kotoba日記                     小久保圭介

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ウクライナ戦争 試論

2023年02月10日 | ウクライナ戦争

                               

 

 

恥ずかしい話だけれども

私はドストエフスキーの
『地下室の手記』だけ
若い時に読んだ記憶があります
内容はすっかり忘れました
 
三島由紀夫に傾倒したのは 
大きかったと思う
それと北野武が
なぜあれほどまでに残酷なシーンを
ヤクザというものを使って
描き続ける意味はどこにあるんだろうか
それがずっとわからなかった
 
中上健次の小説に出てくる
『中本の血』は
人をたくさん殺し
一宮の紡績工場から帰って来た娘が
腹が大きくなっていて
誰の子なのかわからない
その娘の子を路地の衆らが
みんなで育てる
 
中上健次にしても三島由紀夫にしても
恐ろしい作品を書くことが多いです
殺戮なんてのは当たり前だ
と言わんばかりに
 
上記の三人は全て暴力を書いている
 
けれどそれはやはりフィクションの問題だとずっと思っていた
 
ただ北野武がなぜあそこまで執拗に暴力を描くのかが
ずっと分からなくて
分かった時は
そうか根源的には暴力がある
って事を言いたかったんだ
それをやっとわかったのが
三年ぐらい前だったと思う
 
それで
2月24日にウクライナ侵攻があり
戦争が始まった
ブチャの虐殺があって
他にも露わになっていない
たくさんの虐殺残虐行為が
山ほどあるのは私でも想像できる
 
戦争だけに限らず内戦でもやはりすごく沢山の虐殺やレイプがある
アフリカのある村を襲撃した男たちは女たちを全部レイプする
そうすると村の男たちは自信をなくす
そうなることを村を襲った
内戦のゲリラたちは全部わかっている
 
ところがそれもわたしは
頭では分かっていることでした
 
その前に
オデッサの虐殺のことを
私に教えてくれた人がいました
 
あれも実際に起こったことが
本当にすごかった
その理由がどうであれ
起きたことは本当だと思う
南京虐殺然り
 
今日そういえば歴史の中で虐殺があったことを
全部箇条書きにして調べようと思っていたんです
ホロコーストをもちろん含めて
あの大きな規模だけじゃなくて
小さな規模でたくさんの虐殺と殺戮が世界中で歴史を辿っていけばたくさんあり
被害者の国はやっただろうと言い
加害者の国はやっていないと言う
 
火のないところに煙は立たず
という言葉がありますね
 
2月24日以降
残虐殺戮があらわになってきた
 
私は去年の4月
仕事をしている時に
 
どうして人間はあんなひどいことができるんだろうするんだろうと数日考えた
 
雨が降った日も考えていた
 
そういったことをある方と
メールで随分交換したと思う
 
その人が
土砂降りの雨の中で
そんなことを考えるんじゃない
冷たい雨の中で考えることじゃない
 
と思いやりの言葉を書いてくれた
 
それでも
この地平の彼方でおぞましいことが起きている
これは事実であって
なぜ人間がそのようなことをするのか殺すだけだったらまだしも人間をモノとして家族の前で晒し者にして
二次的三次的な精神的苦痛を与えることに何があるのだろうか
 
ある時ゼレンスキー大統領が言った
 
彼らは楽しんでいる
 
その言葉がよくわかった
 
しかしそれはウクライナ側が被害者ではなくロシア側もやはり同じような虐殺や殺害が当然にあり
メディアはロシア側の被害を隠蔽する
 
なぜか
アメリカ主導の NATO または EU がロシアを敵としてみなし民主化を図ろうとしている
 
私は2022年の3月だったと思う
500人規模のデモに行った時に
あるアメリカ人がスピーチした
言葉の中身がものすごく真実に見えて
 
もちろんロシアはとんでもないことやってる
でも一番悪いのはウクライナの北部にモスクワにまで届く弾道ミサイルを配備しようとしただろう
NATO とアメリカの策略に先手を打った形となったのが始まりです
 
けれどメディアは
アメリカに制されている
ブログにも書いたように一方的にロシアが悪いなんていう風潮は
とんでもない話
 
戦争の親玉というのはもっと悪党です
 
それはどこの国かというとアメリカです
 
アメリカはベトナム戦争とウクライナ戦争イスラエル紛争にも武器を調達し戦争を拡大した
日本にも原爆を二つ落とした
当時
原爆投下したパイロットは
広島の原爆資料館に行って
悲惨な状況を初めて見た
けれどアメリカ国民は今でもあれは正しい原爆投下であった
あれがなければ戦争は終わってなかった
そういう風に思ってる人がものすごく多い
恐ろしいことです
 
ウクライナは犠牲の国です
ウクライナはNATOに入れてくれとずっと頼んできた
だけどももうすぐ来日するNATOの事務総長はヨーロッパ全土が戦地になるリスクを回避するために
ウクライナには NATO 加入を認めなかった
 
ひどい話だと思う
ここで縮図を小さくすれば分かりやすいかもしれません
 
第二次世界大戦末期
日本は沖縄戦を長期化させた
つまり本土決戦を避けるために沖縄を捨て石にした
 
アメリカ EU はウクライナを捨て石にしている
これはひどいひどすぎる
 
言論は封じられそのように言う人はやはり封じられてしまう恐ろしい
 
日本の中で物を考えない人達
戦争に問題意識を持たない人たちは
そこまで頭が回らない
 
どうして戦争になったのかと聞かれて
私はちゃんと答えることができなかった
 
それは今でもそうです
ロシアだってとんでもなく悪いことをやってるそれも事実です
 
話を戻します
 
ある方が先回の
このブログを読んで
 
小久保は私と同じことを考えているを思っている
 
っていう風に思われたのは
2月24日以降
その人との間で
頻繁にメールのやり取りがあったからです
お互いにたくさんの問題意識を持っていて
事実を私は彼の人から教えてもらった
過去の2014年のオデッサの虐殺
 
中国で人体実験をやった日本兵たちに混ざって
日本から派遣されたそれぞれの専門分野の
学生医師達がいた
 
NHK でその詳細は放映されましたね
 
そして戦後人体実験をやった京都大学東北大学東京大学
中でも京都大学を中心とした人体実験に加わった学生たちは現在
当然
高齢になって
現役を引退してるんだけれども
京都大学ではたくさんの勲章をもらって教授になりそれぞれの分野の権威となっている
 
それは日本だけではない話だと思います
九州の人体実験もありましたね
 
しかし中国でたくさんの人体実験ができる環境にあって
中国人たちをものすごいやり方で殺していった
それによって医学は進歩した
そして彼らは人体実験をやったことへの謝罪というものは一切なく
おそらくですけど
 
各分野の医学の権威となって今でも君臨し名前を残している
 
そういうことを全部2月24日以降私は想起しなければいけなかった
 
話を戻します
 
ウクライナをリアルな戦争の場所として今でも何かが起きている
それがずっと続いている
ロシア兵たちは餓死をしている
戦車の中で
 
ロシア兵が家族に手紙を書くという
メールで送るという
今からウクライナ人を殺すレイプする
そういう話も聞いたことがある
ロシアに残された家族はそれに賛成するという
 
戦争というのは教育的だ
 
彼の人もドフトエスキーに関してお書きになったように
宗教がなくなれば
法律がなくなれば
道徳がなくなれば
社会性がなくなれば
 
明日地球が滅亡するということが分かっていれば
 
私たちは何をするだろうか
実際に何をするだろうか
 
私は初期に
自分で書いた
『時を創る森』という小説を
想起していた
もしかしたらあの時に
もう私は人間の存在の恐ろしさに
気がついていたのかもしれない
 
ある友人の家で実際に見たことが
あったことが今でも記憶されているからです
 
ある友達の
父親が母親に暴力を振るっていたのをこの目で見ていたから
それを見ていたから

普段優しい父親は豹変する鬼の顔になる
母親もまた鬼の顔になり
物をぶつけガラスが割れ父親は殴りはしなかったが母親を後ろ手に縛り
正座させた
それは暴力ではなかったか

この目でそれを見た
 
ウクライナの虐殺殺戮の現場を縮小すれば
ある家族の子供達は
家庭の中で暴力を見た
 
ブログにも書いたように殺戮や虐殺暴力というものは社会の隙間に存在する
 
家庭内
介護施設
学校
病院
 
すべては社会の目から見えない密室で行われることが多い
 
公であるのは例えば2 T トラックを秋葉原の歩行者天国に突っ込んで無差別殺人のあの男だろう
 
障害者施設の職員が
たくさんの障害者を殺した
優生論でしたね
 
私は彼らが決して狂人ではなく正常であったことを知っている
 
だからこそ
宗教が必要であった
法律がもっと必要だった
道徳がさらに必要だった
教育が必要だった
 
小さい時
私はトカゲの口に爆竹を突っ込みこっぱみじんにした
なぜか
楽しかったから
 
毛虫をたくさん集めてきて牛乳瓶の中に入れた
そこに灯油を注いだ
火をつけた
焼けて苦しんでいる毛虫をじっと見ていた
なぜか
死ぬのが見たかったから
 
兄はそれが正しいと言う
子供の時に虫を殺さなくては
いけないと言う
 
三島由紀夫は午後の曳航という小説で
子供の残虐性を書いている
元は誰だったろうフランスの作家で
恐るべき子供たちを書いた作家に
三島が影響されて書いたことは間違いない
 
サド侯爵夫人も然り
ソドムの街も然り
エロティシズムは
最際なく非人道的なところまで行ける
 
そこを三島はよく分かっていた
川端康成もしかり
大江健三郎も中上健次も同じです
 
三島由紀夫が楢山節考を書いた深沢七郎になぜ驚いたか
姥捨て山が風俗としてあった
深沢七郎はそれを当たり前のように事実として書いた
三島のように観念としてのヨーロッパ退廃主義ではなく
現実の日本文化の中の本当にあったことを深沢七郎が書いたからだ
しかもそれは
『母(ぼ)』を山に捨てるという現実だ
 
小説家の目
ヌーヴェルヴァーグという映画革命があった時にこういう言葉があります
 
 
カメラ=万年筆
 
ものを書くときはカメラのように冷静に冷酷に感情に揺さぶられることなく事実をありのままに
 
それで代表的な戦場カメラマンは
やはりあの
長崎で撮られた
焼き場に立つ少年
でしょう
またはベトナム戦争で
裸足で全裸で逃げ惑う子どもたちの姿でしょう
 
写真ほど真実を伝えるものはないかもしれない
当時は加工なんてできなかったから
 
言葉は常に嘘を目指す
 
戦争は常に教育的だ
 
 

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