旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

デリーのレッドフォート

2020-05-22 09:11:36 | インド
2005年《手造の旅》インドより

ヒンディー語でも同じく「赤い城」を意味する「ラール・キラー」という名で呼ばれる

正門の上に見える演説台。
建国記念日をはじめ、インドの首相が国民に向けて大事な演説をする場所となっている。

17世紀前半、古都アグラにタージマハルを建設したシャージャハン帝が建設しはじめた。
息子のアウラングゼーブが父を古都にある同名の「レッドフォート」に幽閉し、ここに遷都。
※遷都にいたる話はこちらから

巨大な城壁がそびえる。イギリス支配時代にはその駐屯地にもなっていた。

巨大な城門をくぐると↓

広大な庭がひろがっている

東西400m×南北500mを超える広さがある。ムガール帝国時代、一般の人々が皇帝に拝謁できる広場でもあった。

ムガール帝国時代の建築が立ち並ぶ

イギリスは統治した街の中心に西欧建築をこれみよがしに出現させることが多かったのだが、このレッドフォートの様式はあくまでムガール帝国のものを残している。復元したのかしらん?
※韓国で日本統治時代に建築時代の総督府を取り壊して建てなおしたように?
いや、イギリス人たちも感服する見事さだったから残されたのだろう。

赤い砂岩が基本だが、

特に大事な建物は全面大理石。外国使節などの賓客と対面する場所だったそうだ。

細部の装飾がすばらしい。上の写真の柱の下部を拡大したところ↓

宝石を細かく象嵌してある豪華な装飾がここだけ残っているのは不自然。
たぶん、往時の姿を再現するために近年復元されたものだろう。
↓他のほとんどの部分は無残にえぐりとられてしまった跡なのだ↓

誰が持ち去ったのかは明白

往時の姿を想像すべし



ここにはかつて水が流されていた。
暑い街の宮廷ではどこでも、いかに過ごしやすい空間にするかが建築家に求められていた。


ひとつの大きな街のよう。インド大反乱(通称「セポイの乱」の後、ここにはイギリス軍兵士の住居が建設されていった。

寺院と20世紀の?給水塔が共にある

コメント
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