの秩序が出来上がっている。こうして、この世から人を遠ざけ、「一種の死」とすでに見なせる病気、死そのもの、そして、全人類がひとつになるこの世の終り、この三段階を経る進展があることになる(456-457 一部改変)。

A quoi correspondent trous « jugements » successifs, celui que la maladie invite l’âme à porter sur elle-même, préparation et prévention du jugement de Dieu sur l’âme individuelle à la fin de la vie, sur la totalité des âmes, par le jugement général, à la fin du monde. Plus grandiose encore, car la totalité des temps y est embrassée, la distribution des souffrances et des consolations dans l’humanité aux différents âges de l’histoire (ibid.).

これら三つには、相次ぐ三つの「審判」が対応することになる。病気が魂に魂自身について下すように促す審判、生涯の終わりにひとりひとりの魂に下される神の審判とそれに対する準備や予防措置、それにこの世の終わりに全人類に下される公審判である。時間の総体がそこには包含されているので、歴史のさまざまな時期に人類に対してなされている苦しみと慰めのこの分配は、(上の二項関係に基づいたヴィジョンより)、いっそう壮大である(457 一部改変)。

La souffrance appartient à la nature ; la consolation — du moins la seule véritable — appartient à la grâce. Avant la venu du Christ, le monde, païen et juif, a vécu dans les maux sans consolation. Depuis la venue du Christ, les souffrances de la nature sont équilibrées chez les fidèles par les consolations de la grâce. Dans l’état de « gloire », la « béatitude » seule sera le partage des saints (ibid.).

苦しみは自然に属している。慰め ― 少なくともその唯ひとつの真なる慰め ― は恩寵に属している。キリスト到来以前の異教やユダヤ教の世界は、慰めなしの苦しみのなかで生きていた。キリスト到来以後、キリスト者にあっては、自然の苦しみは恩寵の慰めによって釣り合いがとられることになる。「栄光」の状態にあっては、「至福」のみが聖徒たちの取り分となる(457 一部改変)。

La Prière demande donc la délivrance du péché pour échapper à la souffrance qui règne seule dans l’« état de judaïsme » ; elle implore la grâce qui, dans la situation ambiguë de l’homme racheté, permet de joindre aux souffrances les consolations ; quant à l’état de béatitude, il ne peut être l’objet que d’un désir, que le don de la grâce prépare à voir satisfait. Dans ces successions de trois étapes subsiste une part du rapport symbolique de figurant à figuré qui caractérisait les séries binaires : une sorte d’unité est ainsi préservée par-dessus les ruptures. Ampleur et unité de la vision : on ne saurait donner plus grande portée au thème de la malade (992-993).

『祈り』は、したがって、「ユダヤ教の状態」において君臨する唯一のものである苦しみから逃れるために、罪からの解放を求める。『祈り』は恩寵を懇請するが、この恩寵が、贖われた人間が置かれるどっちつかずの状態のなかで、苦しみに慰めを結び合わせることができるようにする。至福の状態は、ひとつの望みだけの対象となることができるが、恩寵の賜物がこの望みを満足させてくれることになる。こうした三段階の継起のなかに、二項から成る系列を特徴づけていた表徴するものと表徴されるものとの関係の一部が存続している。こうして、断絶を超えて一種の一体性が保たれている。ヴィジョンの大きさと一体性。病気というテーマにこれ以上の拡がりを与えることは不可能であろう(457 一部改変)。
















































 


パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(4)― 悪足掻きを続けることくらいしか

2016-02-08 00:00:07 | 読游摘録

 昨日の記事では、「弱音」を吐いた。そんな情けないことを吐露すくらいなら、最初から難しいテキストなど読まなければいいではないか。もっと自分に「身近な」「わかりやすい」作品を読んで自分を慰めていれば、それでいいではないか。周りの人間の気持ちもわからないような人間に、文化的にも時代的にも途方もなく隔たりがあり、とりわけその精神の高貴さにおいて懸絶している天才の考えていることなど、そもそもわかるわけがないではないか。結局何もわからなかったという結果に終わるだけの空しい悪足掻きを、性懲りもなく、私は続けているだけなのかもしれない。
 しかし、その悪足掻きを続けることくらいしか、私には能がない。それが能であるとしての話だが。
 だから、とにかく、他に為す術もなく、メナール教授の解説の摘録を坦々と続けることにする。

Mais la spiritualité de la Prière et aussi fondée sur la considération du Christ, en la personne duquel s’unissent paradoxalement la plus grande souffrance et la plus parfaite innocence. Sans le sacrifice du Christ la souffrance des hommes n’aurait aucune valeur ; et toute souffrance humaine prend valeur lorsque Dieu la fait participer à la souffrance du Christ. Car cette dernière était le pur effet de l’amour. Elle n’était liée au mal que par celui des hommes, qu’elle avait pour fonction de racheter. Le corps du Christ souffrant rend aimable à Dieu tout corps qui souffre. En Dieu, l’amour de son Fils s’unit à l’amour des hommes. Dans la relation de l’homme à Dieu, la Médiation du Christ est toujours nécessaire (991-992).

だが、『病の善用を神に求める祈り』の霊性は、最大の苦しみと最も完全な潔白さとがその位格において逆説的に結合しているキリストを考察することにも基礎をおいているのである。キリストの犠牲がなければ、人間の苦しみには価値がまったくないことになるであろう。人間のあらゆる苦しみが価値をもつのは、神がキリストの苦しみに人間の苦しみを与らせてくださるときなのである。キリストの苦しみこそ、何よりも愛に由来していたからである。キリストの苦しみは、人間の悪によってはじめて悪と結ばれていたのであって、しかもその人間の悪を贖うことを任務としていたのだ。苦しむキリストの体が、すべての苦しむ体を神に愛されるものとするのである。神にあっては、そのおん子への愛が人間への愛と結び合わされる。人間と神との関係では、キリストを黙想することは常に必要となっている(456 一部改変)。

Dans l’évocation du Christ et des souffrances de la Rédemption se manifestent déjà le dessein de Dieu sur le monde. Souffrance et maladie entrent ainsi dans l’économie du salut, et prennent tout leur sens dans le déroulement d’une histoire providentielle (992).

キリストと贖罪の苦しみを思い起こすことのなかには、すでにこの世に対する神の計画が現われている。苦しみと病とは、こうして救いの筋立てのなかに入り、摂理の歴史の進展のなかでそれぞれの意味をもつことになる(456)。




















































パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(3)― 遙か彼方へと遠ざかるテキスト

2016-02-07 00:00:02 | 読游摘録

 「パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む」と題を打ちながら、その『祈り』の本文ではなく、メナール教授による解説を追っているのは、その解説がこの作品について現在望める最良の解説の一つであるからだが、そうするのにはもう一つ、私にとってはもっと大きな理由がある。それは、私個人が直面している困難として、『祈り』の本文だけ読んでも、テキストの内実に入り込むための入口がどこにも見つからなくて途方に暮れているということである。
 この『祈り』は、一六六六年に刊行された『信心論集』(Divers Tratés de Piété)という、すべて匿名の作品からなる文集の冒頭に収められたテキストがその初版と見なされており、以後、数多くの版を重ね、とりわけ『パンセ』の中に含まれる形で公にされてからは、パスカルの『祈り』として広く知られ、いわば「秘密なし」の状態にあると見なされてきた作品であった。
 『祈り』の写本にまで遡っての厳密なテキスト校訂は、それゆえ、メナール版『パスカル全集』の刊行(一九九二年)まで待たなければならなかった。その結果、ブランシュヴィック版とは四〇箇所以上の、ラフュマ版とは九〇箇所以上異なる新しいテキストが提示されることになり、しかも長いあいだパスカルが若いときに書いたとされてきたのに、一六六〇年秋以降に一種の精神的遺言として書かれたと見なされることになった。これは、パスカル研究者たちにとっては、パスカルの思想と信仰について重大な問題提起を含んだ結論であろう。
 しかし、ただ自分の関心からパスカルを読んでいるだけの一読者に過ぎない私にとっての問題は、そのような学問的に厳密な校訂を経たテキストが読めるかどうかということやこの小品がいつ書かれたかということよりも、パスカルの死後わずか四年にして、『祈り』が独立のテキストとして刊行され、以後フランス語圏キリスト教世界で広く読まれてきたという事実のほうなのである。言い換えれば、刊行当時の、そしてそれ以降の時代の読者たちがどのようにこの『祈り』を読んできたのかという受容史的問題のほうが気にかかるのである。自分の関心に沿って問題をもっと一般化して言えば、思想の伝統に連なるとはどういうことなのかという問題が私を苦しめている。
 この作品の完成度が高ければ高いほど、私にとってはその敷居も高くなる。「病気というきわめて個人的経験から生まれた作品であるが、キリスト教のあらゆる伝統、とりわけアウグスティヌス的伝統に基づいていることが明らかになり、キリスト教における病気のテーマを見事に集大成している」(白水社『【メナール版】パスカル全集』四六〇頁)作品の、厳密な校訂を経た原文を物質的には目の前にしながら、精神的にはどれほどそこから遠いところに自分は立っていることか、と自問せざるを得ない。いや、何度読もうとしても、それを拒絶するかのように屹立し、それどころか、遥か彼方へと遠ざかろうとするテキストを前にして、自分が今どこに立っているのかさえ怪しくなり、精神の眩暈を感ずるのをどうすることもできないでいると言ったほうがもっと実感に即している。






















































 


パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(2)―「病気の苦痛を上回る精神的喜び」

2016-02-06 07:01:17 | 読游摘録

 昨日に続いてメナール版パスカル全集第四巻に収録されている『病の善用を神に求める祈り』のメナール教授による解説の摘録を続ける。白水社の日本語版は、その解説の「骨子のみを略述する」とされているが、書誌的に詳細な検討部分を除けば、本質的に重要な諸点については、その忠実な訳になっている。
 以下、断りのない限り、仏語版・日本語版それぞれからの抜粋であり、各引用末尾の数字は仏日各版の頁数を示す。

Le matériel n’est jamais que la « figure » du spirituel (991).

物質的なものは、精神的なものの「表徴」にすぎない(455)。

La maladie du corps figure la maladie de l’âme. C’est la seconde qu’il importe de guérir, et la première ne donne lieu à « bon usage » que dans la mesure où elle aide à cette guérison essentielle (ibid.).

体の病気は、心の病気の表徴なのである。治さねばならないのは心の病気のほうで、体の病気は、この本質的な治癒に役立つ限りにおいて「善用」すればよい(455 一部改変)。

Si la maladie réalise matériellement la séparation du monde, elle ne l’accomplit pas sur le plan spirituel. Il y faut une grâce spéciale, celle de conversion (ibid.).

病気がこの世からの離脱を物質的に実現しても、精神的な面で離脱を達成することにはならない。そのためには、特別な恩寵である回心の恩寵が必要である(455-456 一部改変)。

Une grâce que la maladie renferme implicitement, comme effet de la miséricorde de Dieu, qui appelle à lui le pécheur avant que, la mort survenant, il ne soit trop tard. Mais la grâce reste malgré tout distincte de la maladie. Elle se manifeste par une attitude d’amour, et l’amour s’accompagne de ces « consolations » sensibles, de cette joie spirituelle plus forte que la douleur du mal. Car toute peine terrestre est surmontée en Dieu par une sorte de joie céleste. Au terme, dans l’abandon total, se réalise, entre l’homme et Dieu, l’union mystique (ibid.).

神の憐れみの結果として病気のなかに含蓄的に含まれている恩寵、死がふいにやって来て手遅れにならないうちに罪人を神の許へと呼ぶところの恩寵である。といっても、恩寵は病気と区別される。恩寵は、愛の表明として現れるのであって、愛は、感じることのできる「慰め」や、病気の苦痛を上回る精神的喜びを伴うのである。というのも、地上のあらゆる苦しみは、一種の天上の喜びによって神において乗り越えられるからである。その行きつくところ、完全な神への委託において、人間と神とのあいだの神秘的結合が実現することになる(456)。





















































 

 


パスカル『病の善用を神に求める祈り』を読む(1)

2016-02-05 04:49:31 | 読游摘録

 昨日の記事の終わりの方に引用した Un lit de malade six pieds de long の後書( « Postface »)の箇所の最初の文の末尾には注がついていて、子規の「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」という一文について、それがパスカルの『病の善用を神に求める祈り』(Prière pour demander à Dieu le bon usage des maladies)を思わせるとの言及がある(« On pense à la Prière pour demander à Dieu le bon usage des maladies, de Blaise Pascal, parue anonymement en 1666. », op. cit., p. 305)。確かに、子規のこの一文を読んでパスカルの『祈り』を想起する人もいるかも知れない。しかし、それはその人の教養(あるいはディレッタンティズム)によることで、それ以上の意味はないと私には思える。

 しかし、この注が私をパスカルの『祈り』へと立ち戻らせたのは事実である。今、「立ち戻らせた」と書いたのは、以前にもこのパスカルの『祈り』を何度か読んだことがあり、それに対する自分の考えをまとめておこうとしたこともあったのだが、正直なところ、その内容にちょっとついていけないものをその都度感じてしまい、考えをまとめるには至らなかったということがあったからである。今もまだまとまらない。が、せっかく手元にメナール版『パスカル全集』第四巻とそれに基づいた白水社版の『パスカル全集』第二巻が手元にあるのだから、この「恵まれた」機会に読み直しておこう。
 今日のところは、手始めとして、『全集』の解説のごく一部を仏語・日本語両版から抜粋するにとどめる。
 パスカルの小品集の中でも最も完成した形をもっているこの『祈り』は、「その着想においても、言葉づかいにおいても、類を見ない」(« Par l’inspiration et par le langage, elle est radicalement unique », Pascal, Œuvres complètes, vol. IV, Desclée de Brouwer, 1992, p. 996 ; 『【メナール版】 パスカル全集』第二巻,白水社,1994,p. 461)作品である。
 「聖書、聖アウグスティヌス、神秘家という三つの伝統のなかに置かれることによって、『祈り』は、過去の宗教経験のすべてに養われたものとして姿を見せている。しかしながら、パスカルは、この経験を、彼独自の仕方で吸収し、生き、考えている。この経験が凝集されたこの小品は、比類のない輝きをもった宝石のように輝いているのである」(上掲書『パスカル全集』,p. 455 ; « Replacée dans cette triple tradition, biblique, augustinienne et mystique, la Prière apparaît nourrie de toute expérience religieuse du passé. Mais Pascal l’a assimilée, vécue, pensée, d’une manière toute personnelle. L’écrit dans lequel il la condense brille comme un joyau d’un éclat unique. », Œuvres complètes, op. cit., p. 990)。
 「この作品では、祈り方が根本的に新しい。病人の祈り、あるいは病人のための祈りは、キリスト教のあらゆる時代に見出される。でも、それらの祈りは、概して、回復を求めることを目的としている。パスカルにあってもこの目標が排除されてはいないが、副次的なものとなっている。重要なのは、未来ではなく現在であり、病の「善用」なのである。となると、テーマは、キリスト教の神秘全体の次元にまで広がることになる。人間存在についての見解のすべて、霊的生活の原理のすべて、この世に対する神の計画のヴィジョンのすべてにかかわるものとなったのである」(上掲書同頁 ; « La démarche fondamentale est radicalement neuve. Certes, les prières de malades, ou composées à l’intention de malades, sont de tous les âges du christianisme. Mais elles visent, pour l’essentiel, à demander la guérison. Chez Pascal, cet objet n’est pas exclu ; mais il est secondaire. Ce qui compte, ce n’est pas l’avenir, c’est le présent, c’est le « bon usage » de la maladie. Dès lors le sujet s’élargit aux dimensions du mystère chrétien dans son ensemble. Il engage toute une conception de l’expérience humaine, toute une spiritualité, toute une vision du dessein de Dieu sur le monde. », op. cit., p. 990-991)。



















































子規晩年における「あきらめ」と「さとり」とについて

2016-02-04 10:59:57 | 読游摘録

 昨日紹介した『病床六尺』の仏訳 Un lit de malade six pieds de long の後書で、ロズラン教授は、子規における「あきらめ」(« acceptation »)について重要な指摘をしている。

Il ne faut pas se méprendre sur ce que l’on désigne plus fréquemment en Occident comme la « résignation » orientale, le « renoncement ». Le fait d’accepter les limites de la condition humaine, s’il interdit en effet toute révolte métaphysique, ne conduit par pour autant à un refus de la vie, ni à une mystique de la mort. Pour Shiki, quand on s’est « résigné » – quand on a « accepté » –, « on jouit pleinement de sa destinée » (26 juillet) (op. cit., p. 239).

 上記引用の大意は以下の通り。
 「あきらめ」とは、あるいは、いわゆる東洋的「諦念」とは、しばしば西欧においてそう誤解されれているような、この世の生の「抛棄」ではない。「あきらめる」とは、人間存在の諸条件をそれとして受け入れることであり、生を拒否することでも、死の形而上学へと導くものでもない。「あきらめる」とは、己の運命を十全に享受することだ。
 続けて、教授は『病床六尺』の六月二日の記事を引用する。

余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

Jusqu’à présent je m’étais mépris sur ce que l’on appelle « compréhension » dans les écoles bouddhiques zen. Je croyais qu’atteindre la compréhension signifiait que l’on pouvait mourir paisiblement quelles que soient les circonstances, et je me trompais : atteindre la compréhension signifie en réalité que l’on peut vivre paisiblement, quelles que soient les circonstances (ibid., p. 56).

 ここで注目すべき点は、教授が「悟り」を « compréhension » と訳していることである。この訳語に以下のような注を付けている。

C’est le satori du zen, ce qu’on traduit souvent par « Illumination » ou « Éveil », mais dont le sens premier est « connaissance », « compréhension », « prise de conscience » [du sens véritable ou caché] (ibid., p. 267).

 上掲の六月二日の記事の引用に続けて、拙ブログでも一昨日の記事で引用した七月二十六日の記事の最後の文「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない」を引用してから、教授はこう記す。

Pour Shiki, la vie avec la maladie n’est pas une « sous-vie », ni non plus une héroïque. C’est simplement un régime de vie parmi d’autres possibles, avec ses particularités (ibid., p. 239).

 子規にとって、病気とともに生きることは、普通の生に劣った生でもなければ、英雄的な生でもない。ただ単に、その他にも様々ありうる生き方のなかの一つであり、それにはそれなりの特異性があるというに過ぎない。
















































「一条の活路を死路の内に求めて」― 正岡子規『病牀六尺』仏訳を読む

2016-02-03 08:16:53 | 読游摘録

 今年一月、正岡子規『病牀六尺』の仏訳 Un lit de malade six pieds de long (Les Belles Lettres, 338 p.) が刊行された。初版刊行後一世紀以上経って、初めて日本語以外の言語で子規最後の著作の全文が読めるようになった。しかもイナルコのエマニュエル・ロズラン教授による彫心鏤骨の名訳によってである。装丁も好い。子規自身が死のひと月前に描いたダリアの美しい水彩画が表紙を飾っている。教授自身による五十五頁に渡る詳細な注解と後書として書かれた三十頁を超える見事な子規論が本書の価値をさらに高めている。フランスにおける日本文学研究の最高峰に位置する成果であると断言して差し支えないであろう。

◯病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先づこんなものですと前置きして

この有名な冒頭の仏訳は以下の通り。

— Un lit de malade six pieds de long : voilà le monde qui est le mien. Et ce lit de malade de six pieds de long est encore trop vaste pour moi. Certes il m’arrive d’étendre la main à grand-peine et de toucher les nattes, mais il n’est pas question d’allonger mes jambes en dehors du matelas pour laisser mon corps se détendre. Dans les pires moments, je suis assailli de douleurs extrêmes, et parfois je ne peux plus du tout bouger, ne serait-ce que d’un pouce. Douleurs, tourments, hurlement, analgésiques : chercher timidement un sentier de vie sur le chemin de la mort, et désirer avec avidité une faible paix, quelle dérision ! Et pourtant, dès lors que l’on demeure en vie, il y a des choses que l’on tient absolument à dire. Je n’ai chaque jour sous les yeux que des journaux et des revues, mais il arrive souvent que la douleur m’empêche même de les lire ; néanmoins il me suffit d’en parcourir quelques lignes pour me fâcher, me mettre en rogne, à moins que parfois, exceptionnellement, cela ne me procure une joie inexplicable qui me permet d’oublier les souffrances de la maladie. En guise de préambule, voilà ce que sont, mes chers amis, les sentiments d’un malade tout le temps couché, et qui plus est ignorant des choses du monde depuis maintenant six ans.

 原文の一語たりとも疎かに扱われていないのはもちろんのこと、原文の「呼吸」を伝えるために句読点も細心の注意を払って選ばれている。最後の一文にだけ「です」が使われているのを « mes chers amis » と訳すことで、その一文だけが読み手に向かって語りかける調子になっていることも巧みに訳し分けられている。
 日本人の読者でさえ、仏語を解することができれば、この名訳と訳注・後書を併せを読むことで、『病牀六尺』をより深く味読することができるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「病気の境涯に処しては、病気を楽しむ」― 正岡子規による『一年有半』評について(二)

2016-02-02 08:59:04 | 読游摘録

 正岡子規『病床六尺』七月二十六日の記事は、それが拙ブログの今回の一連の記事のテーマである中江兆民『一年有半』に言及している記事であるということとはまったく独立に、生・病・死について私たちに考えさせる内容を有っている。
 『病床六尺』は、文庫本でも「青空文庫」等ネット上でも簡単に入手できるテキストではあるが、七月二十六日の記事の全文をまず以下に掲げよう(原文にある傍点や振り仮名等はこれを省略した)。

或人からあきらめるといふことについて質問が来た。死生の問題などはあきらめてしまへばそれでよいといふた事と、またかつて兆民居士を評して、あきらめる事を知つて居るが、あきらめるより以上のことを知らぬと言つた事と撞着して居るやうだが、どういふものかといふ質問である。それは比喩を以て説明するならば、ここに一人の子供がある。その子供に、養ひのために親が灸を据ゑてやるといふ。その場合に当つて子供は灸を据ゑるのはいやぢやといふので、泣いたり逃げたりするのは、あきらめのつかんのである。もしまたその子供が到底逃げるにも逃げられぬ場合だと思ふて、親の命ずるままにおとなしく灸を据ゑてもらふ。これは已にあきらめたのである。しかしながら、その子供が灸の痛さに堪へかねて灸を据ゑる間は絶えず精神の上に苦悶を感ずるならば、それは僅かにあきらめたのみであつて、あきらめるより以上の事は出来んのである。もしまたその子供が親の命ずるままにおとなしく灸を据ゑさせるばかりでなく、灸を据ゑる間も何か書物でも見るとか自分でいたづら書きでもして居るとか、さういふ事をやつて居つて、灸の方を少しも苦にしないといふのは、あきらめるより以上の事をやつて居るのである。兆民居士が『一年有半』を著した所などは死生の問題についてはあきらめがついて居つたやうに見えるが、あきらめがついた上で夫の天命を楽しんでといふやうな楽しむといふ域には至らなかつたかと思ふ。居士が病気になつて後頻りに義太夫を聞いて、義太夫語りの評をして居る処などはややわかりかけたやうであるが、まだ十分にわからぬ処がある。居士をして二、三年も病気の境涯にあらしめたならば今少しは楽しみの境涯にはひる事が出来たかも知らぬ。病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。

 この文章の中で、子規は、兆民をその死後七ヶ月も経った後で死者に鞭打つがごとくに批判しているのだろうか。私にはそうは読めない。前年、新聞『日本』紙上で、学識ある先達としての敬意を兆民に払いつつ、病人としては自分の方が先輩だと意識的に自分の位置をユーモアとともに兆民の上に置いていた子規は、実のところ、「平凡浅薄」と罵倒した『一年有半』の兆民を今の自分がいかに超えるのかという問題をこの記事の中で改めて自分に突きつけていると私には読める。
 「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。」未来における治癒の可能性が完全に絶たれているとき、これから先への「希望」を持って生きることはもはやできない。病人である今の自分をいかに楽しむか。「賭け」はそれに尽きる。生きている「面白味」は、現在の病中の各瞬間に見出されるのでなければ、どこにもない。
 限られた時間の中で日々の思いを日々書くという行為が、遠からぬ死から目を背けるための慰みあるいは気晴らしに尽きるものではなく、その日々のそれぞれの恵まれた時を「楽しむ」ということであるときはじめて、残された日々の一日一日は「面白味」を持つことができるのだろう。
 子規は『病床六尺』の記事を新聞『日本』紙上に没年の五月五日付から九月十七日付まで掲載している。掲載が始まった五月には、とりわけ病床に呻吟したのであろう、九日、十一日、十五日から十七日までの三日間、十九日から二十一日までの同じく三日間、記事がない。しかし、それ以降は九月十六日を除いて、一日の欠けもない。九月十二日の記事から極端に短くなり、しかも我身を苦しめる拷問の如き苦痛について三日続けて記す。十七日の最後の記事の二日後、十九日午前一時頃、子規は息を引き取る。


















































「「あきらめ」以上の域 ― 正岡子規による『一年有半』評について(一)

2016-02-01 10:53:22 | 読游摘録

 明治三十四年(1901)九月二日に出版された中江兆民の『一年有半』は、当時としては驚異的なベストセラーになった。初版刊行以後一年にして二十三版、二十余万部発行されたという。
 松永昌三『中江兆民評伝(下)』(岩波現代文庫、2015年)によれば、「兆民の声明と本書の内容もさることながら、その兆民が、ガンという不治の病に倒れ、迫り来る死との時間的格闘の中で執筆されたという異常性が、読書界に衝撃と興奮を走らせ、爆発的な売れ行きとなったと思われる。書評は、同情も加わって、おおむね好評であった。」(342頁)
 ところが、『一年有半』に対して苛烈とも見える「罵倒」を投げつけた文学者が一人いた。兆民のちょうど二十才年下の正岡子規である。
 子規が『一年有半』について言及しているのは、以下の三つの場所と時期においてである。
 まず、『仰臥漫録』の明治三十四年十月十五日、十七日、十八日、二十五日の日記。
 最初の記事の時点では、子規はまだ同書を読んでいないにもかかわらず、新聞で読んだ同書の評判から内容を推測して、感想と批判を記している。「居士はまだ美といふ事少しも分らず、それだけ我等に劣り可申候。理が分ればあきらめつき可申、美が分れば楽み出来可申候。杏を買ふて来て細君と共に食ふは楽みに相違なけれども、どこかに一点の理がひそみ居候」などと述べている。十七日の記事で、虚子が贈ってくれた『一年有半』がその日子規の手元に届いたことがわかる。翌日の記事には、同書を「見た」とある。そして二十五日の記事には、「『一年有半』は浅薄なことを書き並べたり、死に瀕したる人の著なればとて新聞にてほめちぎりしため忽ち際物として流行し六版七版に及ぶ」と、同書の内容に対してばかりでなく、それをもてはやしたジャーナリズムや歓迎した読書界についてまで否定的な見解を記している。
 これらの言及は、しかし、日記内の述懐であり、子規の生前には公表されていない。
 ところが、子規は、それからひと月ほど経った同年十一月下旬、新聞『日本』紙上に、「命のあまり」と題して、二十日、二十三日、三十日の三回に渡って『一年有半』論を展開する。第三回目は、最初の二回の記事に対して読者から新聞社に寄せられた批判に答える形になっているので『一年有半』に対する直接的な批判ではないが、これら三回の記事全部を合わせると、三千六百字ほどになる。講談社『子規全集』第十二巻(1975年)に収録されている。
 この一連の記事とそれをめぐる紙上での論戦について、松永昌三は上掲の『評伝』の中で次のように述べている。

きっかけは、『一年有半』の評判を羨んだ正岡子規が、『一年有半』をもてはやす新聞評を非難し、『一年有半』は奇行の人兆民の著書にしては、平凡浅薄、要するに死にかかった文士が、病中のうさ晴らしに書いたものにすぎず、たんなる同情心から、これを過大に評価するのは間違いであると、水をぶっかけたことにある。結核で同じく長年の病床生活を続けていた子規にとって、病者の心情を真に理解できぬ無責任な批評が我慢できなかったのかも知れぬ。(364-365頁)

 確かに、子規自身記事の中で述べているように、『一年有半』の中身についてはそれを「平凡浅薄」と「罵倒」しているだけであり、子規の舌鋒の鉾先はむしろ兆民の同書執筆動機を誤解して的はずれな褒めそやし方をするジャーナリズムや読書界に向けられている。そして、兆民自身に対しては、「居士は学問があるだけに、理屈の上から死に対してあきらめをつけることが出来た。今少し生きて居られるなら「あきらめ」以上の域に達せられることが出来るであろう」と第一回目の記事が結ばれていることがからもわかるように、兆民自身が『一年有半』の「平凡浅薄」さを超えて、一個の思想家としてそれに相応しい境位に残された時間の中で達することを期待してもいるのである。しかし、兆民には、この子規の記事のことは耳に入らなかったであろう。三回目の記事の十三日後に、兆民は息を引き取っている。
 この「「あきらめ」以上の域」に日々書くことで到達しようとしていたのは、子規その人自身でもあった。子規に残されていた時間も、『一年有半』についての記事を書いて以後、十ヶ月足らずしか残されていなかった。
 子規の書いた文章の中に『一年有半』についての言及が三度目に見られるのは、子規の死の年、明治三十五年(1902)に執筆された『病床六尺』の中の七月二十六日の記事の中でのことである。兆民没後すでに七ヶ月が経過している。この子規の記事については明日書く。