旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ファィプル・シクリ~十四年間だけの首都

2020-05-14 23:11:32 | インド
2005年《手造の旅》インドより
アグラの西四十キロほどに、皇帝の盲信のおかげでできた都があった。

1574-1588の短期間(日本なら「本能寺の変」前後)、ムガール帝国の首都であった。

赤砂岩でできた宮殿への門。
入場料を払って入ると、がらんと抜け殻になった巨大な建物群が姿をあらわす。

↑左奥に見える最も高い「パーンチ(ヒンディ語で「5」の意味)・マハル」はその名前の通り五階建て。
いちばん下の階に84本の柱、二階に56本、三階20本、四階12本、最上階で四本の柱が「チャトリ(天蓋や傘という意味)」と呼ばれる観覧・物見台を構成している。

壁がないが不思議。
実は柱の間にいろいろな布を垂らしてしていたのだそうだ。

なるほど、色とりどりの布がひるがえり、風を通しつつ自由な間仕切りとして機能していた。
この宮殿が美しく飾られていたかつての姿を想像できる。
我々が今見ているものは骨格だけ。そこからかつての姿を想像する目が必要だ。

「パーンチ・マハル」」の前には池ががつくられ、その上に舞台がある↓

舞踊りも行われ、

アクバル帝が観覧していただろう。

★アクバル帝が遷都したのは、ここにイスラム神秘主義の大家サリム・チシティが居たから。
父祖の代から信仰していたこの隠者を、跡継ぎに恵まれなかった皇帝がたよった。
祈ってもらうとすぐに長男を授かった。
産まれた息子には隠者にちなんでサリムと名付けた。※後年のジャハンギル帝の幼名

サリム・チシティは遷都が完了する前に亡くなったが、この宮殿の中にその墓が置かれている。
↓左の壁の向こうに見える丸いドームがそれ

当時は政治も宗教の影響を受けずにはすまない時代だったのである。

アクバル帝が政務も含めた議事を行ったとされるのがこの建物↓

ひときわ精緻な彫刻が施されている

対角線が交差した場所にある中央の柱の上にアクバル帝が坐していたとされる





皇帝の乗り物は象。別の庭の中央に象を繋いでいた石が残されている。




この高台は古くからのイスラム教の寺院がある「シクリ村」だった。アラビア語ので「ありがとう」を意味する「シュクラン」からきた名前になる。遷都にあたり「勝利の」を意味する「ファーティプル」がつけられた。

首都になり立派な宮殿は建てられが、増えた人口をまかなえるだけの水を供給できる立地ではなかったことがわかり、たった十四年で都は再びアグラに戻された。
コメント
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