1996年 香港。
一人のバックパッカーが高級ホテル、ペニンシュラに入ろうとしたところをドアボーイに止められた。
「お客様、そのなりではお通しすることはできません」。
短パンにTシャツ、そしてビーサンのいでたちは24歳の熊猫である。
あわよくば入れるかな。そう思っていたから、別に何とも思わなかったし、バックパッカーとして、ひとつの勲章を貰った気持ちもあった。アジアを放浪するバックパッカーはいかに長く滞在し、いかに自分が貧乏で、いかに危険な目に遭ったことが、バックパッカーとしての格になったからだ。
「ペニンシュラで止められたよ」。
そう吹聴すれば、小汚さと貧乏さをアピールでき、しかも果敢に攻めていったことも評価される。しかし、本当にすごいバックパッカーは、まずそんなチャレンジはしない。ペニンシュラやオリエンタルホテルに突っ込む奴は、ただただ半端もんなだけなのだ。
さて、それから27年後。
東京日比谷のペニンシュラに男は妻と息子を連れて現れた。よっぽど短パンとビーサンで行ってやろうと思ったが、その日は雨模様で、しかも寒かった。27年前の香港はクリスマス前にも関わらず、Tシャツ、短パンで過ごせたが、東京はそういう訳にはいかない。大粒の雨が降っていて激寒だ。一応こぎれいな格好でホテルに入り、「Peter」を予約している旨をフロントに告げると、わざわざエレベーターまで案内してくれた。
そのエレベーターで27階へ。ランチのコースをいただきに。
雨で眺望も曇っていたが、自分の右側眼下に皇居が広がる。晴れていれば、新宿の方まで見えるだろう。
席についてドリンクメニューを眺めて仰天。自分がいつも飲んでいる飲みものの、大袈裟ではなく本当に桁違いの値段だ。まぁ、酒を飲みに来た訳ではないし。ご飯をおいしくいただくためには、「ペリエ」で充分。ただ、息子は微炭酸も飲めないので、オレンジジュースをいただくのだが、これが一杯1,600円である。
食事については割愛するが、とてつもなく豪華で、とてつもないスケール感だったといことは強調しておきたい。パンはほうじ茶が練り込まれていて、ふんわり。数日前にいただいたレストラン、「クオン」はもう霞んでみえるほど。
今回、「喫茶さすらひ」として取り上げたいのが、「マンゴープリン」である。
香港の本格スイーツが、デザートで登場してきたのだ。その滑らかな舌触りは本当にとろけそうだった。しかも、高級レストランにありがちなちょっとした、思わせな量ではなく、ある程度のボリュームだったから、がっついて食べられる贅沢さ。いや、半島に、もとい本当に素晴らしい。そして英国風に紅茶をいただいたが、これがまた良かった。
ビーサン野郎の逆襲。「深夜特急」風に言えば、「ワレセイコウセリ」か。
一階に降りるとカフェがあり、そこでは若者があちこちで、ヌン活をしていた。カフェではライブ演奏がされていて、曲はもちろん、「ラストクリスマス」。
そういえば、1996年の香港も、九龍のあちこちでかかっていたのが、この英国人デュオの甘い声だった。次の年に中国への返還が予定されていた香港は文字通り、最後のクリスマスだったのだ。
師は入れなかったみたいだけど、短パン履かない派だった長ズボン&運動靴の俺は、なんとか中に入って、売店で絵葉書を買った。
売店店員の上品なイギリスのおばさんに、グッドアフタヌーンと言われ、なんと返したらいいかとあたふたした記憶があるよ。
まだ九龍街の上を、低空で飛行機が飛んでいた中国返還前の香港。師と初めてあったのはこの時の香港だったな。
あれから27年か。時が経つのは早いな。
TPO、大事。小綺麗な格好でホテルに行くのは、他の人とも気持ち良く過ごすためのマナーだと思うよ。まあ、短パンビーサンでなんて言うのはネタだろうけど。
家族で場所は違えど思い出のペニンシュラでランチ。いい話しだな、師よ。
香港もだけど、自分はマカオの方が強烈だったよ。泊まった旅社。ドッグレース、その帰りにバスで終点まで行ってしまったこと。カジノは師だけが賭けたんだよね。
自分、結構リスボアでビビってたもん。
今度はリスボアの逆襲しようかな。まぁすってんてんになって返り討ちだろうね。
そういえば、今夜は討ち入りだったか。
ちなみに、リスボアカジノでは俺もかけてない、貧乏バックパッカーにとってはレートが高すぎてビビって・・・。
で、安宿近くの地元民向けの水上(船)カジノで最低レートの倍、1500円相当を一回だけ大小にかけて倍にしただけがカジノでの賭け体験だ。
そういえば、おフランスに行った時、エビアンにあるカジノに行ったんだけど、世話なってた地元の師匠に、「そんなじじいばばあが暇つぶしに行くとこに行くんじゃねーよ。」って怒られたなあ。
しかし、もう自分はあのような宿には泊まれない。いつか、ニューデリー以西を周ろうと思っているけど、汚いところはもう無理だな。
そうだった。
水上カジノだったね。
しかも、フランスでもカジノに行こうとしてたか。師の方がバックパッカー魂は高いよ。
ちなみに、あの旅館の風呂は、足を踏み入れただけで入ってないよ。師にサンダルはいてけって言われたのにカッコつけて素足で行って、ぬるっとしたからビビってシャワーは浴びずに戻った。
ヤバすぎてシャワー浴び無かったというのは、あの宿だけだったよ。
なお、俺のはバックパッカー魂とかじゃないと思うよ。キャンプとかも全然大丈夫なタイプなんで、それなりにキレイで雨風が防げてそれなりに快適に寝られれば、ボロかろうが調度が安物だろうが気にしないだけだなあ。
まあ、流石に今短期で行くとなったら、バックパッカー宿には泊まらないだろうけど。
激安安宿に泊まるのは、若者のネタ作りと長期滞在ゆえの経済的事情しかないからなあ。
何度も書いたけど、6年前、インドのボブネッシユの家に行って、トイレが汚いからウ○コがなかなかできなくて、自分はもうあの頃のようにバックパッカーみたいにはできないなと思い知らさたよ。
子どもらが独り立ちして、そんなに稼がなくてもよくなったら、ニューデリーからまた少しずつ刻んで旅をしようと思ってるけど、中東は結構、自分にはきついのかなと思ってる。何しろ、風呂に虫が出ただけで、大騒ぎしてるくらいだから。
>俺のはバックパッカー魂とかじゃないと思うよ。キャンプとかも全然大丈夫なタイプなんで
茨城のパラスクールで師が働いていた時、何回かお邪魔したけど、師が朝食として、鯵の開きと冷たいご飯を食べていて、「師も食えよ」って薦めてくれた時、自分が「食欲ない」って言ったのは、ちょっと衛生的にきつかったんだ。言えなかったけど。師としては仕事もアウトドアだったからね。
バックパッカーの時、なんで平気だったのかなって、不思議だよ。
師だって、師のお父さんが、知らない人に話しかけて喋り込むのを不思議に言ってたけど、自分らも知らない土地にいって、騙されたりもしたけど友達になってるし。鍛えられたよね。