今日は64年前、
原爆が広島に落ちた日です。
風化してきたように思います。
友人の明彦君は、
もう被爆者の年齢が高くなってきたしね、
と言いました。
そのうち忘れてしまうのかも、
と言いました。
そうかもな、と思います。
それでも、
自然に、忘れられていくのを、
くい止める発言があります。
まずひとつは、
オバマ大統領の核廃絶への意志、
それと、吉永小百合さんに、
今日の式典に来てほしい人は誰ですか?
と記者が数年前に訊いた時、
「ブッシュさんです」
と答えたという記事。
今年、オバマ大統領が式典に来たら、
それは凄いことだ、
と僕は密かに思っていました。
テレビで見る核実験の映像は、
直接に原爆の浮ウを、皮膚感覚で、
疑似体験させるに有効ですけれど、
いかんせん、数分後には、
他事を考えているのが常。
それでも、
8月6日という日は、
映画「桜の国 夕凪の街」という映画を思い出させますし、
吉永小百合さんたちの活動を思いますし、
劣化ウラン弾がイラクの民に降ったことを、
まだ僕らは憶えています。
そして、
アメリカの最高責任者が、
「自分が生きている間には、不可能だが、核廃絶への努力をする」
と言ったことに、
世界の市民が、
その発言を支えるのは、
私たちである、
と言っていて、
今年の8月6日は、そして長崎9日は、
去年までとは違う、
何か現実味を帯びた核廃絶への、
希望の道に、
みんなが光を見たような気がして、
少なくとも僕は、
もしかしたら、
本当にそういう動きに、
世界が向いていく、いるのかもしれない、
と思いました。
映画を観ると、
原爆というものは、
間違っても二度とあってはいけない、
ということだけは、判ったような気でいます。
原爆が広島に落ちた日です。
風化してきたように思います。
友人の明彦君は、
もう被爆者の年齢が高くなってきたしね、
と言いました。
そのうち忘れてしまうのかも、
と言いました。
そうかもな、と思います。
それでも、
自然に、忘れられていくのを、
くい止める発言があります。
まずひとつは、
オバマ大統領の核廃絶への意志、
それと、吉永小百合さんに、
今日の式典に来てほしい人は誰ですか?
と記者が数年前に訊いた時、
「ブッシュさんです」
と答えたという記事。
今年、オバマ大統領が式典に来たら、
それは凄いことだ、
と僕は密かに思っていました。
テレビで見る核実験の映像は、
直接に原爆の浮ウを、皮膚感覚で、
疑似体験させるに有効ですけれど、
いかんせん、数分後には、
他事を考えているのが常。
それでも、
8月6日という日は、
映画「桜の国 夕凪の街」という映画を思い出させますし、
吉永小百合さんたちの活動を思いますし、
劣化ウラン弾がイラクの民に降ったことを、
まだ僕らは憶えています。
そして、
アメリカの最高責任者が、
「自分が生きている間には、不可能だが、核廃絶への努力をする」
と言ったことに、
世界の市民が、
その発言を支えるのは、
私たちである、
と言っていて、
今年の8月6日は、そして長崎9日は、
去年までとは違う、
何か現実味を帯びた核廃絶への、
希望の道に、
みんなが光を見たような気がして、
少なくとも僕は、
もしかしたら、
本当にそういう動きに、
世界が向いていく、いるのかもしれない、
と思いました。
映画を観ると、
原爆というものは、
間違っても二度とあってはいけない、
ということだけは、判ったような気でいます。