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怪鳥と三越前の立飲み屋にて杯を傾けてから家に帰り、すぐさま出産を控える妻に電話をすると、なんとなく様子がおかしい。
ほどなくして、妻が訴える腹痛は間隔を短くしていく。
陣痛が始まったようである。
そのまま、電話を切り、家でそわそわしていると夜11時くらいにお義母さんから電話が入った。
どうやら妻は病院に入ったとのことである。この日の朝、妻とメールで連絡を取りあったときは産まれる気配など微塵もなかったのに、事態は急変した。
郷里の山口県で出産をする妻に付き添うこともできないわたしはなす術もなく、床をひいて、目を瞑ってみると、途端に情けない気持ちになってきた。妻は今頃、男には決して分かることのない壮絶な煩悶をしていることだろう。
それに引き替え、わたしの方といえば、少し酔っぱらって帰宅して、その大事になす術もない。特に後悔したのが、立飲み屋で飲んだ冷や酒「澤の井」だった。コップ酒を1合飲んだばかりに、偏頭痛に似た酔いが正常な思考をおおいに鈍らせ、妻に対する申し訳ない気持ちで頭はいっぱいになったのだった。
出産予定日は3月30日だった。しかも、医師からは「遅れる」とまで言われていた。いっこうに、その気配のない出産にわたしと妻は「4月に入ってからだね」とたかをくくっていたほどだ。
だから、この出産予定日の2日前、怪鳥からの誘いに即答し、日本橋三越前の立飲み屋で飲んでいる時には、まさかその数時間後に子供が誕生するとはゆめゆめ思わなかったのである。
床についたものの、 案の定わたしはその晩、眠れない夜を過ごした。生ビール一杯と「澤の井」1合、そして妻の郷里である山口県が育んだ希代の銘酒、「山縣本店」の梅酒のロックが効いて、体は眠ろうとしているのだが、気持ちが高ぶって眠気が全くない。もっとも、無事に産まれる報が来るまで眠るつもりは毛頭なかったが、酩酊感がこれから迎える長い夜を邪魔してるようでもあった。
怪鳥と赴いた立ち飲み屋の名前は「樽小屋」といった。
その4日前、わたしは例の帰宅前の散歩をしていて発見し、一杯ひっかけたお店だった。
生ビールがやけにおいしかった。だが、そのビールの銘柄がどうしても分からなく、店員さんに思わず聞いたところ、「モルツ」と返ってきた。一瞬モルツプレミアムかと思ったが、まさか一杯380円でそれを出すはずもないだろう。しかし、このバイスビールのような味わいは、モンド賞を受賞した麦酒に似ていた。
装いをあらたにした新モルツがこんなにおいしく生まれ変わったことを知ったのは、それから随分後のことだ。
ともあれ、このちょっと粋な立ち飲み屋に運命の夜、怪鳥と再び訪れたのであった。
お店は、前回と同様、おっさんでごった返していた。
大勢で盛り上がるグループもいれば、ひとりでマイペースに飲む人もいる。だが、ほとんどの客は場所柄のせいか、皆背広を着ていた。
店のシステムは中央のカウンターに出向いて、飲み物は注文し、食べ物はカウンターに置かれているものをとって、その都度支払うというセルフ方式。
そこで、わたしと怪鳥は、新モルツで喉を潤したあと、「澤の井」に手を染めていくわけなのである。
つまみは「蛸刺し」に「焼きタラコ」、そして「しめ鯖」。海鮮ものが充実していて、料理もかなり本格的。立ち飲みだからと侮ってはいけない。値段もほとんどが350円程度だ。
酒の種類も充実している。各地の地酒が各種、もちろん焼酎も置いてある。前述したが、わたしはこの後、「山縣本店」が作った渾身の梅酒「梅のかほり」のロックも頂いた。
かなり、本格志向の立ち飲み屋といっていいだろう。
客の入れ替わりも早い。
ささっと飲んで帰るお客が多く、我々もそれに倣って店を後にした。
だが、まだ少しお腹が満たされていない。
そこで、怪鳥の勝利の方程式、「居酒屋→中華食堂」という黄金パターンが繰り出されたのであった。
近所に外見は冴えないのだが、店内はおおいに賑わっている中華食堂を見つけた。
「大勝軒」というお店だ。
安っぽいテーブルが5卓ほどしかない小さなお店だったが、店内は満員だった。
年季の入ったおばあちゃんが注文をとりにくる。見るからに、隠れた名店の匂いを醸し出していた。
怪鳥の予感は当たった。
餃子がぱりぱりと香ばしく、ビール「一番絞り」とよく合う。
その味には、長い時間、この場所で中華一筋に勝負してきたプライドが満ちていた。
締めは「一番絞り」の追加とラーメンだった。
こうして、満腹感と満足感とともに、家路へつき、自宅へ辿り着くと同時に妻に電話をかけたわけなのである。
待つ時間というものはなかなか進まないものである。
もう、どれくらいの時間が流れたのだろうか。
おぼろげな意識が、ただただ念じていたのは、「安らかに産まれてきてほしい」という思い。
そして、新聞配達のスーパーカブが走る音が聞こえはじめた4時半頃、家の電話がけたたましくなった。
新しい生命の誕生を告げる電話だった。
その夜、妻は悶えるほどの強烈な命の授けをし、2680gの女の子は小さな体で精一杯の生きる躍動を漲らせた。
その子のお父さんであり、その妻の夫は、飲んで帰って、ただただ祈るだけだったというのに。
ほどなくして、妻が訴える腹痛は間隔を短くしていく。
陣痛が始まったようである。
そのまま、電話を切り、家でそわそわしていると夜11時くらいにお義母さんから電話が入った。
どうやら妻は病院に入ったとのことである。この日の朝、妻とメールで連絡を取りあったときは産まれる気配など微塵もなかったのに、事態は急変した。
郷里の山口県で出産をする妻に付き添うこともできないわたしはなす術もなく、床をひいて、目を瞑ってみると、途端に情けない気持ちになってきた。妻は今頃、男には決して分かることのない壮絶な煩悶をしていることだろう。
それに引き替え、わたしの方といえば、少し酔っぱらって帰宅して、その大事になす術もない。特に後悔したのが、立飲み屋で飲んだ冷や酒「澤の井」だった。コップ酒を1合飲んだばかりに、偏頭痛に似た酔いが正常な思考をおおいに鈍らせ、妻に対する申し訳ない気持ちで頭はいっぱいになったのだった。
出産予定日は3月30日だった。しかも、医師からは「遅れる」とまで言われていた。いっこうに、その気配のない出産にわたしと妻は「4月に入ってからだね」とたかをくくっていたほどだ。
だから、この出産予定日の2日前、怪鳥からの誘いに即答し、日本橋三越前の立飲み屋で飲んでいる時には、まさかその数時間後に子供が誕生するとはゆめゆめ思わなかったのである。
床についたものの、 案の定わたしはその晩、眠れない夜を過ごした。生ビール一杯と「澤の井」1合、そして妻の郷里である山口県が育んだ希代の銘酒、「山縣本店」の梅酒のロックが効いて、体は眠ろうとしているのだが、気持ちが高ぶって眠気が全くない。もっとも、無事に産まれる報が来るまで眠るつもりは毛頭なかったが、酩酊感がこれから迎える長い夜を邪魔してるようでもあった。
怪鳥と赴いた立ち飲み屋の名前は「樽小屋」といった。
その4日前、わたしは例の帰宅前の散歩をしていて発見し、一杯ひっかけたお店だった。
生ビールがやけにおいしかった。だが、そのビールの銘柄がどうしても分からなく、店員さんに思わず聞いたところ、「モルツ」と返ってきた。一瞬モルツプレミアムかと思ったが、まさか一杯380円でそれを出すはずもないだろう。しかし、このバイスビールのような味わいは、モンド賞を受賞した麦酒に似ていた。
装いをあらたにした新モルツがこんなにおいしく生まれ変わったことを知ったのは、それから随分後のことだ。
ともあれ、このちょっと粋な立ち飲み屋に運命の夜、怪鳥と再び訪れたのであった。
お店は、前回と同様、おっさんでごった返していた。
大勢で盛り上がるグループもいれば、ひとりでマイペースに飲む人もいる。だが、ほとんどの客は場所柄のせいか、皆背広を着ていた。
店のシステムは中央のカウンターに出向いて、飲み物は注文し、食べ物はカウンターに置かれているものをとって、その都度支払うというセルフ方式。
そこで、わたしと怪鳥は、新モルツで喉を潤したあと、「澤の井」に手を染めていくわけなのである。
つまみは「蛸刺し」に「焼きタラコ」、そして「しめ鯖」。海鮮ものが充実していて、料理もかなり本格的。立ち飲みだからと侮ってはいけない。値段もほとんどが350円程度だ。
酒の種類も充実している。各地の地酒が各種、もちろん焼酎も置いてある。前述したが、わたしはこの後、「山縣本店」が作った渾身の梅酒「梅のかほり」のロックも頂いた。
かなり、本格志向の立ち飲み屋といっていいだろう。
客の入れ替わりも早い。
ささっと飲んで帰るお客が多く、我々もそれに倣って店を後にした。
だが、まだ少しお腹が満たされていない。
そこで、怪鳥の勝利の方程式、「居酒屋→中華食堂」という黄金パターンが繰り出されたのであった。
近所に外見は冴えないのだが、店内はおおいに賑わっている中華食堂を見つけた。
「大勝軒」というお店だ。
安っぽいテーブルが5卓ほどしかない小さなお店だったが、店内は満員だった。
年季の入ったおばあちゃんが注文をとりにくる。見るからに、隠れた名店の匂いを醸し出していた。
怪鳥の予感は当たった。
餃子がぱりぱりと香ばしく、ビール「一番絞り」とよく合う。
その味には、長い時間、この場所で中華一筋に勝負してきたプライドが満ちていた。
締めは「一番絞り」の追加とラーメンだった。
こうして、満腹感と満足感とともに、家路へつき、自宅へ辿り着くと同時に妻に電話をかけたわけなのである。
待つ時間というものはなかなか進まないものである。
もう、どれくらいの時間が流れたのだろうか。
おぼろげな意識が、ただただ念じていたのは、「安らかに産まれてきてほしい」という思い。
そして、新聞配達のスーパーカブが走る音が聞こえはじめた4時半頃、家の電話がけたたましくなった。
新しい生命の誕生を告げる電話だった。
その夜、妻は悶えるほどの強烈な命の授けをし、2680gの女の子は小さな体で精一杯の生きる躍動を漲らせた。
その子のお父さんであり、その妻の夫は、飲んで帰って、ただただ祈るだけだったというのに。
あの日、怪鳥が「父親」ではない自分を見た最後の人です。
しかし、あそこの「大勝軒」はうまかった。
なんか、「居酒屋→中華食堂」パターンが自分でも定着しそうです。
立ち飲みだと満足に食えないから、つい食えるところに行ってしまって体重増加、という美しいパターンですね。気をつけましょう。
このパターンは今度会社の人間とも試みてみます。わたしゃかなり好きです。帰りも座って一本で帰れるしね~~。
ただ、子供が生まれる時には、男というのはほんとに何もできないもんだね。俺なんか現場にいようもんなら「あわあわわわ。」みたいな感じになると思うよ。
とにかく母子共に健康、また、娘さんはすくすくと育っているようでなによりだ。
おめでとう師、そしてお父さん熊猫。
さて、怪鳥。
次回、このパターンで行った結果はまた報告して下さいな。
あのあたりにはまだ埋もれた居酒屋がありそうな予感がありますね。引き続き、調査を続けます。
さて、師よ。
いつもありがとう!
分娩室で出産を共にする方が増えているそうだ。
気持ちは分かるが、俺はちと嫌だな。
俺の場合、ただの傍観者と(あのときみたいにね。詳しくは↓
http://onitobi.blog20.fc2.com/blog-entry-51.html#more)
化すだろうナ。
少なからず「妻が大変なときに、俺は何もできない・・・」と思う人が多いのですね。
でも本当に大変なのはこれからですよ、きっと。
一家の大黒柱、頑張ってください。
「お父さんは背中でモノを語る」ですよ(笑)。
そう考えたら、これは一種の記録ですね。
そんな文章、これからも書いていきます。
しかし、父親という自覚がまだないかも。
子供と一緒に父母も成長していくと感じています。
しかし、ご無沙汰ですね~。
前回のホッピー研究会からもう4か月余りも経ってしまいました。
時が経つのは早いもんです。
ふささんは無事に現場の仕事をまっとうされたのでしょうか。
近々、行きましょう。