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今回のエピソードを書くにあたって、どこから話しを始めるべきか悩んでいる。
高山本線の素晴らしき車窓の景観から書くべきか。
それとも、仕事の後の懇親会、高山ワシントンホテルの和風レストランで「飛騨牛」づくしの酒席に狂喜乱舞(O川自動車のS武さんと飛騨牛を巡ってバトル!)したことも書くべきか。
いずれにせよ、そうした延長線上に夜の居酒屋放浪があることは間違いない。
居酒屋放浪とは、そこで出会う人びとや、食べ物、そしてお酒と人間模様が交錯する旅なのだ。
高山本線の車窓は文字通り素晴らしかった。
特に飛水峡信号場の景観は本当に感動した。
景勝地、飛水峡である。
車内に流れる放送から説明がなされる車窓の風景に車内の客は一斉に溜息をついた。
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一方の飛騨牛づくしである。
圧巻は焼肉である。
飛騨牛の偽装事件で在庫過多になっていたものが一気に出てきたかと思う量だった。
だが、掛値なしにうまかった。
そうして宴席も終わり、夜の9時近くになって、わたしは一人ホテルを出た。
うまい酒を飲みに繰り出したのだ。
市内はひっそりとしており、静けさと闇が不気味に町を覆っている。
人通りもほとんどない。
古い町並みが闇を一層際立たせているようだった。
駅を背にして東に向う。
すると、やや賑やかな通りに出た。
飲み屋街が集まっているのか、景気のいいアーチが見えてきた。
だが、そこらにある居酒屋は期待に反し、どれも食指がのびるようなところはなかった。
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狭い路地を行き当たりばったりに歩いてみた。
そこで、こじんまりとした小さなお店に出会った。
大衆居酒屋ではなく、重厚な店構えをしている。
日本家屋の民家をお店に改築したようだ。
店の前に品書きが出されており、それほど料金が高くないことを確認して店に入った。
店に入ると女将らしき女性とまだ若い女性の2人が迎えてくれた。
先客は近所の方と思しき熟年の男性。
わたしはカウンターに座る男性の隣に腰掛け、お酒を貰うことにした。
「地元のお酒は?」
と聞くと、若い女性は「『山車』がありますが」(原田酒造場)と答えた。
それを冷でもらうことにした。
肴は「飛騨牛すじ煮込み」。
飛騨牛は食傷気味だったが、煮込みとなれば別腹だ。
お通しは「ぬた」、もうこれだけで酒が進む進む。
店内は落ち着いた純和風の店構えだった。
カウンターの奥は座敷になっており、中央に着物を飾る「衣桁」が置いてある。
座敷の隅には水車の車輪のような大きなもの。オブジェにも見えるが、果たしてそれが何なのか、わたしには分からない。
「お店はいつから始めたのですか?」とわたしが聞くと、女将さんは「昭和43年頃よ」と言い、店の由来を簡単に説明してくれた。
それによると、店は女将さんの旦那さんが始めたようで、「樽平」という店名もご存知「樽平酒造」から直々に名乗ることを許されて名前としたとのことだった。
若い女性が「煮込み」をカウンターの前に置いてくれた。
わたしは「山車」を追加した。
「煮込み」は恐ろしく澄んだ色をしていた。
そして、肉はスジ肉とは思えないほど、柔らかくおいしかった。
スープは塩味。
「贅沢だな」と思いながら、わたしは味わった。
話しをポツリポツリとしていくうちに、女将と若い女性が親子であることが分かった。
女将はよく喋ったが、娘さんはあくまで女将のサポート役だった。
女将の話しは「八代亜紀のショーに行ったら、風邪声で1曲歌って帰った」というものから「わたしは秋田出身なんですよ」という身の上話しまでいろんな話題に富んだ。
そして、八代亜紀に対して「高山を馬鹿にしてんのよ」と憤慨し、秋田出身の話題では「実はアイヌなのよ」と話す内容はとても初対面の人にするものではないほど、深いことになっていった。
しかし、わたしもわたしでそれは心地のいいものでもあった。
気風のいい女将さんの話が楽しかったからだった。
いつしか、先客も帰ってしまい、客はわたしだけとなっていた。
女将さんは娘さんに「がっこ出してあげて」と言い付け、わたしの目の前に秋田の漬物「いぶりがっこ」が置かれた。
知らない土地に来て、小さな居酒屋でこんなゆっくりとした時間を過ごしているのがなんとなく不思議に思われた。
あたりは静かで、我々の声しか聞こえない。話が途切れて、店内がシンと静まりかえると柱時計の時間を刻む音だけが聞こえてくる。
まるで、子供の頃にタイムスリップしたみたいだった。
やがて、女将さんがわたしの横に腰かけて、「わたしも頂くわ」と猪口を取り出してきた。
わたしが徳利からお酌をした。
初めは気にも留めなかったが、2杯3杯とお酌をしてあげた。
女将さんは少し酔ったのか、話しが段々乱暴になってきた。
時計を見ると23時を回っている。
わたしは、長く居すぎてしまったようだ。
お勘定をして、外に出た。
外に出ると、すぐさま店の入り口の電気が消えた(表題の写真)。
余り気持ちのいいお愛想ではなかったことになんとも釈然としなかったが、よくよく考えればわたしは2時間半もの時間の中で頼んだものといえば、山車を3合、 そして「飛騨牛すじ煮込み」一品のみである。
女将さんもあまり金のならない客が来て業を煮やしたのだろう。
心を落ち着けようと、夜の旧市街をわたしはゆっくり歩きながらホテルに帰った。
高山本線の素晴らしき車窓の景観から書くべきか。
それとも、仕事の後の懇親会、高山ワシントンホテルの和風レストランで「飛騨牛」づくしの酒席に狂喜乱舞(O川自動車のS武さんと飛騨牛を巡ってバトル!)したことも書くべきか。
いずれにせよ、そうした延長線上に夜の居酒屋放浪があることは間違いない。
居酒屋放浪とは、そこで出会う人びとや、食べ物、そしてお酒と人間模様が交錯する旅なのだ。
高山本線の車窓は文字通り素晴らしかった。
特に飛水峡信号場の景観は本当に感動した。
景勝地、飛水峡である。
車内に流れる放送から説明がなされる車窓の風景に車内の客は一斉に溜息をついた。
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一方の飛騨牛づくしである。
圧巻は焼肉である。
飛騨牛の偽装事件で在庫過多になっていたものが一気に出てきたかと思う量だった。
だが、掛値なしにうまかった。
そうして宴席も終わり、夜の9時近くになって、わたしは一人ホテルを出た。
うまい酒を飲みに繰り出したのだ。
市内はひっそりとしており、静けさと闇が不気味に町を覆っている。
人通りもほとんどない。
古い町並みが闇を一層際立たせているようだった。
駅を背にして東に向う。
すると、やや賑やかな通りに出た。
飲み屋街が集まっているのか、景気のいいアーチが見えてきた。
だが、そこらにある居酒屋は期待に反し、どれも食指がのびるようなところはなかった。
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狭い路地を行き当たりばったりに歩いてみた。
そこで、こじんまりとした小さなお店に出会った。
大衆居酒屋ではなく、重厚な店構えをしている。
日本家屋の民家をお店に改築したようだ。
店の前に品書きが出されており、それほど料金が高くないことを確認して店に入った。
店に入ると女将らしき女性とまだ若い女性の2人が迎えてくれた。
先客は近所の方と思しき熟年の男性。
わたしはカウンターに座る男性の隣に腰掛け、お酒を貰うことにした。
「地元のお酒は?」
と聞くと、若い女性は「『山車』がありますが」(原田酒造場)と答えた。
それを冷でもらうことにした。
肴は「飛騨牛すじ煮込み」。
飛騨牛は食傷気味だったが、煮込みとなれば別腹だ。
お通しは「ぬた」、もうこれだけで酒が進む進む。
店内は落ち着いた純和風の店構えだった。
カウンターの奥は座敷になっており、中央に着物を飾る「衣桁」が置いてある。
座敷の隅には水車の車輪のような大きなもの。オブジェにも見えるが、果たしてそれが何なのか、わたしには分からない。
「お店はいつから始めたのですか?」とわたしが聞くと、女将さんは「昭和43年頃よ」と言い、店の由来を簡単に説明してくれた。
それによると、店は女将さんの旦那さんが始めたようで、「樽平」という店名もご存知「樽平酒造」から直々に名乗ることを許されて名前としたとのことだった。
若い女性が「煮込み」をカウンターの前に置いてくれた。
わたしは「山車」を追加した。
「煮込み」は恐ろしく澄んだ色をしていた。
そして、肉はスジ肉とは思えないほど、柔らかくおいしかった。
スープは塩味。
「贅沢だな」と思いながら、わたしは味わった。
話しをポツリポツリとしていくうちに、女将と若い女性が親子であることが分かった。
女将はよく喋ったが、娘さんはあくまで女将のサポート役だった。
女将の話しは「八代亜紀のショーに行ったら、風邪声で1曲歌って帰った」というものから「わたしは秋田出身なんですよ」という身の上話しまでいろんな話題に富んだ。
そして、八代亜紀に対して「高山を馬鹿にしてんのよ」と憤慨し、秋田出身の話題では「実はアイヌなのよ」と話す内容はとても初対面の人にするものではないほど、深いことになっていった。
しかし、わたしもわたしでそれは心地のいいものでもあった。
気風のいい女将さんの話が楽しかったからだった。
いつしか、先客も帰ってしまい、客はわたしだけとなっていた。
女将さんは娘さんに「がっこ出してあげて」と言い付け、わたしの目の前に秋田の漬物「いぶりがっこ」が置かれた。
知らない土地に来て、小さな居酒屋でこんなゆっくりとした時間を過ごしているのがなんとなく不思議に思われた。
あたりは静かで、我々の声しか聞こえない。話が途切れて、店内がシンと静まりかえると柱時計の時間を刻む音だけが聞こえてくる。
まるで、子供の頃にタイムスリップしたみたいだった。
やがて、女将さんがわたしの横に腰かけて、「わたしも頂くわ」と猪口を取り出してきた。
わたしが徳利からお酌をした。
初めは気にも留めなかったが、2杯3杯とお酌をしてあげた。
女将さんは少し酔ったのか、話しが段々乱暴になってきた。
時計を見ると23時を回っている。
わたしは、長く居すぎてしまったようだ。
お勘定をして、外に出た。
外に出ると、すぐさま店の入り口の電気が消えた(表題の写真)。
余り気持ちのいいお愛想ではなかったことになんとも釈然としなかったが、よくよく考えればわたしは2時間半もの時間の中で頼んだものといえば、山車を3合、 そして「飛騨牛すじ煮込み」一品のみである。
女将さんもあまり金のならない客が来て業を煮やしたのだろう。
心を落ち着けようと、夜の旧市街をわたしはゆっくり歩きながらホテルに帰った。
飛騨高山とは同じ県だとは思えないところです。
(名古屋に近いので)
でもやっぱり飛騨牛ですね~(笑)。
近くのお肉屋さんも。
実は、この翌日も飛騨牛なんです。詳しくは17日アップの「放浪記」で。
しかし、いくら食べてもおいしかったです。偽装事件の後だから、店側も観光客に対しては気を使っているようでした。
それにつけても、岐阜県は懐が深いですね~。
「一杯頂くわ」どころじゃなかったもんな。