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星野道夫さんの写真展が開催されていると聞いて、これは見逃してはいけないと思った。
気候変動、海洋のマイクロプラスチックの問題、侵略戦争。世界は今、20世紀の世紀末よりも深刻な状況を迎えている。もし、星野さんが生きていたら。彼はどんなメッセージを我々に投げかけるのだろうか。時々、そんなことを思ったりする。
或いは、自分の内面のこと。毎日忙しなく生きている自分と星野さんが生きた時間の流れは、常に一定で同じはずなのに、別のもののように感じるのは何故か。星野さんの写真展に行けば、そういった幾つもの疑問を解決とまではいかないものの、何か手がかりが掴めるのではないかと思ったのだ。
星野さんの写真展に行くのは20年ぶりだった。あの時は星野さんの地元、市川市で開催された写真展だった。その20年間で世界は激変した。ただ、星野さんの作品は変わっていなかった。いや、むしろその輝きは増していた。
ファインダーを通して写す写真。機械が介在するのに、何故か写真にはその人柄が現れる不思議。星野さんの写真には、自然への敬愛と慈しみ、そして優しさの全てが詰まっていた。何も語らずとも、全てを物語っていた。そして、あの文章力。詩人であり、ストーリーテラーだった。
写真展は、その星野さんの足跡を余すところなく伝えていた。
とりわけ、目を引いたのが、星野さんが書いたシシュマレフ村への直筆の手紙。あの丸文字の筆跡は20歳からの癖字で、その英語は拙かったが、情熱の温度は今も残っていた。
写真展を見て、自分が抱えてきた問題は跡形もなく消えたかといえば、そうではなかった。ただ、問題を解決する手がかりは得られたと思う。
人はいつの時代でもどこにいても自然の一部。人は都市生活をしていくうちにそれを忘れてしまうのだ。
ただ、地球は今悪い方に向かっている。それの共犯者になっているから、星野さんの写真を見てても、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
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