内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

スポーツと西田哲学 ― オリンピックをテレビ観戦しながら考える

2016-08-12 23:35:46 | 雑感

 オリンピックでさまざまな個人対戦競技を見ていると、精神面のことはしばらく措くとすれば、技術的には拮抗していてどちらが勝ってもおかしくないような対戦者同士の戦いでしばしば勝敗を分けるのは、戦術の有効性と柔軟性と多様性であることがわかる。対戦相手に対して有効な戦術を多様な選択肢の中から状況に即応して柔軟に選べる選手が勝つ。ダブルスやチームの対戦の場合には、勝敗を分ける要素として、相方との呼吸・間合い、メンバー同士の連携・コミュニケーションさらにそこに加わる。
 どんなスポーツ競技も、単なる身体能力の競争ではないことは言うまでもないが、知性において勝る方が必ず勝つわけでもない。勝敗を分けている決定的要素を西田哲学固有の用語を使って言い表すとすれば、それは行為的直観の広がりと奥行きと密度の違いだと言うことができるのではないかと日本人選手たちを応援しながら考えたりしている。





















































集中講義課題レポート総評

2016-08-11 18:13:52 | 講義の余白から

 今日、先月末の集中講義の最終課題として学生たちに課したレポートを読んだ。昨日が提出期限だったが、全員期限までに提出してくれた。
 論述にあたって与えられた条件は三つあった。長さは二千字程度。技術・身体・倫理という三つの主題を相互に関連づけて、現代社会の或る一つの問題に絞って論じること。集中講義中に取り上げた西田、三木、和辻のいずれかの所説に論述の中で少なくとも一回は言及すること。
 皆それぞれに集中講義の中で行った議論を踏まえつつ論じてくれていた。講義の最終日には、学生たちにそれぞれ課題のプランを発表してもらい、それについて出席者全員の間で質疑応答を行ったので、それも考慮しつつ立論してくれたレポートもあった。
 それぞれのレポートについてのコメントと講評は先ほど書き終えた(後で各自に送信します)。総評としては、字数制限に応じたバランスのとれた構成が難しかったようだ。提起された問題が大き過ぎて、提示された論点について論じ切れていない。性急な断定が目立ち、一つの問いを順序立てて深めていくという展開ができていない。
 講義中に学生たちに聞いて驚いたことがある。修士課程だというのに、平常点だけで成績を出し、レポートを課す先生が少ないというのである。その理由は、セメスター制のために成績提出期日が早いからだという。これでは書く力がつくはずがないではないか。レポートに見られる構成力の弱さにその力不足が露呈している。
 どうするか。自分で書く力を鍛えるしかないであろう。
 文章を書く力をつけるには、スポーツと同じで、まずは基礎的なトレーニングから始めなければならない。日記のように思っていることを漫然と書いても力はつかない。長さを例えば四百字に決めて、その枠の中で一つのよく限定された論点について議論を組み立てる。これを毎日一年間続けること。休んではいけない。長さに応じて議論の構成を考える基礎力をこの練習によって養う。
 これだけでは十分ではない。これもスポーツと同じで、ちゃんとしたコーチについてアドヴァイスを受けつつ練習しなければ、自己流の癖がつくだけで上達しない。コーチを見つけることが難しければ、次善の策として、相互批評がある。何人かで互いの文章を批評し合う。そうすることで自分の欠点も見えてくるだろう。
 言うまでもないと思うが、書くだけでは書く力はつかない。手本となる文章をたくさん読まなくてはならない。栄養を適切に補給しなければ、必要な体力がつかないのと同じである。
 学生たちの今後の研鑽に期待する。


















































連日のオリンピック報道の陰で

2016-08-10 14:07:38 | 雑感

 毎日オリンピック中継を見ているが、それと並行してネット上で日仏のオリンピック関連のニュースを比較しながら読んでいる。
 当然のことながら、どちらも自国の選手の活躍を中心とした編集になっている。メダルが期待される種目が両国でかなり違うから、同日の記事なのにまったく内容が異なっていることもある。別の国を比較の対象にとっても、同じような傾向が見られることだろう。その意味では、別に驚くべきことではない。
 今回、フランスは全般的に低調であり、期待はずれの結果に終わっている種目が多い。フランスメディアの報道の仕方がそれに応じて辛口になり、時に皮肉な調子になるのも致し方ないところである。
 あれこれの記事を読みながら気づいたことは、期待通りの結果を出せなかった選手へのインタビューの内容がかなり刺々しく、何か憤懣やるかたないといった調子もときに見られることである。それは競技の結果の反映として簡単に説明されうるものなのだろうか。
 特に私が気になったのは、メダルを取れなかった水泳選手が、薬物使用で過去に出場停止処分を受けた中国選手が今回メダルを獲得したことに対して極めて攻撃的な発言をしていたケースである。選手同士だからわかる内部事情もあることだろうから、その気持ちがわからなくもないが、場所と立場をわきまえた発言とは言いがたい。そんな言葉の端々に今のフランス社会の閉塞と不安の反映を見てしまうのは、穿ちすぎというものだろうか。
 フランスの現在の国内事情のことを思えば、今オリンピックに浮かれている場合ではないことは明らかだ。経済は停滞したまま、失業率も改善されず、為政者たちには国家的なヴィジョンが何もない。治安に対する懸念は増大する一方。七月のニースの惨劇以後、テロを恐れて中止された夏のフェスティヴァルは一つや二つではない。他者への恐怖と憎悪は日常生活に深く浸透しつつあるのだ。今さら宗教間の対話などという寝ぼけたお題目を唱えたところで、それ自体は何の問題の解決ももたらさない。
 日本は大丈夫であろうか。オリンピックでの日本選手たちの活躍は嬉しい。しかし、その祝祭的報道の陰で深刻化しつつある事態への注意を怠ってはならないだろう。












































南仏の真夏の太陽、あるいは永遠の今の自己限定

2016-08-09 14:58:47 | 随想

 今日の午前中も昨日同様区立中学校のプールで泳ぐ。十時の開門時には数人いた入場客も、この酷暑である、十一時過ぎには一人また一人と立ち去り、最後は私一人。昨日と違って今日はコースロープで一コース完泳用に確保されていた。クロールと背泳ぎと交互に泳ぎ続ける。
 プールを出て、校庭を見やると、誰もいない。普段は部活の生徒たちの掛け声が響いているのだが、今日は外での練習は禁止されたのかも知れない。照りつける太陽の下、静まりかえっている校内を歩きながら、ふと十八年前の夏のことが思い出された。
 十八年前の夏、フランスで二度目の夏のヴァカンスを南仏で過ごした。二週間ほどだったろうか。その頃はまだ車を持っておらず、ストラスブールから電車で南下。リヨンで一泊、そこからアルルまでまた電車。ヴァカンス出発前に予約しておいたレンタカーをアルル駅のすぐ脇のエージェントで借りて、アヴィニョンとアルルの間にある人口数百人の小さな村に向かう。名前は忘れてしまった。
 その村の中の一軒家の一階を借りきった。二階は家主が住んでいた。ご主人はオランダ人元外交官、奥さんは日本人。定年後は南仏で暮らすのが夢だったとのこと。滞在中、お茶や夕食に招待してくれたこともある。
 広い庭は自由に使ってよかった。当時四歳半の娘が朝からその庭の草むらに膝を抱えて座り、頭上の樹々の葉が風にそよぐのを飽かずに眺めていたのを思い出す。そんな時間の過ごし方は生まれて初めてのことだった。
 暑い夏だった。空気は乾き切り、日中の外気温は四〇度に達することもあった。それでも、日陰に入れば涼しい。毎日出かけはしたが、車で二、三時間で往復できる範囲に止め、訪れた場所をゆっくりと歩いた。帰宅後、夕食時に飲むきりりと冷えたロゼの喉ごしはまた格別であった。
 日没は九時過ぎであったから、午後が長い。雲一つないどこまでも碧い空から照りつける太陽はあたかも中空にとどまったままであるかのようになかなか沈まない。まるで時間が止まってしまったかのような感覚に襲われた。
 南仏で過ごしたこの最初の夏は、私の時間意識に決定的とも言えそうな変化をもたらした。私たちによって生きられている時間は、その内にその時間を切断する無数の瞬間を包蔵している。古代ギリシアからの歴史が幾重にも重なり合っている南仏の地を照らす真夏の太陽は、人間の歴史的時間意識を垂直に断ち切る瞬間的切断面を、その下に広がる風光を通じて、垣間見させてくれた。その風光は、私にとって、永遠の今の自己限定の具体的形象にほかならない。















































世田谷区立駒留中学校夏期プール開放

2016-08-08 18:15:56 | 雑感

 実家の坂下にある世田谷区立駒留中学校の夏期プール開放が今日から始まった。午前十時から午後五時まで。期間は二週間。徒歩二分という至便さが嬉しい。この中学校は我が母校でもある。昨夏は、理由は詳らかにしないが、開放されず、わざわざ自由が丘駅から徒歩十分ほどのところにある八幡中学校まで東横線に乗って何度か通った。
 例年、酷暑の只中の開放になることが多く、利用者は少ない。過去には、実際、何度か事実上私一人だけの貸切状態だったこともある。三十五度を超えるような猛暑日には、きっと親が熱中症を心配して子どもたちを行かせないからであろう。
 ところが、今季初日の今日は、台風の接近で風があり、暑さが若干和らいだせいもあるのだろうか、午前十時の開門まもなくして小学生・中学生合わせて十人が入ってきた。
 こちらはただひたすら泳ぎたいだけなのだが、彼らは友達同士で遊びに来ている。コースロープはまったく張られていないので、完泳コースが確保されているわけではない。時に彼らに進路を妨げられることもあるが、休み休み泳ぐにはあまり気にならない程度。
 この夏期プール開放は、例年八月の第一か第二月曜日から始まるので、これに通うことが私にとっては日本での夏休み「活動」の最後になる。帰仏前日の十七日まで毎日通い体を鍛えてハードな新学期開始に備えることにする。






















































絶望によく似た希望

2016-08-07 07:55:40 | 読游摘録

 聖賢曰「暑さは人を獣にする」。我独白「暑さは人を怠け者にする」。
 というか、この暑さであるから、外出を控え、家でダラダラするくらいがちょうどいいのだと思う。日本こそ夏のヴァカンスを必要とする国だと常々思っている。皆が少し時期をずらしつつ交代で一月くらいヴァカンスを取れるようなゆとりある国に日本がなるのは、しかし、プラトンが描いた理想国家の建設よりも困難なことなのかも知れない。
 『ギリシア宗教発展の五段階』第三章「前四世紀の大学派」(”The Great Schools on the forth century B. C.” )のプラトンの政治哲学に関する箇所を読んでみよう。
 都市国家の没落を目の当たりにしていたプラトンは、その原因たる民主政治(衆愚政治)に、それに侵されたアテナイ市に嫌悪を感じていた。しかし、それでもなお、プラトンは都市に対する信頼はこれを持ち続けた。もし都市というものが正しい道に載せ得られさえすればと。
 プラトンの民主政治の分析は、しかし、今もって政治学説中最も光彩あるものの一つであることを失わない。「それは極めて鋭利に、極めて諧謔に富み、極めて情愛のこもったものである。そしてそれぞれ世界の多くの違った時代においてその時代時代の現実社会を如実に写したかに思われて来た。」(藤田健治訳。”It is so acute, so humorous, so affectionate; and at many different ages of the world has seemed like a portrait of the actual contemporary society.” )
 民主政治へと堕落した人間性の現実を目の当たりにしながら、前五世紀の栄光の時代の子であるプラトンは、政治そのものから心をそらすことはできなかった。

The speculations which would be scouted by the mass in the marketplace can still be discussed with intimate friends and disciples, or written in books for the wise to read. Plato's two longest works are attempts to construct an ideal society; first, what may be called a City of Righteousness, in the Republic; and afterwards in his old age, in the Laws, something more like a City of Refuge, uncontaminated by the world; a little city on a hill-top away in Crete, remote from commerce and riches and the 'bitter and corrupting sea' which carries them; a city where life shall move in music and discipline and reverence for the things that are greater than man, and the songs men sing shall be not common songs but the preambles of the city's laws, showing their purpose and their principle; where no wall will be needed to keep out the possible enemy, because the courage and temperance of the citizens will be wall enough, and if war comes the women equally with the men 'will fight for their young, as birds do'.

市場においては群集に侮られて斥けられるべき思弁もなお親しい友人や弟子たちと討論され、賢い人々の読むために書に書きしるされ得る。プラトォンの二つの長編は理想社会を建設する試みである。初めには、国家編中の正義の市ともよぶべきものが、後には晩年、法律編中において世の汚れにそまぬむしろ隠栖の市にも似たものがそれである。それは商業と富と富を運ぶ「人を堕落に導くからき海洋」から遠いクレェテェ島の丘の頂きに立つささやかな市である。そこでは日々の生活は音楽と修練と人間よりも偉大なさまざまの事象に対する崇敬とのうちに動いて行き、人々の謡う歌は平俗(よのつね)の歌ではなくて人の世の目的と原則とを示す国法の冒頭のようなものであるべく、またそこには市民の勇気と節制は城となり干(たて)となるに十分であるが故にあり得べき敵を防ぐべき城壁の必要がない。そして一朝戦となる時は女も男と同等に「鳥のするように幼けなきもののために戦うであろう。」(藤田健治訳)

This hope is very like despair; but, such as it is, Plato's thought is always directed towards the city.

このような希望は絶望に近い。しかしまさにそうではあるが、プラトォンの思索はいつも都市へと向けられているのである。(藤田健治訳)





























































「平和な近代生活」の中で想像力を働かせる

2016-08-06 07:14:34 | 読游摘録

 今日も暑い日になるとの天気予報。この記事を書いている午前7時の時点ですでに気温は27度。蒸し暑い。さらに暑くなり思考力が低下する前に、ギルバート・マレー『ギリシア宗教発展の五段階』の一節を読んでみよう。
 平和な近代生活の中で古代ギリシア人たちの生活の不安定さを想像することは確かに容易ではないだろう。しかし、安全な生活が当時とは違った意味で必ずしも保証されなくなった現代社会に生きる私たちは、その原因について必ずしも明確な認識をもっているわけではない。その認識の欠如が不安、恐怖、憎悪を増幅し、敵を生み出し、犠牲を捧げる「祭壇」を作らせる。

The extraordinary security of our modern life in times of peace makes it hard for us to realize, except by a definite effort of the imagination, the constant precariousness, the frightful proximity of death, that was usual in these weak ancient communities. They were in fear of wild beasts; they were helpless against floods, helpless against pestilences. Their food depended on the crops of one tiny plot of ground; and if the Saviour was not reborn with the spring, they slowly and miserably died. And all the while they knew almost nothing of the real causes that made crops succeed or fail. They only felt sure it was somehow a matter of pollution, of unexpiated defilement.

平和時の私たちの近代生活が尋常以上に安全なために私たちははっきりと想像力をはたらかせようと努力しなくてはこれらの力弱い古代社会に普通であった絶え間ない死の不安や恐ろしい身近さを実感することは困難であろう。彼らは野獣を恐れていた、彼らは洪水に対し、疫病に対して無力であった。彼らの食料は一片の矮小な土地の収穫に左右されていた。そしてもし救い手が春と共に更生しなかったならば、彼らは徐々に惨めに死んで行くのであった。そしてその間中彼らは収穫を成功させまた失敗させる真の原因についてほとんど何も知らなかった。彼らはただそれがともかくも穢れや贖われない不浄の問題だと確信していただけである。(岩波文庫、藤田健治訳)























































「擬人化された集団的欲望」

2016-08-05 14:05:43 | 読游摘録

 この暑さである。記事は短め、写真は脱力系にする。

 古代ギリシアの詩文・芸術・哲学ではなく、その宗教の起源という、二千数百年の時の隔たりと西洋の揺籃の地という空間的隔たりとによってその理解が二重に困難にされている対象について学ぶことが今の私たちに何をもたらしてくれるのか。それは、人間精神を今もその奥深くから突き動かしている変わらぬ精神の暗部への通路であろう。その暗部に光を当てるに十分な資料が古代ギリシアには見いだされる。ギルバート・マレーの『ギリシア宗教発展の五段階』の一連の論考は、そのような確信に裏づけられている。『五段階』を読むことは、それゆえ、自分たちが今もなおに何によって動かされ、どんな「集団的欲望」にしばしばそれと知らずに左右されているのか、改めて考える機会を私たちに与えてくれるだろう。
 次の一節を読んで、それを私たちとはまったく無縁な遠い昔の未開の心性についての記述に過ぎないと私たちは言い切ることができるだろうか。

'The collective desire personified': on what does the collective desire, or collective dread, of the primitive community chiefly concentrate? On two things, the food-supply and the tribe-supply, the desire not to die of famine and not to be harried or conquered by the neighbouring tribe. The fertility of the earth and the fertility of the tribe, these two are felt in early religion as one.

「擬人化された集団的欲望」、どんなものに原始共同社会の集団的欲望または集団的畏怖が主として集中するのであろうか。二つの事の上に、すなわち食料の供給と種族の供給、飢えて死にたくないという欲望と隣接する種族によって蹂躙されまたは征服されたくないという欲望がそれである。大地の豊穣と種族の繁栄、この二つは早期の宗教では一つと感ぜられる。(岩波文庫、藤田健治訳)























































大地が動きはじめ、種子が落ちまたは熟しつつある目立たぬ季節

2016-08-04 10:40:46 | 読游摘録

暑いんです 和辻哲郎が1920年代に西洋古典文献学の方法論を身につけようとしていたときにドイツのヴィラモーヴィッツ・メレンドルフと並んで愛読していたのが英国のギルバート・マレーであった。
 そのマレーの古典的名著 Five Stages of Greek Religion (1925) は、今ではネット上で全文が読めるサイトが複数あり、無料でダウンロードすることもできる。(例えば、こちらのサイトから)。
 同書の初版は1913年に発行されており、そのときのタイトルは Four stages of Greek Religion 。1925年発行の第二版で現行のタイトルに変更されている。変更の理由は第二版序に簡潔に記されている。

In revising the Four Stages of Greek Religion I have found myself obliged to change its name. I felt there was a gap in the story. The high-water mark of Greek religious thought seems to me to have come just between the Olympian Religion and the Failure of Nerve; and the decline—if that is the right word—which is observable in the later ages of antiquity is a decline not from Olympianism but from the great spiritual and intellectual effort of the fourth century b.c., which culminated in the Metaphysics and the De Anima and the foundation of the Stoa and the Garden. Consequently I have added a new chapter at this point and raised the number of Stages to five.

 邦訳『ギリシア宗教発展の五段階』初版は、岩波文庫の一冊として1943年に出版された。藤田健治訳。1930年出版の第二版に基づいている。原書は、1951年に第三版が出版されており、それには第三版序が付されている。藤田訳は、1971年に改訳が同文庫から出版されたが、最近までながらく品切れ状態だったのが、2007年の一括重版の30点38冊のうちの一冊として再刊された。手元にあるのはその重版の一冊。
 原書第一版序の最後の段落は、著者マレーの学者としての自分に対する厳しさと高潔で奥ゆかしい人格とをよく伝えている。まず原文を引き、次に藤田訳を掲げる。

I was first led to these studies by the wish to fill up certain puzzling blanks of ignorance in my own mind, and doubtless the little book bears marks of this origin. It aims largely at the filling of interstices. It avoids the great illuminated places, and gives its mind to the stretches of intervening twilight. It deals little with the harvest of flowers or fruit, but watches the inconspicuous seasons when the soil is beginning to stir, the seeds are falling or ripening.

私が初めこれらの研究に導かれたのは、私自身の心の当惑した無知の空白を填めようと願ったからである。そして疑いもなくこの小さい書物はこのような起源の烙印を帯びている。それはひろく間隙を填めることを目的としている。それは偉大な光り輝く場処をさけ、中間の薄明の広がりに心を傾ける、それは花や実の収穫はほとんど取扱わないで、大地が動きはじめ、種子が落ちまたは熟しつつある目立たぬ季節を注視するものである。














































 


心の農耕としての読書

2016-08-03 12:57:55 | 雑感

 私は別に人間嫌いの偏屈者ではない(と思う)が、事実として極端に付き合いが狭く、それを情けなく思うことがしばしばある。それでも、ときには人と会い、会話を楽しみ、人の話を聴くことで蒙を啓かれ、目の前に新しい世界が開かれる思いをする機会に恵まれるということは幸いにもある。昨晩もそんな愉しい一時を恵まれた。
 職業柄、普段から書物と向き合っている時間が長い。ただ、研究に直接関わる書物を研究の必要上から読むときは、どうしてもこちらに今必要なところをこちらの都合に合わせて切り取って読むことになってしまいがちで、それはその書物を全体として読み味わうことからは程遠い知的作業になってしまう。
 だから、研究のためばかりに本を道具として使っていると、沢山の本についての研究上有用な知識をそれなりに蓄積しながらも、読書の愉楽に身を浸す機会は逆に乏しくなっていることにふと気づかされる。道具を器用に使うことには習熟しながら、いつの間にか心が干からびているということにもなりかねない。
 Culture は元来「農耕」「耕された土地」を意味し、cultiver という動詞の原義は「土地を耕す」であることは皆よく知っている。ところが、頭を知識や情報で一杯にしながら、心は荒れ地のまま放置して顧みない人がいる。そういう人と話していると、知識の豊富さや情報量の多さに感心することはあっても、正直なところ、すぐに会話がつまらなくなってくる。
 どうしてだろう。それは、それらの知識や情報は、自分の心を耕すことで天の恵みのように得られた「実り」や「収穫」ではなく、いくら頭に詰め込んでも心の栄養にも肥料にもならない「人工物」でしかないからだろう。
 未耕地を耕し、種を蒔き、肥料をやり、災害から守り、実りの秋を待ち、収穫し、その収穫を喜び、分かち合う。そんな「自然」のサイクルに合わせて本を読むこと、それが Culture としての読書なのだと思う。