kotoba日記                     小久保圭介

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文語

2009年06月15日 | 生活
オジ夫妻が街に出かけたついでに、
デパートで片岡鶴太郎展を観てきたそうです。
「小久保君、鶴ちゃんの絵より、わいは、書いてある言葉がよかった」
とオジ。
短い言葉だそうですけど、
僕はその時、
文語の力だな、と思いました。
仮に鶴ちゃんがオジに、
書いてある言葉を実際に発したとしても、
あまりピンとこないのじゃないのかな、
きっと絵に添えて、書かれた言葉だからこそ、
オジの胸に来たのではなかろうか、
と考えました。
それは鶴ちゃんだけじゃなく、
きっといろんな場所で起こっている出来事で、
書いて伝わる、ことがあると思う。
逆に、発して伝わる言葉もあり、
歌は、歌ってこそ、です。
そして、どう歌うか、メロディは、
と、
口語も文語も、
様々な表現スタイルがあり、
タイミング(間)だけでも、
全然、違ってくるのが、
本当に面白いです。



いのちの食べかた

2009年06月14日 | 映画
日曜日なので、
洗濯、聡怐A炊事です。
昼からは暑くて、何もできませんでした。
夜、借りてきてあった映画「いのちの食べかた」を観ました。
もし僕に子供がいたならば、
この映画は観せたいな、
と思いました。
大量生産、大量消費の現代の裏側で、
このような真実があるという事実。
宮沢賢治の「よだかの星」で、
鷹が羽虫を食べてしまう、食べなければ生きていられない、
だけれど本当は食べたくない、と葛藤しながら、
夜の空をよだかは羽虫に謝りながら、食べて、飛び行きます。
「いのちの食べかた」を観て、
「よだかの星」を連想しました。


大きな声で

2009年06月13日 | 生活
早朝の街を恋人達が歩いていました。
あじさいの花を女の人が「きれい」と発すような顔で、
見ていました。
男の人はずっと前を歩いていきました。
女の人はあじさいの花から離れて、
男の人を追いかけます。
とても幸せそうです。
で、かくれんぼのようなこともしていまして、
見ていて、あー、もっと幸せになればいいのにな、
と思いました。

夜は、テレビで「詩のボクシング」特集をやっていました。
放送分は、第一回なのかな、谷川俊太郎とねじめ正一との戦いでした。

どうゆう流れなのかは判りませんけれど、
二人ともエッチな詩を朗読することになった時、
ねじめ正一が、
「放送コードにひっかかるので、小さな声で」、
と小声で朗読しました。
放送はそのさわりだけで、谷川俊太郎のエッチな詩は、
放映されませんでした。解説だけはあったけれど。
僕はねじめ正一がその時、すごくつまらない詩人に思えました。
面白い、楽しい、ヘンテコな詩を書くのに、
「小さな声」で朗読したりする人では決してなかったのではないのかな、
と思いました。
テレビの事情もあるのでしょうけれど、
僕はとにかく、ねじめ正一の言った言葉が、
ひどく気にかかって、
現代詩の中で、代表とは言わないけれど、
主の一人でもあるねじめ正一が、
あんなことを言ってはいけない、
元々、大きな声の詩人なのだから、
もっとちゃんとしてほしいな、
と思いました。


糸杉

2009年06月12日 | 音楽


暑いけれど、
良い風が吹きました。
空はあおぞら。
口ずさむ歌は、
いとうたかおさんの、
「糸杉」です。
今日のように、
ジッと暑くなってくると、
歌いたくなる歌のひとつで、
今まで、宴会でも歌ったし、
長野の川原でも歌ったし、
熊野本宮の旧社でも歌いました。
ギターを持っていなくとも、
この歌は空にむかって、
アカペラで歌うことができます。

 糸杉の緑、炎となってのぼるころ、
 糸杉の緑、炎となってのぼるころ、
 薄紫の香り、誘われ、
 谷を下れば
 岸辺の岩に、腰をかけ、
 川のざわめき、ざわめき、ざわめき、
 こころの中、流れ込ませる、
 人達に、人達に、出会う

僕はこの歌が大好きで、
そういえば、カラオケ屋で歌う歌がなくなった時に、
「糸杉」をアカペラで歌ったことがありました。
でも、外で歌うのが一番で、
歌っていると、ネイティブアメリカンになったような、
気分になります。

「白人、大地のある場所知らない、インディアン知ってる・・」

丸くて、紫色の花

2009年06月11日 | 生活
くもり。
午後から晴。
あじさい。

石川県で、オタマジャクシが空から落ちてきた記事に続き、
今回は、フナだそうです。
観測されない小さな竜巻の発生説や、鳥が口から落とした説、
いろいろです。
おもしろいな、と思って、この記事を新聞やネットで読んでいます。


オジが千葉産のおいしい落花生を持ってきていて、
時々、落花生をャ潟リ食べています。
ひょうたん型を、パキッと割り、
薄皮をめくり、
ピーナッツが出てきます。
子供のころ、
そのピーナッツを二つに割ると、
突起がある方を「おじいさん」、
もう一方を「おばあさん」と呼んでいました。

植えこみに、妙な花が捨てられていました。
丸くて紫色。大きさはソフトボールぐらい。
ルドンの絵に出てきそうな、シュールな花。
たぶん、どこかの開店祝いの生け花。
名古屋には、開店祝いの花を持っていって良い習慣があって、
誰かが店頭の生け花から、
その花を取って、飽きて、捨てたのだろう、酔っていて、
と想像します。
あまり妙な花なので、
自転車の前かごに入れて、
家に持ち帰りました。
花瓶に活けてみると、
なんだか、おもしろい。
丸くて、紫色、ソフトボールぐらいの、変な花です。

筑前煮をつくりました。
夜は、涼しく、毛布を被りました。

2009年06月10日 | 生活
くもり空。
帰り道、雨に降られました。
梅雨の始まりです。
夜になると、
結構な雨になりました。

犬塚康博さんの「ャvラ並木」という美しい曲があります。
加川良さんもカバーしていますし、
先回の犬塚さんのライブでも聴けました。
その歌詞の中で、


 ャvラ並木のつづくかぎり
 あなたの肩を離さない

という歌詞があります。

あなたの肩を離さない。

腕でも手でもなく、肩。
僕はこの一行の歌詞だけで、「肩」だけで、
涙がこぼれそうになります。


木陰まで行けずの足

2009年06月08日 | 生活
午前中、暑くて、
ちょっとフラッとしました。
熱中症は、暑くなり始める時が要注意で、
早速、塩を舐めました。勿論、水も。
熱中症は、暑さに慣れた頃は、
案外ならないと言います。
38度とか、お盆の時よりも、
これからの湿度が高い時期、
発汗しにくいので、注意なのです。

遠くの横断歩道を、
足の悪いおばあさんが渡っていました。
車椅子に乗っていてもおかしくないほどの、
短い間隔での、おぼつかない歩行。
危ないな、と今日だけは思ったので、
走っていって、歩道脇まで、腕をつかんで。
「タクシー」云々と言うので、
タクシーを待ちました。
日照りで、ずいぶん暑いだろうに、
と、木陰へ、とおばあさんに言うと、
歩く方が辛い、と言います。
こんな時にはタクシーは来ません。
オジに電話をして、
かくかくしかじかで、と言うと、
遠くからオジが僕らを見て、
「そこにいろ」
と言います。
しばらくしたら、オジから電話があって、
「タクシーをそっちに行かせよう」
とオジ。タクシー乗り場までオジは走り。
ほどなく、来たタクシーはタクシー乗り場からのものではなく。
それに、おばあさんは転げるように乗って行きました。
すぐにオジが頼んだタクシーが来ましたけれど。
僕らはおばあさんを手助けしたけれど、
「救われた」と僕は声に出さずに思いました。
助けられたのは、僕でした。おばあさんによって。




南へ、西へ、北へ、東へ

2009年06月07日 | 生活
昨夜、外から花火の「どーん」という音が、
聞こえました。
眠っていたので、
起きて見ませんでしたけれど、
確かに、あれは花火の音です。
そんな話を近くに住む友人と話していて、
方角は西北から、
とのこと。
きっと何かのお祝いの花火でしょう。
愛・地球博の年に名古屋には、
たくさんの人が来て、
集まりすぎて良くない、
との理由で、
矢田川の花火がその年からなくなりました。
いつも、夏には矢田川の花火を名古屋では見たり、聞いたりします。
また再開してほしいな、
と思うのは、ここらあたりの人々は、
きっと思っているはずです。
長い間、当たり前におこなわれていた催しが、
ぽつん、となくなるのは、
文字通り、寂しい、思いです。

友人と、馬鹿話をしながら、
夜になってゆく道を歩いていると、
黄色の花が咲いていました。
昼間は緑の木が、
夜には黒く見えますけれど、
間違いなく、あの暗闇の中の黒い葉は、
緑色です。
地上の物は、自ずから光らず、
と新聞に以前書いてあって、
陽光の貴重を夜には尚さらに、思います。
ただ、今日は満月で、
なにかを照らしていたのかもしれません。

月光は、
あれ? なんか外が明るいな、
と以前、カーテンを開けたみたとき、
それが月光、満月の光であったりすると、
神妙な気分になります。

歩行は、
南へ、西へ、北へ、東へ、
と、
時計の針の進み行きと同じように、
僕らは歩いて行きました。

遅い夜、
別の友人が遊びに来ました。
音楽の話をずっと話していると、
きりがないので、
適当にきり上げて、
すぐに眠りました。
明日も早いのです。

風貌は折口信夫

2009年06月03日 | 生活
夜、ある音楽家のサイトを見ていたら、
写真があって、
折口信夫みたいだ、
と強く思いました。
折口信夫はまだ全然読んだことがないし、
詩の方も一冊も読んでいません。
藤井貞和と吉増剛増は、
好んで読んでいるのですけれど、
この二人の詩人が発する名詞が、
折口信夫です。
ということは、
必読であり。。。

夜、
入道雲が、
出ていました。北の方に。

あじさい

2009年06月02日 | 生活
蒸し暑い日でした。
木と同様、
南西の方向に、
あじさいが咲いています。
その赤と青の変色具合を、
遠目で「日々、色が変わっていくのだろうな」、
と頭の中で考えています。
実際で、目で変色を知るには至らず、です。

町中には、たくさんのコンビニや、
ファーストフーズの店があります。
最近は、100円で、
挽きたてのコーヒーをコンビニで売っているので、
すっかり朝の習慣になりました。

帰り道、
暗くなった道の脇にある、
ライトアップされた噴水を見て帰ります。
それは、赤、青、黄、緑。
水が流れている場所や、
噴水している場所は、
<Cオンが出ているときいたことがあるので、
あ、この噴水の脇にしばらく座れば、
気持ちが良くなるのだろうな、
といつも思いながら、
家に帰ります。

木の下

2009年06月01日 | 生活
晴れていて、時々、涼しい風が吹きました。
道路は、東西に通っていて、
涼風は、西から吹いてきます。
両側にビルが連立しているので、
ビル風となって、
通りは風が吹きます。
南東の方向に、
一本、木があって、
知らないうちに、
僕は気がつくと、
その木を見ています。
当たり前ですけれど、
木は生きていて、
薄緑の葉をいっぱいつけています。
毎朝、ホームレスのおじいさんが、
その木の下で座って、
日差しを避けます。
昼頃になると、
太陽が高くなって、
その木の下も暑く、
おじいさんは、
バッグを持って、
知らないうちに、どこかに行きます。

ガイドさんと、
宮沢賢治の話を少ししました。
「信濃百年」という宿に、
去年の夏、行った時、
襖に、アメニモマケズの、
詩が貼ってありました。
宮沢賢治という名前をしゃべるだけで、
たいてい、しばらくは、
宮沢賢治のことを考えてしまい、
「あの雲からエネルギーをもらえ」
と、賢治は言いましたけれど、
どうして雲だったのか、
と、よく思うのですけど、
未だに判りません。
ただ、雲を見ると、
ああ、宮沢賢治は、
そう思ったんだな、
きっと、雲には、力があるんだろうな、
と思うのです。
そんなことや、
擬音語のこと、
原稿用紙の言葉が、いっせいにお辞儀をした話なんかを、
僕はずいぶん、熱心に話してしまっていました。