昨夜
勧められた
不動明王の真言を
YouTubeで聞く
あと空海に届く真言
南無大師遍照金剛 ナムダイシヘンジョウコンゴウ
その真言の解説を読んでいるだけで
おもしろい
こないだ行った高野山の
金剛峯寺の
金剛は
この真言のことだと判った
空海のことを思うと
重ねて宮澤賢治のことをも思う
---
ミヨリの森の
多の緑
羽虫
朝日に照らされ
ここに大日さま
確かに
見聞
自然界を朝見ていると
それはきれい
なぜこんなにきれいなのか
その理由がもし
自然界が仏性を宿しているとしたら
納得がゆく
時を経て
27年前に
教えてもらった
不動明王に届くマントラ
大日如来に届くマントラ
それは今でも言える
唱えていたから
そして
今
改めて
真言を聞く
その歳月
すでに
アミニズムという思想は
消えてゆくのがわかる
思想はすでに必要ない
縁もまた然り
今までは出会う縁の理由を
「何で会っているんだろう」
と考えているのが常だった
そうか
と思い当たることもあった
けれど
今は違う
縁の理由を探らない
「これはご縁だ」
それだけ
すでに意味は必要ない
「ん」
という文字
修行が足りないという
安易な言い方に
今まで慣れてきた
その言葉を何度も聞いたし
何回かは言ったかもしれない
でも
今
その言葉の
本来の語源に
こころ寄せていると
日本語の中に
日常の言葉の中に
どれだけ
仏教用語が使われているかを
思う
真言とは何か
空海を吸収したがっている
---
文章配達中(黄地、黒字)
と書かれた腕章をした男
自転車を漕いで
西へ向かった
---
北東からの守り
真如
半目
『思う』
こと
今
何かが
開花しようとしている
宮澤賢治の
アメニモマケズの中の言葉で
「ジブンヲカンジョウニイレズ」
の意味が
今
来ている
そういうことか
と
今
思う
損得ではない
そういうことが
八事ー犬山成田山ー高野山
という場所の繋がりの中で
何かが
つぼみのような
何かが
ふくらみはじめている
自分の中で
何が起きようとしてるのか
わからない
「何が」
と長電話で相談
すると
「小久保くんのこれからが楽しみだ」
とオジが言った
勧められた
不動明王の真言を
YouTubeで聞く
あと空海に届く真言
南無大師遍照金剛 ナムダイシヘンジョウコンゴウ
その真言の解説を読んでいるだけで
おもしろい
こないだ行った高野山の
金剛峯寺の
金剛は
この真言のことだと判った
空海のことを思うと
重ねて宮澤賢治のことをも思う
---
ミヨリの森の
多の緑
羽虫
朝日に照らされ
ここに大日さま
確かに
見聞
自然界を朝見ていると
それはきれい
なぜこんなにきれいなのか
その理由がもし
自然界が仏性を宿しているとしたら
納得がゆく
時を経て
27年前に
教えてもらった
不動明王に届くマントラ
大日如来に届くマントラ
それは今でも言える
唱えていたから
そして
今
改めて
真言を聞く
その歳月
すでに
アミニズムという思想は
消えてゆくのがわかる
思想はすでに必要ない
縁もまた然り
今までは出会う縁の理由を
「何で会っているんだろう」
と考えているのが常だった
そうか
と思い当たることもあった
けれど
今は違う
縁の理由を探らない
「これはご縁だ」
それだけ
すでに意味は必要ない
「ん」
という文字
修行が足りないという
安易な言い方に
今まで慣れてきた
その言葉を何度も聞いたし
何回かは言ったかもしれない
でも
今
その言葉の
本来の語源に
こころ寄せていると
日本語の中に
日常の言葉の中に
どれだけ
仏教用語が使われているかを
思う
真言とは何か
空海を吸収したがっている
---
文章配達中(黄地、黒字)
と書かれた腕章をした男
自転車を漕いで
西へ向かった
---
北東からの守り
真如
半目
『思う』
こと
今
何かが
開花しようとしている
宮澤賢治の
アメニモマケズの中の言葉で
「ジブンヲカンジョウニイレズ」
の意味が
今
来ている
そういうことか
と
今
思う
損得ではない
そういうことが
八事ー犬山成田山ー高野山
という場所の繋がりの中で
何かが
つぼみのような
何かが
ふくらみはじめている
自分の中で
何が起きようとしてるのか
わからない
「何が」
と長電話で相談
すると
「小久保くんのこれからが楽しみだ」
とオジが言った