2日前、前FC東京監督アレシャンドロ・ガーロ氏が離日した。
シーズンを全うできず、監督を解雇されたのだ。
リーグ戦中断前の頃、バックスタンドには「ガーロでいいのか」という横断幕も見えた。
シーズン当初の期待とは裏腹に、あまりにも寂しい別れであった。
FC東京というサッカークラブは、しっかりとした将来ビジョンを持った組織だった。
大熊清監督はクラブの前身である東京ガス時代から9年にわたってチームを率いたし、次に監督に就任した原博美氏も4年の任期を全うした。監督がシーズン途中で退任することなく、チームをまとめあげたことは、換言すれば、クラブが成長の階段を着実に昇っていたといえる。
だが、今年のクラブには、そのクラブの信念が見えなかった。
普通のクラブに成り下がってしまったようだ。
ケチのつけはじめは、シーズン前の戦力補強で新外国人選手としてアモローゾをリストアップし、仮契約まで済ませながら、契約不履行となり、逃げられてしまったところからだ。
これは、FC東京サポが集う掲示板でも当時さかんに議論されたことだ。
果たして、アモローゾがFC東京の戦力補強として妥当だったのか、と。
FC東京のチームカラーや伝統には同選手はそぐわない。
大枚をはたいてまで必要な選手であるとも思えなかった。
何故、アモローゾを獲得しようとしたのか。それがガーロの意志だったのか。
どうしても解せない問題だ。
ともあれ、アモローゾはトヨタカップの大活躍でイタリアから声がかかり、条件のいいクラブに移籍することができた。
一方、FC東京は賠償請求の訴えを起こさざるをえなくなり、クラブに波風がたったことは間違いないだろう。
或いは、新生FC東京の序盤の闘いにも影響を及ぼしたかもしれない。
開幕戦の対大分戦の2トップはササ・サルセード選手とリチェーリ選手だったからだ。
両選手のそれぞれのゴールで開幕戦に勝利したものの、A選手契約でないリチェーリ選手のスタメンは大型FWを獲得できなかった苦肉の策のようにすら感じた。
一抹の不安がガーロにあったのは確かだった。
それは彼が「ポゼッションサッカー」を標榜したからだ。
FC東京の伝統は「キレ味鋭いカウンターサッカー」や「早い攻守の交代」といったスピードがチームカラーになっていた。
だが、こうした選手の体に沁みついた習慣を、フロントはいともたやすく放棄する賭けに出た。だが、そのリスクを負うだけガーロ氏に手腕があったことも確かだろう。
また、日本のナショナルチームを率いるジーコ監督に根拠のない多大な期待が寄せられたことも、ガーロ氏にとっては不運だった。
ジーコ監督もポゼッションを標榜するサッカーだっただけに、その期待値はなんの根拠もなく、ガーロ氏にも向けられた感があった。
結局、FC東京にポゼッションが浸透することはなかった。
そして、偶然か必然か、W杯の惨敗とともに湧き上がったジーコ批判とともに「ポゼッションサッカー」の権威は地に堕ち、ブラジル人の2人はともに日本を去った。
恐らく、ポゼッションサッカーが悪いのではなく、チームをブラジル化させることに無理があったのではないだろうか。
だが、ガーロが蒔いた種は決して無駄ばかりではなかった。
彼が寵愛した、ルーキー伊野波雅彦選手は昨日、日本代表に飛び級で初選出された。
ガーロ氏が指導した7ヶ月という時間がいつしかクラブにとってかけがえのないものだったことに気づく瞬間がきてほしいと今はただ願っている。
シーズンを全うできず、監督を解雇されたのだ。
リーグ戦中断前の頃、バックスタンドには「ガーロでいいのか」という横断幕も見えた。
シーズン当初の期待とは裏腹に、あまりにも寂しい別れであった。
FC東京というサッカークラブは、しっかりとした将来ビジョンを持った組織だった。
大熊清監督はクラブの前身である東京ガス時代から9年にわたってチームを率いたし、次に監督に就任した原博美氏も4年の任期を全うした。監督がシーズン途中で退任することなく、チームをまとめあげたことは、換言すれば、クラブが成長の階段を着実に昇っていたといえる。
だが、今年のクラブには、そのクラブの信念が見えなかった。
普通のクラブに成り下がってしまったようだ。
ケチのつけはじめは、シーズン前の戦力補強で新外国人選手としてアモローゾをリストアップし、仮契約まで済ませながら、契約不履行となり、逃げられてしまったところからだ。
これは、FC東京サポが集う掲示板でも当時さかんに議論されたことだ。
果たして、アモローゾがFC東京の戦力補強として妥当だったのか、と。
FC東京のチームカラーや伝統には同選手はそぐわない。
大枚をはたいてまで必要な選手であるとも思えなかった。
何故、アモローゾを獲得しようとしたのか。それがガーロの意志だったのか。
どうしても解せない問題だ。
ともあれ、アモローゾはトヨタカップの大活躍でイタリアから声がかかり、条件のいいクラブに移籍することができた。
一方、FC東京は賠償請求の訴えを起こさざるをえなくなり、クラブに波風がたったことは間違いないだろう。
或いは、新生FC東京の序盤の闘いにも影響を及ぼしたかもしれない。
開幕戦の対大分戦の2トップはササ・サルセード選手とリチェーリ選手だったからだ。
両選手のそれぞれのゴールで開幕戦に勝利したものの、A選手契約でないリチェーリ選手のスタメンは大型FWを獲得できなかった苦肉の策のようにすら感じた。
一抹の不安がガーロにあったのは確かだった。
それは彼が「ポゼッションサッカー」を標榜したからだ。
FC東京の伝統は「キレ味鋭いカウンターサッカー」や「早い攻守の交代」といったスピードがチームカラーになっていた。
だが、こうした選手の体に沁みついた習慣を、フロントはいともたやすく放棄する賭けに出た。だが、そのリスクを負うだけガーロ氏に手腕があったことも確かだろう。
また、日本のナショナルチームを率いるジーコ監督に根拠のない多大な期待が寄せられたことも、ガーロ氏にとっては不運だった。
ジーコ監督もポゼッションを標榜するサッカーだっただけに、その期待値はなんの根拠もなく、ガーロ氏にも向けられた感があった。
結局、FC東京にポゼッションが浸透することはなかった。
そして、偶然か必然か、W杯の惨敗とともに湧き上がったジーコ批判とともに「ポゼッションサッカー」の権威は地に堕ち、ブラジル人の2人はともに日本を去った。
恐らく、ポゼッションサッカーが悪いのではなく、チームをブラジル化させることに無理があったのではないだろうか。
だが、ガーロが蒔いた種は決して無駄ばかりではなかった。
彼が寵愛した、ルーキー伊野波雅彦選手は昨日、日本代表に飛び級で初選出された。
ガーロ氏が指導した7ヶ月という時間がいつしかクラブにとってかけがえのないものだったことに気づく瞬間がきてほしいと今はただ願っている。
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