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あれは確か、「レコード芸術」に掲載された批評だったと記憶している。
尾崎豊のアルバム「誕生」についてである。曰くこんな論調だった。
サラリーマンを経験していないで、社会とは対峙できない、と。
つまり、彼が10代のうちにリリースした3部作は、若さ故の葛藤や迷いであるが、20代を過ぎた彼、或いは人の親となった彼には、もはや同じ文脈で社会を語れないというわけである。
未成年だった当時のボクは、決してそう思わなかったが、ボクもいいおっさんになって、その考えもあながち否定できるものではないと考えるようになってきた。
時代がそうでなかったという面はある。
尾崎が登場してきた80年代初頭、校内暴力が吹き荒れる教育現場に人権という視点は希薄だったように思う。尾崎自身にも人権を歌っていた自覚はなかったと思う。
彼はデビューライブのMCで、新宿のホームレスに言及しているし、「17歳の地図」の挿入歌「愛の消えた街」でも、ホームレスが登場する。
だが、尾崎が捉える世界観の中で、ホームレスは圏外の人である。
尾崎豊は立ち飲み屋で酒を飲むだろうか。
場末の酒場で彼は飲めないだろうと思う。つまり、尾崎はインテリなのである。
大人と未成年という対立軸。だが、その二項対立に金持ちと貧困はない。そういう意味でいえば、尾崎もあっちがわの人間である。
だから、厳密にいえば、彼の言動は甘いのだ。そもそも、彼は活動家ではないのだから。
立ち飲みのカウンターに立ち、1,000円をどう使って飲もうか。
横に立つ、くだをまくオヤジと一緒にカウンターに立ち、時にはすえた匂いを嗅ぎながら、時にはそのオヤジのつばが焼酎のコップに入るのを見ながら、酒を飲む。
そうしたことを尾崎はできただろうか。
彼の命日にいつものように尾崎ハウスをお参りし、京成千住大橋駅前の立ち飲み「八ちゃん」に落ち着いたとき、ボクはそんなことを考えていた。
「愛を失い仕事すらなくし、俺は街を出た」のなら、日雇いで汗水たらして働き、その金で、立ち飲みのカウンターに立ち、酒を飲むことだって出来たはずである。
そうすることで、10代の彼が思い描いていた愛や希望は更にリアリティをもって輝き、探しているものを、自ら見つけることができたのではないだろうか。
もし、彼があの4月24日、千住大橋を徒歩で渡った後、北詰で右折をしないで、この立ち飲み屋を見つけたのなら、運命は変わっていたのだろうと思う。
尾崎が「おばちゃん、『立ち飲みセット』ね」。
ボクもそれに応じて「もうひとつ」。
尾崎はきっと、「ハイボールダブル」を頼むだろう。焼きとりは「とり」と「つくね」。
ボクは「生ビール」に「ハラミ」を頼むだろう。
ワンコインの「立ち飲みセット」。
そして、おもむろにボクは尾崎と乾杯をする。
隣のおやじが食べている「もつ煮込み」を見て、ボクは驚いた。
ハチノスが入っている。振り返って厨房の大鍋を見てみると、とろりとしたおつゆが微かな電灯に光っている。なんか、底知れぬ豊饒なスープ。人生の混濁をそのまま封入させたような、そんな人生のドラマが煮込みを味わい深いものにさせている。
「誰も知らないボクがいる」。
「太陽の瞳」で歌う尾崎は、もしかすると歌手にならなかった自分を見つめ返しているのかもしれない。
「こんな仕事は早く終わらせてしまいたい」。
もし、違う人生を歩んでいたならという想いが、この詩に感じなくもない。
もしかすると、尾崎が歌手デビューをしなかったら、彼はもっと自分らしく、こんな場末の酒場で酒を飲んでいたのかもしれない。
隣に立った知らないオヤジと肩を組みながら。
楽屋で無邪気に振る舞う彼の姿を見ると、人間の性格というものは何なのかとすら思う。
やはり、人は社会的役割の中で生きているのだろう。
この日は1日中、尾崎のことを考えていた。
そうすると、ボクは尾崎と一緒に、この立ち飲みで飲んでいるような気がしていた。
いい店だな。
きっと、ボクは来年も、再来年もその次も、毎年4月25日に千住大橋の駅に降り立つことだろう。
その度にボクは心の中で問いかける。
千住大橋界隈の酒場で。
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