2005年《手造の旅》インドより
ジャイプール市のすぐ西側に市街を見下ろす要塞がある
アンベール城は市の北11キロだが、こちらは町から近い。
1857年に起きたインド大反乱(通称「セポイの乱」)の際には市内のイギリス人たちがここに逃げ込んだ。
砦は中世に狩の舘としてはじまった。
Nahargahという名前は「虎の居るところ」という意味からきているという。
だが、別の伝説もある。
★ラホールの皇子Nahar Singh Bhomiaはかつて古い時代にこのあたりを領有していた。
18世紀はじめの領主アンベール王国のマハラジャが新たに城をつくろうとしたが、何日経っても工事がすすまない。
砦に留まっていた皇子の霊が夜になると昼間に建設した部分を壊してしまっていたのである。
アンベール王国のマハラジャは古い時代の皇子の霊と話をし、
新たに建設する砦に彼の名前をつけることを条件に砦から離れてもらうことになった。
1734年から建設された現在の建物の一角に彼のための寺も建立された。
**
ここはアンベール城と同じ世界遺産に認定されているが、比べるとぐっと観光客が少ない。
ゆっくりお茶もたのしめる。
18世、ここはマハラジャの後宮が置かれていた。
十二人の妃のために平等な大きさの部屋が十二建設され、今もそのとおりに見られる。
屋上部分を歩いて見下ろすと、たしかに同じような区画がずらりと並んでいた。
そのころからのものと思われる壁絵
ゾウの背に乗るのはマハラジャかしらん
イギリスの支配が強まっていた19世紀はじめ、すでに荒廃していたこの砦に迷い込んだ男の、
まるで「こぶとりじいさん」みたいな伝説もある。
★半分目が見えなくなくなって仕事ができなくなった年老いた鍛冶屋。
家族から見放され、自暴自棄でさまよって入ったこの砦で迷って夜を迎えた。
やがて暗闇からいくつもの鬼火が現れ彼のところにやってきた。
「何故こんなところにいるのか」と訊ねる鬼火。
役立たずで行き場を失くした自分の苦しさを吐き出した鍛冶屋に、
鬼火は「空中に泡をはいてそれを金箔に変える方法」を教えた。
朝になり、街に戻った鍛冶屋は息子にその方法を教え、
家族は豊かに暮らすことができるようになった。
突然金持ちになったのを不思議に思ったライバルの鍛冶屋、
ナハルガル砦での不思議な夜の事をききだした。
同じように夜の砦へ行った彼は、
翌朝無残な遺体となって発見されたのだった。
この建物は20世紀になってからイエズス会の学校として使われたこともある。
そのせいか、どことなく西欧的な内装が多い。
折衷を感じさせるデザイン
百五十年ほど前に建設されたアンベール城がラジャスタン地域最高の建築・装飾で埋め尽くされているのとくらべると、こちらは西欧を中途半端に模倣している。
**
1944年にはここから時間を知らせる大砲が鳴らされていた。
ジャイプール市内の巨大日時計ジャンタル・マンタルから合図が送られていたのだそうだ。
砦を下りて市内にもどろう
途中で貯水池の中に建設された「水の宮殿」にてフォト・ストップ
写真でぜったい伝わらないのはこの池が強烈な悪臭を放っていたこと。
片づける人のないゴミが山のように堆積しているのだ。
2005年当時は誰も近づかなくなっていた「水の宮殿」、十五年後にはどうなっているのかしらん。
***
ジャイプール旧市街入口の喧騒
ピンクの砂岩を用いてつくられ
さらにピンク色で装飾している
ジャイプール市のすぐ西側に市街を見下ろす要塞がある
アンベール城は市の北11キロだが、こちらは町から近い。
1857年に起きたインド大反乱(通称「セポイの乱」)の際には市内のイギリス人たちがここに逃げ込んだ。
砦は中世に狩の舘としてはじまった。
Nahargahという名前は「虎の居るところ」という意味からきているという。
だが、別の伝説もある。
★ラホールの皇子Nahar Singh Bhomiaはかつて古い時代にこのあたりを領有していた。
18世紀はじめの領主アンベール王国のマハラジャが新たに城をつくろうとしたが、何日経っても工事がすすまない。
砦に留まっていた皇子の霊が夜になると昼間に建設した部分を壊してしまっていたのである。
アンベール王国のマハラジャは古い時代の皇子の霊と話をし、
新たに建設する砦に彼の名前をつけることを条件に砦から離れてもらうことになった。
1734年から建設された現在の建物の一角に彼のための寺も建立された。
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ここはアンベール城と同じ世界遺産に認定されているが、比べるとぐっと観光客が少ない。
ゆっくりお茶もたのしめる。
18世、ここはマハラジャの後宮が置かれていた。
十二人の妃のために平等な大きさの部屋が十二建設され、今もそのとおりに見られる。
屋上部分を歩いて見下ろすと、たしかに同じような区画がずらりと並んでいた。
そのころからのものと思われる壁絵
ゾウの背に乗るのはマハラジャかしらん
イギリスの支配が強まっていた19世紀はじめ、すでに荒廃していたこの砦に迷い込んだ男の、
まるで「こぶとりじいさん」みたいな伝説もある。
★半分目が見えなくなくなって仕事ができなくなった年老いた鍛冶屋。
家族から見放され、自暴自棄でさまよって入ったこの砦で迷って夜を迎えた。
やがて暗闇からいくつもの鬼火が現れ彼のところにやってきた。
「何故こんなところにいるのか」と訊ねる鬼火。
役立たずで行き場を失くした自分の苦しさを吐き出した鍛冶屋に、
鬼火は「空中に泡をはいてそれを金箔に変える方法」を教えた。
朝になり、街に戻った鍛冶屋は息子にその方法を教え、
家族は豊かに暮らすことができるようになった。
突然金持ちになったのを不思議に思ったライバルの鍛冶屋、
ナハルガル砦での不思議な夜の事をききだした。
同じように夜の砦へ行った彼は、
翌朝無残な遺体となって発見されたのだった。
この建物は20世紀になってからイエズス会の学校として使われたこともある。
そのせいか、どことなく西欧的な内装が多い。
折衷を感じさせるデザイン
百五十年ほど前に建設されたアンベール城がラジャスタン地域最高の建築・装飾で埋め尽くされているのとくらべると、こちらは西欧を中途半端に模倣している。
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1944年にはここから時間を知らせる大砲が鳴らされていた。
ジャイプール市内の巨大日時計ジャンタル・マンタルから合図が送られていたのだそうだ。
砦を下りて市内にもどろう
途中で貯水池の中に建設された「水の宮殿」にてフォト・ストップ
写真でぜったい伝わらないのはこの池が強烈な悪臭を放っていたこと。
片づける人のないゴミが山のように堆積しているのだ。
2005年当時は誰も近づかなくなっていた「水の宮殿」、十五年後にはどうなっているのかしらん。
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ジャイプール旧市街入口の喧騒
ピンクの砂岩を用いてつくられ
さらにピンク色で装飾している