旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アテネ~ゼウス神殿、古代オリンピックスタジアム、

2020-05-05 09:57:24 | ギリシャ
2002、2007、2011ギリシャの旅より
パルテノン神殿と手前ゼウス神殿の夜景が見えるホテルを選んだ。

アテネ最大の神殿はパルテノンではなく最高神ゼウスの神殿である。

107m×41m、もとは84本(現地ガイドさんは104本と解説)の柱があった。
※パルテノン神殿は70×30m
建設をはじめたのは紀元前6世紀ごろだが、完成したのはローマ皇帝ハドリアヌス時代の紀元後132年。
↓このゲートはそのころのもの↓

街のど真ん中によくぞこれだけの神殿を発掘・保存してあるものだ。
さぞかしローマのように住民移動をたくさんやったのだろうと思っていたら、
1868年ごろの古い写真を見つけた。ゼウス神殿とハドリアヌス帝の門がみえる↓

え?こんなに何もない場所だったんだ。
1830年に悲願の独立を達成したギリシャだが、その頃のアテネは廃墟の中に人がまばらに住む「村」だった。
廃墟を転じて民族の誇りにするには発掘・修復が必要。
自分たちの誇るべき歴史が目に見えるかたちで存在することは重要。

ギリシャにとって誇るべきものの第一はオリンピック。

このスタジアムは1896年の第一回近代オリンピックの会場であった場所だが

紀元前566年から八百年も続けられた古代パンアテナイ祭(アテネ版オリンピックですね)の場所に再建されている。

19世紀の独立国ギリシャは最初は共和制を目指していたが、「やっぱり王様が必要だね」ということになり南ドイツのバイエルンから王を迎えた。
ノイシュバンシュタイン城を建設するルードヴィッヒ二世のおじさんにあたるオットー。ギリシャでオソン一世国王となった。
↓その王宮として建設されたのがこれ

衛兵が護っているのは無名戦士の墓

独特の民族衣装と動きが人気で観光スポットとなっている。
今は国会議事堂となっているが、国のために犠牲となった戦士に敬意を表する場は変わらない。


大学、図書館もこの時期に、古代ギリシャの様式で建てられた↓

古代ギリシャの先人を画いてある


日本では文化や伝統が身近に、特に意識されることもなくあたりまえに存在している。
21世紀になってもそれは変わらない。
千九百年も国を持たず他国・多民族に支配されてきたギリシャ人にとって、こういった場所はただの遺跡や建物ではない。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする