2005年《手造の旅》インドより
アグラのホテルで結婚式に遭遇した
新郎はなんと
白馬に乗って登場した
とにかく賑やか!
結婚式をとことん派手にすることがインドの上層社会では重要なのだ
見ず知らずの外国人の我々だってどんどん招き入れられる。
↓ここは新婦がわの席なのだが…
「お嫁さんがずっと悲しそうな顏しているのよ」
言われてみると、たしかに。
賑やかさこれ以上ないというほどの宴のなかで、その事情は知る由もない。
マドリッドで見たゴヤの「村の結婚式」を思い出した。
**翌朝、我々の出発とおなじころに彼らも出発の様子
新郎新婦の車?いや、パレードに伴奏する車かしらん
ホテルを一歩出るとインド大都市の苛烈な現実がいやでも目にはいってくる
↓これはジャイプールの朝
近くの農村からミルクを売りにきている↑
自分で町をあるくことは必用。
こちらから一歩近づいていけば、言葉はあまり通じなくても理解できることがある。
ツアーで観光地だけをめぐっていては見えてこないインドがたくさんある。
ジャイプールからアグラへの途中の村でストップした時、村の子供たちがやってきた。
大きな瞳で外国人に興味深々。
都市を離れて出会う人々は、観光地でまとわりついてくる物売りとはぜんぜん違う。
制服を着ているから(インドはイギリス支配だったので小学校ぐらいでも制服のある学校が多い)
いわば「一般的な」家庭の子供たちなのだろう。
デリーの渋滞のなかを歩く象
この少年のお父さんも象使いなのだろうな。
インドの貧富の格差は中国のものとは全く違う。
国が発展する事で解消されていかない貧しさだと感じる。
兄が叩く太鼓にあわせて曲芸を見せるこの子はいったいいくつなのだろう。
***
インドでは、
大都市の高層ビルの間で羊を放牧している。
道路の中央分離帯で煮炊きして生活する人がいる↓
はじめて訪れた頃、おどろいて「あれは何ですか?」と指差して訊ねたが、ガイドさんが答えたのはその方向にあったビルの名前だった。
その時にはっきりわかった。
外国人のガイドをやっている階層の人には、地べたを這うように生活している人々が見えていない。
華やかなインド映画で映る街には前述のような人々の姿はない。
透明人間のようにかき消されている。
上層階級の人々にとって彼らはまったく別世界の住人なのだ。
固定された貧困。
それはカーストと深くつながっているのだろう。
インド人なら姓をきいただけで相手の「身分」がわかるという。
日本人にもかつて身分制度と姓につながりがあった時代があったが、現在では姓が固定された貧富のレッテルではない。
貧富が教育の機会を決定する社会。
そこで固定した貧困層が再生産される。
かつての中国は貧しくとも最低限の教育はうけられる社会だった。
それを理想に掲げた国家だった。
だからこの二十年で人件費が飛躍的に上昇し、結果、工場がもっと人件費の安い国に移転していくという皮肉な事態にもなった。
一方、この二十年のインドはどうだったのか。
この先二十年のインドはどうなっていくのだろうか。
アグラのホテルで結婚式に遭遇した
新郎はなんと
白馬に乗って登場した
とにかく賑やか!
結婚式をとことん派手にすることがインドの上層社会では重要なのだ
見ず知らずの外国人の我々だってどんどん招き入れられる。
↓ここは新婦がわの席なのだが…
「お嫁さんがずっと悲しそうな顏しているのよ」
言われてみると、たしかに。
賑やかさこれ以上ないというほどの宴のなかで、その事情は知る由もない。
マドリッドで見たゴヤの「村の結婚式」を思い出した。
**翌朝、我々の出発とおなじころに彼らも出発の様子
新郎新婦の車?いや、パレードに伴奏する車かしらん
ホテルを一歩出るとインド大都市の苛烈な現実がいやでも目にはいってくる
↓これはジャイプールの朝
近くの農村からミルクを売りにきている↑
自分で町をあるくことは必用。
こちらから一歩近づいていけば、言葉はあまり通じなくても理解できることがある。
ツアーで観光地だけをめぐっていては見えてこないインドがたくさんある。
ジャイプールからアグラへの途中の村でストップした時、村の子供たちがやってきた。
大きな瞳で外国人に興味深々。
都市を離れて出会う人々は、観光地でまとわりついてくる物売りとはぜんぜん違う。
制服を着ているから(インドはイギリス支配だったので小学校ぐらいでも制服のある学校が多い)
いわば「一般的な」家庭の子供たちなのだろう。
デリーの渋滞のなかを歩く象
この少年のお父さんも象使いなのだろうな。
インドの貧富の格差は中国のものとは全く違う。
国が発展する事で解消されていかない貧しさだと感じる。
兄が叩く太鼓にあわせて曲芸を見せるこの子はいったいいくつなのだろう。
***
インドでは、
大都市の高層ビルの間で羊を放牧している。
道路の中央分離帯で煮炊きして生活する人がいる↓
はじめて訪れた頃、おどろいて「あれは何ですか?」と指差して訊ねたが、ガイドさんが答えたのはその方向にあったビルの名前だった。
その時にはっきりわかった。
外国人のガイドをやっている階層の人には、地べたを這うように生活している人々が見えていない。
華やかなインド映画で映る街には前述のような人々の姿はない。
透明人間のようにかき消されている。
上層階級の人々にとって彼らはまったく別世界の住人なのだ。
固定された貧困。
それはカーストと深くつながっているのだろう。
インド人なら姓をきいただけで相手の「身分」がわかるという。
日本人にもかつて身分制度と姓につながりがあった時代があったが、現在では姓が固定された貧富のレッテルではない。
貧富が教育の機会を決定する社会。
そこで固定した貧困層が再生産される。
かつての中国は貧しくとも最低限の教育はうけられる社会だった。
それを理想に掲げた国家だった。
だからこの二十年で人件費が飛躍的に上昇し、結果、工場がもっと人件費の安い国に移転していくという皮肉な事態にもなった。
一方、この二十年のインドはどうだったのか。
この先二十年のインドはどうなっていくのだろうか。