仕事が終わり、羽鳥の駅に戻ってきた。
駅の西側に盛り場があるかと、僅かな期待を寄せていたが、タクシーから見た限りではお店はほとんど見当たらなかった。
こうなったら隣の駅、石岡に行くか。
石岡駅は特急が停まる大きな駅だから、まだ羽鳥よりは何かあるはずだ。
そういや、石岡はかつてふりぃまん師が住んでいた地。はるか昔、石岡駅で師と待ち合わせしたような気がする。そんな懐かしい駅に行くのも悪くはないな。
一駅電車に揺られ、石岡駅を降りた。西口に出ると、広いロータリーがある。
はて、こんな風景だったか?
少し歩くと、犬と子どもの銅像があった。
「みんなのタロー」。
さっき駅の改札横にあった待合室Aにあったパネルの犬じゃないか。パネルには「17年間、石岡駅で飼い主を待った忠犬タロー」の書かれている。
パネルの説明文を要約する。
昭和39年、飼い主の女の子と石岡駅ではぐれてしまったタローは、その後市内の小学校で保護され、それ以来17年間、朝夕に飼い主に会うため石岡駅に通った。結局、飼い主の女の子と再会は果たせず、天に召された。
にわかに信じられない話しである。
迷い犬を17年間、放し飼いで飼う小学校があるのだろうか。
タローの時代より、十数年も後だが、自分の幼少時代、野良犬はたくさんいた。しかしながら、大抵の野良犬は即刻保健所行きだったと記憶する。
「美術情報2017-2025」というサイトにタローが迷い込んだ時のエピソードが書かれている。
「東京オリンピック」が閉会し、興奮まだ冷めやらぬ昭和39年の暮れ、「石岡市立東小学校」に迷い込んできた子犬を同校の用務員さんが見つけました。寒空の下、茶色い毛並みは薄汚れ、首輪とともに針金が首に食い込み、血と膿が混じりあって、何とも痛々しく腫れ上がっていました。用務員さんとその娘さんが首輪を緩め、針金を切ってあげてからエサをあげると余程お腹が空いていたのかアッというまにたいらげ、お腹が一杯になると安心したような表情でそのまま土間で眠ってしまいました。そして、娘さんに「飼いたい・・・」とせがまれたことから、学校の敷地内にあった「用務員住宅」で子犬を飼い始めたのです。(美術情報2017-2025)
一方、朝日新聞デジタルにはこんな記事もある。
「(タローは)先生や児童たちみんなに愛されていた。たいていは職員室の教頭の机の下にいた。登校時間になると、1年生の教室を順番に回る。自分で戸を開けて入り、教室の隅で児童を見守った。昼休みは校庭で給食。好物のマーガリンと飲み残しの牛乳を子どもたちにもらった」(出典:朝日新聞デジタル)
そんなタローには決まって毎日朝夕に片道2kmの道のりを石岡駅まで行く習慣があったという。
「主人を思って駅へ通っていたというのが地元の見方だ。「そう思うと不憫でね。そんな犬を鎖でつないでおけますか」。(出典:朝日新聞デジタル)
そう述懐するのは当時8年間、石岡市立東小学校の校長を務めた橋本千代寿さんである。
「店の玄関にお宅の犬がいる」と駅前のスーパーから電話があった。迎えに行くと、店内から流れてくる冷房の効いた風を受けて、ちゃっかり涼んでいた。
「犬はつないでおいて下さい」と保健所に2度、注意された。「黙認してほしい」と嘆願した。保健所長は黙っていた。(出典:朝日新聞デジタル)。
町ぐるみでタローは愛されたといっていい。そんなタローを橋本さんは「奇跡」と評した。
「みんなのタロー」のゆえんである。
この逸話が、どうも映画になっているらしい。
タイトルは「石岡タロー」。
2024年3月に公開された。
何故、「みんなのタロー」でなかったのか。
何故、石岡という地名を入れなければならなかったのか。
ハチ公だって、渋谷ハチとはいわない。
石岡が入ることで、妙に商業っぽくなり、チープな感じがするのは気のせいだろうか。
この文を書くにあたり、いろんな記事を読んだ。
ほとんどの文章がタローをさして忠犬と呼ぶ。
果たしてそうだろうか。
タローは大好きな飼い主の女の子を探して生きてきた。
朝夕の駅通いは決して飼い主に忠実な出迎えの行動ではないように思う。
忠犬という安易な言葉で美談にまとめてほしくない。
俺がいたときから随分経ってるし、キレイにしたんだろうね。しかし、駅前の風景はほとんど変わってない気がするよ。
あと、みんなのタローなんてあったっけ?って思ったら、師の次の記事にも書いてるけど、当時はなかったんだね。全然記憶にないはずだよ。
しかし、田舎あるあるな感じの無理やり石像だなあ・・・。なんでどこもこういうの作りたがるんだろう。謎だよ。アイデンティティーの証明なのかな?
なお、俺がいた20年ほど前でも、郊外では犬は結構放し飼い、もしくは繋がず庭飼いだったりしたから、この時代は飼い犬もほとんどが放し飼いだったんじゃないだろうか。
タローは単独で毎日街へと出かけたゆえに、行政にクレームとかが入って注意されたのではないかと思う。駅前とかは車の流れもあって危ないだろうし、犬が嫌いな人もいるし。
保健所も、流石に持ち主が分かる飼い犬を連れて行くのはできないだろうし。
なお、タローは最初はほんとに飼い主を見つけに行ってたんだと思う。けど、途中からは、色んな人に相手してもらったり、おやつもらったりして楽しいから、散歩がてら行ってたんだと俺は思うよ。
なんだかんだ、穏やかで賢い犬だったんだろうと思うよ。
後で思ったのだが、以前待ち合わせした駅は石岡じゃないような気がするよ。
駅とその周囲の様子が違いすぎる。
友部駅で待ち合わせした可能性ってあるかな。
タローって師が住んでいた時から有名だったの?
昔、野良犬、いっぱいいたよね。
犬に追いかけられて、犬が嫌いな人もいっぱいいたなー。
>タローは最初はほんとに飼い主を見つけに行ってたんだと思う。けど、途中からは、色んな人に相手してもらったり、おやつもらったりして楽しいから、散歩がてら行ってたんだと俺は思うよ。
犬の気持ちが分からないから、人はすぐに美談にしたがるよね。その反動で、元の飼い主を「ひどい人」扱いするのもどうなのかねー。
確かに、「ヨット食堂」見えますね。
その後、本店にも行きました。
駅周辺はほぼ全面改装したっぽいから随分雰囲気変わったから俺もあれって思ったけど、町並みは当時とあまり変わってないからね。
昔の駅舎はこんな感じ
https://mitoaoi.blog.fc2.com/blog-entry-2765.html
これだったなあ。懐かしいな。
なお、タローのことは今回師の記事で初めて知ったよ。よそ者だし、地元紙とかも読んでなかったから知る機会もないし。
けど、地元の小学生とかは学校授業の地域ネタで知ってる定番なのかもしれないね。
やっぱ石岡でよかったか。
駅舎の向かって左側「NEW DAYS」があったのは覚えているのだけど、今はお店がなくて歩道になってる。昔の画像とはもう全く違うよ。
インディーさんも迷い犬だったんだっけ?
忠犬だったね。インディーさんも。