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kotoba日記                     小久保圭介

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講読に代わるモノ

2017年11月01日 | 生活
空は晴れている

ドアを開け
コーヒーを飲みにゆくと
カフカ先生に会う
先生は

フランス語講座に通っていて
1時間半
ずっとフランス語しか話していないという
けれど
カフカ先生は
あまりしゃべれない
講読(読み書き、言葉一つ一つの意味を重視)の世代ですね
と先生に言われるという
「今度は録音機を持ってきてください」
と言われ
そうしているのだという

大学から文学部が消えると同時に
講座の空間からも
意味よりも
だいたいの感じを耳で聞き
それを理解する方が
現代的なのだそうだ

思考よりも
言語が
音楽的になってゆくことについて
カフカ先生は
「否定するつもりはない」
と言う
「そうですね。否定することは頑固になることですからね」
とわたし
けれど
抜群の思考力で
講読してきたカフカ先生の
思考の価値はどうなるのだろう
と思っていると
「また時代が講読にいつかは戻ると思う」
と肩身の狭い空間で
音楽的な聞き取りの
フランス語の授業を
毎週一度ゆくのだ
録音機の使い方さえ
ままならぬかもしれない
それでも
カフカ先生は
習得しようとするのだ

二杯目のコーヒーを
飲みながら
カフカ先生は
あっけんからんと
日々を重ねている


味噌汁を作り
100円ショップと
スーパーまで
歩いている

夜は
コンビニまで
歩いてゆく

時代はあまり
深く意味を求めるふうには
できていないらしい
浅く広くの時代
SNSが良い例

今の時代に
わたしは
一行の詩の深みを
茶色の葉の匂いやさわり心地
形状や変色具合に
求めることに変わりない
何故なら
それが
文学だから