kotoba日記                     小久保圭介

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ラジオ

2009年03月13日 | 文学
冷たい雨が降る一日でした。
それでも大判焼きの差し入れがあったり、
甘くて、暖かい思いもする一日でした。

オジは小さなラジオを持ってきていて、
時々、一人で聴いています。
静かな休憩所の窓から、
雨を見て、
僕もオジとラジオを聴いていました。
村上春樹の小説の中に、
ラジオを聴くシーンがいくつかありましたけれど、
ラジオはとても素敵です。
オジはチャンネルを変えます。
変える時の雑音が、また良いのです。
窓の外は雨が降っていて、車が西から東に走って行きます。
「オジ、ラジオって、ええなあ」
と僕は言います。
オジはチャンネルを変えては、
いろんな人の声や、音楽を聴いています。

帰宅して、夕食を食べながら、僕はラジオを聴いてみました。
今まではFMだったのですけど、
AMのNHKにしてみると、
ガチャガチャしてなくて、
口調も静かで、凄く良いのです。
ちょうど、今日は列車の「やまびこ」がラストランらしく、
東京駅からの実況放送をやっていました。
発進の合図の、長い汽笛が鳴ると、
2000人ほどのファンの人が、
走り出した列車に向かって、話しかけるように、呼ぶように、
叫ぶ声が聞こえてきました。
あ、と僕は思った。
想像できた。
その場の思いのようなものを。
これは文学だ、と思いました。
すっかり、僕はラジオに魅せられ、
しばらく聴いていました。
3分ほどの停車駅と到着時間がラジオから流れ、
こんな素敵は、テレビやネットでは無理だ、
とかなり感動しました。

それからテレビをつけてみると、
ニュースでラストランの「やまびこ」のことを、
10秒ほどやっていて、味気ない伝達に僕らはいつのまにか慣れてしまっていて、
文学として、ラジオが正しい、と強く思いました。
それから、
食べきれなかった大判焼きをラップに包み、
冷凍庫に入れました。