旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アテネ~アゴラとアゴラ博物館、風の塔

2020-05-03 15:56:27 | ギリシャ
2002,2007,2011年ギリシャの旅より
アクロポリスの丘から見下ろすふもとに古代アテネの中心=アゴラが見える

紀元前五世紀ごろから紀元後四世紀ごろまでアテネの中心だった場所。
↑神殿はテセイオン(神話の英雄テセウスの活躍のレリーフで飾られていた)と呼ばれ、パルテノン神殿と同じ紀元前五世紀の建造。
↓少し高台から人々の集まる公共広場=アゴラを見下ろす位置にある。

全ギリシャの中でも原型をよく留めたものとして知られている↓
なぜ、よく残っているのか?
↓それはキリスト教の時代にずっと教会として使い続けられたから

トルコ支配時代にもキリスト教信仰は容認されていた。
1834年に教会としての役割を終え、アテネ考古学博物館の最初の収蔵庫=展示室として使用されていた。

テセイオンの見守る旧アゴラの中心部は、
列柱の立ち並ぶ「ストア」が囲っていた↓そのひとつ「アッタロスのストア」が復元されて博物館となっている↓

↓別の方向から見たところ。アクロポリスのふもとにこんな柱廊建築がたくさん集まっていたのか。

この建物は1950年代のものだが、基本構造は紀元前2世紀にペルガモンのアッタロス二世王が奉納建造したものを再現している。

「ストア」というギリシャ語が英語のSTOREになった。
ここは一般の人が買い物に訪れる店があり、当時から絵画や彫刻が飾られた場所だったのである。
復元されたイオニア式円柱↓

↓発掘された古代のものがすぐそばに置かれているので「ああ、もとはこれがあったのだ」とすぐ理解できる

展示室への扉は新しい木製だがまわりの石材は古代のオリジナル

↓この敷石を古代の人々も踏んでいたはず

★展示品
考古学博物館にある黄金製品などはないが、ストーリーを知るとがぜん興味が湧く品々が展示されている
↓これはなんでしょう?

☆現在ブリュッセルの博物館が所蔵する赤絵のツボに描かれた絵から↓こんなふうに使われていた品だと判明した

↓ふつうのツボに見えるが二重になっていて中にワインを、外に水を入れて気化熱を利用してワインを冷やしていたのだそうな↓



●オストラコン(=陶片)は、紀元前六世紀末にテミストクレスが導入したとされるオストラキスモス(=陶片追放)という制度に使われた。

民衆が選んだ代表といえども僭主になってゆく可能性がある。
市民会がひらかれた後、市民が「選手になるおそれがある」と思った人物の名前を陶片に書いて無記名投票する。

※オストラキスモスとテミストクレスについてもう少しこちらに書きました

●クレロテリアとは何?

解説を読んでみると、これは抽選機・・・あ!LOTのもとになったものということか。
といっても、宝くじではなく裁判の陪審員や審議員を決めるために使われていた。

使用方法が完全に解明されてはいないが、たくさん開けられた横長の穴には名前を書いた札(ピナキア)を差し込んでおく↓

↑実物がとなりに展示してある。
装置の右下にある穴からは白か黒かの球が出て、何列目の何番が当たりと決まる(このあたりの仕組みは解説されてもよくわかりませんでした)。 古代アテネにも部族・派閥があって、ひとつの行にはそれぞれの部族と決まっている。行ごとに選ばれる人数を限定することで陪審員や代議員が偏ることを防いでいた。
無作為に抽出するだけでは公平性は保てない。
現代のアメリカ陪審員制度においても偏りがみられる人を避ける方策はとられている。
日本の陪審員制度はどうなのだろう?

アゴラを囲んでいたストアのうち、復元されているのはアッタロスのストアだけ。
↓ストア派哲学の語源となった建物は柱の基礎しかのこされていない

ここでゼノンが「ストイックな」講義をしていたのかしらん。
**
ローマの支配下になり、より人が増えたアゴラは東方向に拡張された。
現在のアテネ旧市街にあたるプラア地区との間にあたる。
紀元前一世紀カエサルの時代にローマ人のアゴラに八角形の建物がつくられた↓

何がここにあったのだろう?

解説によれば、水時計が入っていた。
アクロポリスの丘北面からは「クレプシドラの泉」が湧き出ていて、それをアゴラにみちびいていてここにあった水時計に使っていた。
扉はいつもあけられていたのだそうだ。つまり、街の大時計ですな。

アテネは何度も観光したが、《手造の旅》でじっくり観光した一度だけ「クレプシドラの泉」に連れて行ってくれたガイドさんがあった
↓「さぁ入って入って」

いつもは通れないルートでパルテノン神殿の前門真下にやってきた↓
↓上に「アグリッパの台座」が見える

崖の下からたしかに泉が湧き出ている

二千五百年前のアテネの人々に利用されていた水源

ここからの水を利用してつくられた水時計が「クレプシュドラ」と呼ばれていた意味がわかった。

↓これはアゴラ博物館に展示されていた水時計。「風の塔」にあったかどうかはわからないが。

甕が何段にも置かれていて、いっぱいになると上部にあけられた穴からしたの甕に水が落ちてゆく仕組み。
たとえば、一段目の甕がいっぱいになるまでを一時間とする、とか。
古代の裁判で発言者の時間を公正に制限するためにこういった水時計が使われていたのだそうだ。

八角形の建物が「風の塔」と呼ばれているのは、八面それぞれにその方向から吹く風の神様が刻まれているから

このデザインはその後のヨーロッパ建築に何度も模倣されている名デザインだ。

コメント
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