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お風呂放浪記NO.20 ~「金春湯」(中央区銀座)~

2009-02-11 13:18:04 | お風呂さすらい
 立ち飲みラリーのさなか、しばし銀座をブラついた。
 この日本一の繁華街に銭湯があるのだという。しかも、相当古く歴史ある銭湯のようだ。
 疋田智さんの著書「自転車とろろん銭湯記」(ハヤカワ文庫)にはこのように記されている。
 「銀座は銭湯に限る、と誰が言ったか知らないが、はたまた、言わなかったのかもしれないが、その銭湯は、周囲を鉄筋コンクリートのビルに囲まれた、これまた鉄筋コンクリートの一階にある。(中略)中央区銀座の八丁目に、その銭湯「金春湯」がある」。

 「金春湯」と書いて「こんぱるゆ」と読む。
 「金=こん」は分かるとして「春=ぱる」というのはなかなか読めない。だが、その得体の知れない名称から何かオーラのようなものが立ち上ってくるほどにイントネーションは魅力的だ。果たしてどんな銭湯なのだろうか。

 銀座八丁目に差し掛かり、くだんの銭湯を探すのだが、実はなかなか見つからなかった。「金春ビル」など「金春」と称する建物や店は目に付くのだが、肝心の風呂が見えないのだ。
 「金春湯」のオフィシャルホームページによると、その昔この界隈に幕府直属の能役者(金春太夫) 金春流の屋敷があったといい、未だその名残がこの辺りのビル名などに残されているようだ。

 「金春湯」の歴史も古いらしい。
 ホームページでは開業を「文久三年(1863年)」と伝えている。
 「文久」と言われてもピンとこないが、まだ明治維新の前、つまり江戸時代からこの銭湯は営業を開始しているようなのだ。
 疋田さんの著書はこう訴えている。
 「実は東京都内の銭湯の中で、この金春湯は二番目の古さを誇る。一番は江戸川区の「あけぼの湯」で、これが1733年創立。そして、その次がこの金春湯なのである」。

 そんな歴史ある銭湯とはどんな湯なのか、それだけでもうワクワクしてくる。
 ようやく、探し当てた銭湯はビルとビルの間に埋もれた小さな入り口の、ともすれば見過ごしてしまいそうな銭湯だった。
 「ビル?」
 江戸の薫りを伝えるような建物を想像してはいけない。
 東京は関東大震災を経験し、戦時中の空襲も体験した。
 同湯もまず震災で焼け、戦災では奇跡的に建物は残ったようだが、戦後近代的なビルに立て直したのだという。
 「昭和32年に改築され、当時では珍しいビル内に銭湯を構えたものです。この一角ではまだ高い建物もなく一番高い建物でした」とホームページは当時を述懐している。
 昭和32年と言っても、もう半世紀がゆうに経っている。
 それだけでも、歴史的な建物といえる。

 そんな時代的なビルだけに、銭湯としても変わった構造になっている。
 細い通路を進むと手前側に男湯、奥に女湯。それを進むと脱衣所だ。
 脱衣所は想像した通り、やはり狭い。
 もしかすると、前回の当欄でお邪魔した「稲荷湯」よりも狭く見える。
 番台のおばちゃんに入浴料を払おうとすると、おばちゃんは「100円ね」と言った。
 一瞬、わたしは聞き間違えたと思った。しかし、東京都の入浴料金は450円だから、聞き間違えだとしても切りのいい数字に聞こえるわけがない。
 
 すると、番台に「本日100円」の貼紙が見えた。
 何をどういう訳で「100円」なのか、全くもって説明がないのだが、とにかく安い!
 この銀座で果たして100円で買えるものがあるだろうか?
 そう思いながら、わたしはおばちゃんに「100円」を渡し、ロッカーへと向かったのである。
 関東大震災の翌年に作ったとされる神棚をみやりながら。

 浴場も脱衣所に見合うようなコンパクトさであった。
 カランが18。浴槽が2槽のオーソドックスな浴室だ。
 午後6時過ぎの浴室はお客がわたしを入れて7人。比較的空いている状況だった。
 ホームページではこのように謳っている。
 「前は周りに住んでいる人が入りに来て頂けましたが、現在では銀座に住む人は少なくなり主に周りの飲食店の方々が、店の開店前、閉店後にさっぱりするためにいらっしゃいます。よって金春湯の込む時間はだいたい開店後の日中です、夜6時頃からは比較的空いております」と。
 同湯の開店時間は午後2時である。

 さて、上記の文にもあるようにお客のほとんどは飲食店に勤める方とのこと。確かに見渡してみると、そんな雰囲気を醸す人が体を洗っている。だいいち、7人のうち3人がロン毛だ(わたしを含む)。
 ロン毛率.429はかなりの高打率ではないだろうか。
 もしかすると東京で一番ロン毛の割合の多い銭湯ではないだろうか。

 浴槽の頭上に飾られている鯉のタイル絵が実に優雅だ。
 これを眺めながら銀座の風呂に浸かる、それもたった100円だなんてなんて贅沢なのだろう。
 しかし、一体何故、この日「100円」で入浴できたのか、今もって分からない。

 だが、同湯のホームページを見ていると、こんな一文があった。
 「毎月5日 小学生以下無料日。銭湯の知らない子供たちが年々増えてます、この機会に ぜひご利用下さい」。
 サービス精神が旺盛なのだろう。

 「金春湯」も間違いなく江戸文化だ。
 その文化をしっかり子供たちに伝える努力を「金春湯」は怠っていない。



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2 コメント

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金春 (ふらいんぐふりーまん)
2009-02-19 21:38:57

コンパルっていう名前は、なんか日本っぽくない感じがするよね。俺にはちょっとITっぽいイメージすら感じられるよ。

そんな名前の土地が、江戸のど真ん中にあったというのがまたおもしろいね。

それにしても東京の銭湯も歴史が長いところが多いようで、面白い風呂がそろってるね。

そういうところが時代の流れと共に徐々になくなっていくというのは、ほんとさびしい気がするね。

是非、古きいいところを残して、そして新しき流れにも乗りつつ、存続していって欲しいもんだよ。

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こんぱる (熊猫刑事)
2009-02-19 23:10:52
不思議な響きだよね。
風呂好きの師には是非行ってもらいたいよ。

京都の銭湯も古いんでしょ?
一度、師と一緒に行ったあの京都の銭湯もなかなか古そうだったね。
また、あの風呂には行きたいもんだよ。
そして、出掛けに「おおきに」と言ってみたいな。

銭湯も減少しつつあるというけれど、いつかまた見直されるときがくるかもしれないよ。
都電や市電が絶滅寸前になっているけれど、今またコンパクトシティとかで見直されているんでしょ?

銭湯もまた復活するんじゃないかなって思うんだよ。最近は。
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