kotoba日記                     小久保圭介

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ハレとケ

2016年02月07日 | 生活
昼前の階段

わたしたち
のぼった
一人は遅れてやってきた

卓の上に
ワインやビール
わたしは水
パスタやムール貝
ピザにドリア
会食は3時間か4時間
酩酊の極みの先
嬌声は高く響き
帰路の
道路で二度
転唐キるほどに
うれしかったのだ きっと

ハレとケ

普段はみな静かに
それぞれの暮らしを大切にして

ハレとケ

祝いの曜日
日曜日

酒豪だった
父の酩酊を
思い出していた
愉快が顔を占拠して
転ばぬように
腕をとって
歩いたことも


魔の水とは
よく言ったもの

ハレとケ

罵声を発して
乾杯

卓は騒がしくて
静かな話をしていた人の
声が消され
身を乗り出しても
聞こえぬゆえ
わたし
オリーブオイルで蒸した
ムール貝を
何皿も





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茨木のり子展

2016年02月07日 | 文学
茨木のり子展 愛知県西尾市にて

先日
西尾へ

---

田の掘り返し
剥きだしの土
鳥が集まる

シャベルで掘る → 鳥が認識
棒を浮ェる   → 犬が認識 DNAへの書き込み 叩いたのは人間
火を浮ェる   → 猪が認識 DNAの書き込み 山火事の記憶(火を炊くと猪は体でそれを消しにくるという

―――以下 展覧会場でのメモ書き


なつかしの「かんばせ」
まなかい

熱い塩化ナトリウム  『花の名』より

すべては動くものであり
すべては深い翳をもち
なにひとつ信じてしまってはならない 『いちど視たもの』より

落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが
豊かな大地         『落ちこぼれ』より

たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人も
いますもの              『歳月』

面白いことはおもしろかったが
くたびれて死にそうだ     
(S15.3.15 名古屋太平洋博覧会を記述した日記より)

夏草しげる焼跡に
しゃがみ
若かったわたくしは
ひとつの眼球をひろった
遠近法の測定たしかな
つめたく さわやかな!      (出典は書き忘れ)

―――

帰りの車窓
梅の白き花 発見

「誰かをはげますために詩を書いたことは一度もなかった。すべて自分へ向けてのもの」
とロビーで、
この展覧会のために作られた
VTRで
誰かが
茨木のり子さんの
言っていたことを
追想
していた

「劇場(東京)で舞台に熱中した。しかし、言葉の不足を感じた
                 ―(VTR)より

茨木のり子
言葉を持つ人ではなく
人の内なる言葉を
引き出すための
磁石みたいなものを
持参している
そんな人

『詩人』と
『言葉の人』とは
まったく
違う

言葉は物理だ

やさしい人

無駄な言葉がない


西尾市岩瀬文庫特別展 茨木のり子没10周年  

2016年2月21日まで

http://www.city.nishio.aichi.jp/nishio/kaforuda/40iwase/kikaku/62ibaraginoriko/ibaraginoriko.html

☆ 名古屋から名鉄電車 西尾市下車 くるりんバス(100円)あり
  わたしは西尾口で降りて 徒歩15分
  帰りはくるりんバスで。
  電車でゆられて車窓を見るのも素敵
  こんな展覧会が無料とはすごいです
  お礼に岩瀬文庫(図書館の隣)にて
  茨木のり子の会の会員になってきました

アクセスはこちらです http://www.city.nishio.aichi.jp/nishio/kaforuda/40iwase/iwasebunko/koutu.html  







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