高輪口の雑踏に紛れて、品川駅の広いコンコースを歩く。おびただしい人がおびただしい思いを抱えながら、すれ違っていく。
大きな塊がうごめくその速度はやや速く、自分がその中に溶け込んでしまっていると思うと情けなくなった。
品川駅の港南口。
15年前の面影はもうない。当時の品川駅はまだ新幹線の停車駅ではなく、駅はカレーの匂いで満ちていた。
下水の排水溝のような港南口通路を歩く人はまばらで、ボクは週に一度、この排水溝のようなトンネルを通ってある会社に通った。
そのドブのパイプトンネルをくぐると、港区の賑わいが嘘のような閑散とした光景があって、その寂しいロータリーにたたずんだ。
こうして今、新幹線の改札を過ぎ、駅ビルのエントランスに出ると、インテリジェントビルが建ち並ぶ。カフェ・オレの薫りがどこからともなくして、花屋の店先の小さなブーケの鮮やかな色彩がモノトーンの雑踏にアクセントをつける。
ネオ東京。
そう、ネオ東京。
港南口のエスカレーターを降りた正面の小道を入ると、そこに現れるのは旧市街。
この世界観はまさしく漫画「AKIRA」だった。
人がすれ違うのも困難な道。ネオ東京の光の洪水をよけながら、迷路に迷い込んだボクは白煙にまぶされ、目的の店に急いだ。
「モツ焼き まーちゃん」。
そこにH部さんが待っているはずだった。この日不惑を迎えたH部さんが。
「まーちゃん」は民家のような店だった。昭和40年代の子どもの頃に行った友達の家のような店。テーブルが僅か6脚の小さな店。三和土はネズミ色、壁は堅い板張りのひなびた感じの店だ。
生ビール(500円)に「煮込み」(400円)。「煮込み」はもちろんモツ。
H部さんはビールが嫌いだから、「会津ほまれ」を冷やで。
ジョッキとコップ酒で、H部さんの不惑に乾杯した。
古い店なのだろう。
壁に貼られた短冊はすでに黄ばんでいる。店が蒸し暑くなると、サッシで取り付けられた窓を誰となく開け放つ。すると、道行く人と目が合ったりする。厨房の向こうには今や珍しいヌードカレンダー。
電灯は蛍光灯で光はか細い。ネオ東京とは光量が違う。
「マカロニサラダ」(300円)と「ホッピー」。
「ホッピー」は飲み切りである。
この港南の迷路は風通しが悪く、かなり蒸している。けれども、窓を開けて聞こえる周囲のさんざめく声を聞いていると、なんだか懐かしい気持ちにさえなってくる。子どもの頃、それも小学生だったときのように。それはまさにボクたちの原風景なのかもしれない。
2020年にオリンピックが東京に来るのだろうか。
「AKIRA」は現実であり、現実が「AKIRA」に近づいているようだ。
この街が自分にとって、特別な街になるだなんて。
思いもしなかった。
大きな塊がうごめくその速度はやや速く、自分がその中に溶け込んでしまっていると思うと情けなくなった。
品川駅の港南口。
15年前の面影はもうない。当時の品川駅はまだ新幹線の停車駅ではなく、駅はカレーの匂いで満ちていた。
下水の排水溝のような港南口通路を歩く人はまばらで、ボクは週に一度、この排水溝のようなトンネルを通ってある会社に通った。
そのドブのパイプトンネルをくぐると、港区の賑わいが嘘のような閑散とした光景があって、その寂しいロータリーにたたずんだ。
こうして今、新幹線の改札を過ぎ、駅ビルのエントランスに出ると、インテリジェントビルが建ち並ぶ。カフェ・オレの薫りがどこからともなくして、花屋の店先の小さなブーケの鮮やかな色彩がモノトーンの雑踏にアクセントをつける。
ネオ東京。
そう、ネオ東京。
港南口のエスカレーターを降りた正面の小道を入ると、そこに現れるのは旧市街。
この世界観はまさしく漫画「AKIRA」だった。
人がすれ違うのも困難な道。ネオ東京の光の洪水をよけながら、迷路に迷い込んだボクは白煙にまぶされ、目的の店に急いだ。
「モツ焼き まーちゃん」。
そこにH部さんが待っているはずだった。この日不惑を迎えたH部さんが。
「まーちゃん」は民家のような店だった。昭和40年代の子どもの頃に行った友達の家のような店。テーブルが僅か6脚の小さな店。三和土はネズミ色、壁は堅い板張りのひなびた感じの店だ。
生ビール(500円)に「煮込み」(400円)。「煮込み」はもちろんモツ。
H部さんはビールが嫌いだから、「会津ほまれ」を冷やで。
ジョッキとコップ酒で、H部さんの不惑に乾杯した。
古い店なのだろう。
壁に貼られた短冊はすでに黄ばんでいる。店が蒸し暑くなると、サッシで取り付けられた窓を誰となく開け放つ。すると、道行く人と目が合ったりする。厨房の向こうには今や珍しいヌードカレンダー。
電灯は蛍光灯で光はか細い。ネオ東京とは光量が違う。
「マカロニサラダ」(300円)と「ホッピー」。
「ホッピー」は飲み切りである。
この港南の迷路は風通しが悪く、かなり蒸している。けれども、窓を開けて聞こえる周囲のさんざめく声を聞いていると、なんだか懐かしい気持ちにさえなってくる。子どもの頃、それも小学生だったときのように。それはまさにボクたちの原風景なのかもしれない。
2020年にオリンピックが東京に来るのだろうか。
「AKIRA」は現実であり、現実が「AKIRA」に近づいているようだ。
この街が自分にとって、特別な街になるだなんて。
思いもしなかった。
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